文明の源流日記


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2002年1月31日(木)[17:40:56]  
朝7時30分に家を出て小菅に向かう。大菩薩登山口は気温マイナス7度、柳沢峠の気温はマイナス9度でかなり寒かった。源流研究所では、各地区の小字の聞き取り調査を進めているが、今日は、午前中は川池の小泉春好さん、午後は中組の船木四郎さんからそれぞれ話を聞いた。井村主任研究員も同行する。小泉さんは、池ノ尻について、曲淵という大きな淵があり、その上流は湿地帯が続き合歓下賜は大きな池があったという。その池の尻と接していたのでこうした地名が生まれたという。ここにもナツチがあり、一番日当たりがよく麦、大豆、ヒエ、アワなどを広く栽培していた。カヅ久保は、カズラが多く見られ、ここのクズは特に良く茂りその根を土間の石でキネや槌でたたき、樽で沈殿させてでんぷんをとりくず粉を作ったという。天神山の山城跡、城ノ沢等小菅の歴史にかかわる地名もある。
 中組の船木四郎さんからは、山沢に関する情報をたくさん仕入れた。古屋敷のこと、山沢入りの本谷と枝谷のこと、ヒナタ、ムケイ、高畑、イェセザワのこと、髪結いどのこと、とくに、山沢集落は、古屋敷の頃の呼び方が今も通用している興味深い話を聞いた。オモテは本家のこと。オモテのマエの家がメエ、分家して新しい家がニィーエ、沢沿いの家がサーとかオオサワ、上の方の家がワデ、一番上がキリダシと呼ばれていたという。またススガテーロ、オバンサワなどの小名も教えていただいた。
 夜は、養殖組合の方々との懇親会があった。実に楽しい愉快な寄り合いであった。

2002年1月30日(水)[13:40:26]  
 夜遅くなったので、昨晩は小菅の太鼓ハウスに宿泊した。夜冷え込んだのでお布団に潜り込んでも足が暖まらずになかなか寝付けなかった。部屋も寒いしお布団の冷たさといったらなかった。湯たんぽが恋しかった。宮崎で冬には良く湯たんぽを布団に入れて足を暖めたものだった。朝の空気は、しんしんと冷え込んでいて、研究所で気温を図ったらマイナス9度、この冬一番の寒気に思えた。今度泊まるときは電機毛布を引こうと思った。
 今日は、小永田の船木常男さん、田元の亀井常成さん、東部の加藤信休さん横瀬健さんからそれぞれ聞き取り調査をした。田元に関しては、山の麓、袂、山裾に出来た集落であることから、袂が「田元」に変じたものと思われる。小永田の小斗升は、村の発生地の一つで小斗升7軒といわれた屋敷があり、松ヤニを煮込んで薬草をこさえ、軟膏を作っていた家があり、膏薬屋として名が通っていたという。大成に関しても、大寺、小寺、尼寺と3つの寺が集中する由緒ある地であり、青梅街道の一つだったことが、偉い人がお成りになったことがあり、お成りが大成に転じたと考えられる。
 小斗升には、聞き取りの後訪ねてみた。比亜田のが良いこと、風が遮られていること、水場に近いこと等も実感できて、ここに住み着いた人々の気持ちが分かる気がした。

2002年1月29日(火)[09:28:26]  
 朝大菩薩登山道入口の気温はマイナス7度、柳沢峠はマイナス9度で、かなり冷たい空気が入り込んでいた。先日の雪が至る所に積もっていて片側通行の状態で、1bの雪の壁の中を車は進んだ。所々で沢からの雪崩が道の中まで迫り出し5メートルの壁を築いていた。わぁーこわい、これをまともに被ったら我が愛車パジェロミニは押しつぶされてしまうかなと不安になる。文明の車には雪崩が降りかからないようにと祈った。
 午後からは、「源流絵図」小菅版の聞き取り調査が始まった。調査すると、小菅の小字が8地区114ヶ所あることが分かり、各地区ごとに再度聞き込みをして確認していく作業を進める訳で、今日は、白沢地区と橋立地区の長老から聞き取りをした。地元で通用している地名と異なった呼び名があったり、土地台帳に耕作地の名前や小字を作るときに、明らかに間違った当て字がやられたなと思われるところもいくつかあった。いずれにしろ、大変興味のある話が聞けた。

2002年1月28日(月)[17:18:11]  
 昨日の雪が解けた所は、今朝の冷え込みでカンカンに氷っていた。こんな時が路面は最も危険なので自宅研修。来る3月8日から予定されている「多摩川源流写真展」のポスターやビラづくりの仕事がたまっているので塩山で仕事をした。調布市文化会館たづくりの写真展は、会場も素晴らしいし照明も整っているので、きっと見に来ていただいた方々に満足していただける写真展になると確信する。今のところ作品は61点を予定している。
 源流研究所の会報「源流の四季」を読んだ中央大学の仲間が連絡を取ってきて、「源流の四季」を周囲に紹介したいので、送ってくれと先日連絡をしてきた。本当に久しぶりのデンワでの再会であった。早速、「源流の四季」と「多摩川源流絵図」を今日送った。

