文明の源流日記


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2001年12月31日(月)[16:10:46]
 
「多摩川源流絵図」(大菩薩妙見版)のまとめが進んでおらず気分がめいっていた。一年の終わりをこのままで終わりたくないと思い立ち、沙緒里ちゃんが手伝ってくれるというのでこれまでの淵・滝・沢・尾根・小字・小名の地名に関する整理を始めた。淵・滝が43ヶ所、沢が73ヶ所、小字が113ヶ所の合計229ヶ所の地名を整理できた。A4サイズで22ページを数えた。午前、午後と5時間の奮闘の成果だ。我が愛する娘、沙緒里ちゃんに心から感謝する。若い人はパソコンの入力が実に早い。本当に助かった。
 今日で、今年も終わる。私にとって記念すべき一年、2001年になった。4月8日に小菅村の方々と多摩川源流研究所を立ち上げた。源流域の調査・研究と情報の発信、源流と流域の交流の推進を通して寝過疎化のすすむ源流域に、新しい光を注ぎたい、源流の里づくりに少しでもお役に立ちたい、これが源流研究所の使命であり目的である。無から有を創り出す第一歩が始まった。確かな手応えがあった。源流研究所を支えていただいた皆さんに心から感謝したい。

2001年12月30日(日)[16:09:23]
 
塩山の我が家の組に葬式が出た。昨晩が通夜、峡の午後2時からが告別式がとりおこなわれ、午後4時から初7日の法事がやられた。3日前から東京の妹夫婦が長野に帰省する途中、毎年塩山に寄ることになっているが、今年は3泊と割合ゆっくりと山梨に滞在した。丁度、妹夫婦が長野に向かったら、名古屋から義理の弟と姪が入れ替わるようにやってきた。そこに、我が愛する娘、沙緒里ちゃんも帰省し、賑やかな夕食になった。

2001年12月29日(土)[16:08:18]
 
朝8時半に小菅に向かう。大菩薩登山口の気温はマイナス4度とかなり風は冷たい。柳沢峠の温度計はマイナス6度。マイナス6度の風の冷たさに触れたくなって車の外に出る。幸い風がなかったので寒い空気ではあるが冷たさが痛いという感覚までは達しなかった。本格的な寒さはこれからである。
 お役所は年末年始の休暇にはいる。たまたま青柳万寿男さんが日直なので、村役場で昨日の話の続きを5時間に渡って聞く。彼は今、役場では住民課に属し、村民の生活に密着した仕事を通して村の事情に詳しいこと、それに猟を20年間に渡り続けているのだ。親父さん、お祖父さんも猟師で明治大正からの猟の様子も伺い知ることが出来る貴重な方なのだ。いろいろ面白い話を聞いた。

2001年12月28日(金)[16:06:50]
 
多摩川源流絵図(大菩薩妙見版)の聞き取りにはいる。これまで小菅川の淵、滝、沢を中心にやってきたが、これからいよいよ小菅に古代より残された地名の全体に挑戦する。どこまでやれるか不透明であるが、人間のにおい、人間の暮らしがしっかり反映された源流絵図を作りたいと思っている。小菅村役場の物知り猟師・夢を狩る人、青柳万寿男さんにいろいろ話を聞く。
 するとそこへ青柳振興課長から、正月休みの宿題が持ち込まれる。来春に小菅川の堤防に「玉川絵図」をプリントする計画があり、その前文を作って欲しいと。いろいろ資料を持ち帰ることにした。午後4時から仕事納めに参加した。

2001年12月27日(木)[17:38:31]  
 朝、柳沢峠はマイナス3度。南アルプスがくっきり見える。この間の雪で峰峰の頂の白さが一段と映えてきた。
 源流絵図の整理に取りかかる。小菅川の下流から、淵や滝、周辺の地名を詳しく調査し、名前の特定と由来を確定していく作業である。源流域は、人々の生活と自然が渾然一体しており、人々の暮らしと自然が深く結びついている。根気強く調査していく。

2001年12月26日(水)[17:25:17]  
 午前11時に奥多摩駅で稲葉先生と藤森さんに会う。こちらは、所長と佐藤事務局長。今後の協力関係について検討する。水と森に関する取り組みを共同で進めることを確認する。
 午後は、奥秋忠俊さん宅を訪問し、白沢沿いの地名について教えていただく。実におもしろかった。特にヒナタサスで行われていた焼き畑に関することやカマツチ沢に関する話などは、興味深かった。夜は猿回しの村崎修二さんと源流の活動の特色や役割について夜遅くまで議論する。

2001年12月24日(月)[13:07:24]  
 午後2時に猿舞座の村崎修二と高尾で合う。相変わらず元気で、今後のお互いの今後の進むべき方向について熱く話し合う。一芽十根の如く一歩一歩大地に根を張ることが大事だ。彼は、宮本常一氏から記憶に残ったことを書くように言われたという。
 家に帰ってから、いよいよ源流絵図の制作の準備に取りかかる。


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