2002年1月27日(日)[11:34:04]  
 朝6時15分に目を覚ます。目的は一つ。源流の雪の写真を撮ること。小菅村に40センチの積雪は、昨年の一月下旬の大雪と丁度時宜が重なった。雪がボディーを擦ってしまい車は上り坂で立ち往生してしまうであろう。ここは足が一番信頼できると判断し、重たいカメラバッグを背負い小菅川の大雪の写真をねらう。撮り始めると雪が雨に変わりはじめた。それもかなり激しい降りでハッセルの使用をためらったが、傘を広げて撮影に集中する。村営釣り場は、普段は源流にしては人工物が多すぎて、絵になりづらいロケーションだか、この日だけは、雪が目障りなものをすべて省いてくれるので、白銀の別世界に変わる。雪の中に2時間立ち続けると靴の中まで雪の冷たさがそのまま浸透してきて堪らなく冷たくなる。目の醒めるような白銀の世界に有り難うと感謝しつつ、雪のこの冷たさに負けて堪るかと自分を奮い立たせ、源流の冬と向き合っていった。
 運営委員会に参加した川崎の田中さんが、「素晴らしい雪景色ね」と靴を濡らしながら小菅川に佇んでいた。この日は、柳沢峠が、通行止めになり、鶴峠も越えられなかったので、八王子インターをまわって塩山に帰った。

2002年1月26日(土)[18:27:58]  
 朝8時30分に家を出る。大菩薩登山口はマイナス3度で、少し寒さが緩んだ。途中、手取り淵に寄る。手取り淵は、丹波渓谷の中で最も釜の大きい淵であり、迫力のある二段の滝を備えた堂々たる淵である。滝壺であるこの淵の釜は、右岸に深く剔られている上に今回よく観察すると左岸の岩も水面付近が鋭く剔られているのに気づいた。いまは、裸木に覆われているので、国道からも良く見通せる。しかし、その場所はカーブになっているし駐車場がないのでゆっくりじっくりというわけには行かないのが残念である。ここには、何十回と通いながらも、納得のいく一枚が撮れていない場所である。今年は迫力のある一枚を取りたい。
 午後から、源流研究所の運営委員会が開催された。それぞれの運営委員から今後の活動に対する様々な意見・要望が出され大変有意義な運営委員会になった。特に、宮林先生と菅原先生の「林相」調査に関する報告は、改めて水源林の重要性や価値を再確認する内容となり、全体の注目を集めた。夜は、亀井旅館で懇親会がもたれ大変盛り上がった。

2002年1月25日(金)[19:11:14]  
 朝8時に家を出発した。大菩薩登山口の気温はマイナス7度、この間かなり厳しい寒さに襲われている。厳しい寒さと澄んだ空気のおかげで今朝の富士山は、一際鮮やかにその荘厳な姿を見せていた。晴れた日が続くこのごろは毎日惚れ惚れする富士山に会える楽しみがあるが、本当は贅沢な時間なのに毎日毎日みれるとそれが当たり前に思えて、有り難みが薄れるというか、どうもマンネリに陥ってしまう。日本人の心にはいつも富士山があり、九州や北海道の人は、旅行の目的に富士山見学があるほどなのに、いつもあっていると富士山に会える事への感謝の気持ちを忘れてしまう。マンネリになったらあかんと自分に言い聞かせながら柳沢峠を越えている。
 丹波渓谷を通るとき、最近色々な不思議な出来事に遭遇する。これまで、700回を超える源流行を繰り返しているとはいえ、今ほどの密度の濃さは初めてのことである。朝8時に通るときと9時に通る時の逆光の入り方が実に変化に富んでいるのだ。深く剔られ蛇行した渓谷への太陽光の浸透具合は、源流の神のみが知るの世界で、何処に光線が当たるか全く想像がつかない。逆光にたった一本の木だけがスポットライトを当てられたように浮かび上がる。ドキリとする光景にちょくちょく会える。新緑の頃が今から楽しみである。
 源流研究所では、明日の運営委員会に向けての準備に忙しかった。活動経過と来年の事業計画をまとめ上げることが出来てみんなで喜んだ。丹波山村の伊藤助役から、「源流の四季」の原稿を頂いた。いよいよ源流域の祭りや習慣、伝統などの民俗的な調査・研究に取り組んでいける。伊藤助役はなかなかの文化人であるばかりか、博学な上に泥臭いところもある実に興味深い方だ。食らいついて、いろんな事を教えていただきたい。


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