文明の源流日記


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2002年2月28日(木)[17:40:41]  
朝5時10分に起きて川崎に出かける準備をする。5時50分発の普通列車で上野原に向かう。6時45分に上野原で佐藤事務局長と待ち合わせ、車で川崎市に向かう。川崎市中原区の教育会館で行われた市校長会運営委員会の時間を頂き、源流研究所の活動紹介と源流体験教室の内容を紹介する。とくに、今日本は将来に対する不安が渦巻いている中、未来を担う子ども達が日本の優れた自然、山や川や森に自信と誇りの持てるように育ってほしい、そのためには、手つかずの自然、息をのむような川や森に触れて心の底から日本の自然に親しむ体験を子供の時から体験してほしいと、心を込めてお話しした。
 川崎市企画推進課の本木さんのご協力でこうした機会がもてたことを嬉しく思う。今日の話が、いつどのような形で効果を現してくるか分からないが、源流と源流体験教室の存在を繰り返し伝えていくことが今大切なのだ。その後、中原区の区長、中原小学校の校長にそれぞれ挨拶した。川崎では、多摩区のせせらぎ館に第一号の水辺の楽校が昨年生まれたが、今年中原区の等々木を中心に第二号の水辺の楽校が誕生する。今後水辺の楽校を通して多摩区と中原区との交流を大いに進めていきたいと考えている。
 午後からは、せせらぎ館で行われた京浜工事事務所の多摩川流域協議会の場で、源流研究所の活動紹介と源流の現状に関して話をさせていただいた。源流と流域の交流の大切さをいろいろの角度から話した。会報「源流の四季」や「源流写真展」の開催を通して源流の姿を流域の市民に広める地道な活動を紹介した。少しずつではあるが、源流への関心が広がりつつあることを実感している。
 仕事が済んでから、私の故郷・宮崎県の中央を流れる大淀川の調査をかねて、妻と二人で、宮崎に向かった。羽田発6時40分で、発ち8時20分ごろ宮崎空港に着く。空港には、テル子姉夫婦が出迎えに来てくれた。気持ちの優しい姉夫婦と一緒に宮崎神宮ちかくのラーメン屋・栄養軒に向かう。ここのラーメンは美味しいので、我々が帰ると必ず食べるので、ワクワクしながら車に乗る。のれんをくくるとぷーんとトンコツ特有の香りが体に染みつく。黄色い自家製麺と白く混濁したスープ。一口すするともう一生忘れられないほど愛着を感じる。今回も美味しかった。

2002年2月27日(水)[20:49:35]  
 朝なんと5時50分に目が醒める。年を取ると目覚めが早くなるらしい。寝付けそうにないので、書斎に出かけ、「源流写真展」の準備に取りかかる。今年新しく撮影し、大きくのばした作品のキャプション(説明)づくりを行う。今年の1月から2月にかけての厳しい寒さの中での撮影を思い起こしながら、氷柱の花の見事さを愛でていく。どうしてこんな想像も出来ない氷の造形が自然界では生まれるのであろうか。自然界の得体の知れない不思議な世界を、是非多くの人に見て貰いたい。
 8時過ぎに源流研究所に向かう。気温は徐々に緩んでいるが、一旦解けた雪が夜に氷る季節でもあるので、運転は油断がならない。丹波山村の工事でいま回り道を余儀なくされているが、途中の畑にタラの芽が植えてあった。固い殻から、ほんの少しだけタラの芽が動いていた。固い殻が暖かさにほだされて緩む光景はほほえましい。彼女らは気温にとても敏感なのである。体内時計で気温を累積し自分の出番に達したら、少しづつ外気に触れていく。あまり早くで過ぎると遅霜が降りて痛い目に遭うことも知っている。自然界はあらゆる事を体験し、賢くなり、柔軟になり、順応してしなやかに生きている。
 源流研究所に着くと、NHKやテレビ朝日から問い合わせがあり、来週取材に来るという。マスコミの取材も結構多くなっている。「源流写真展」の準備を進め、作品を確認し、目録を完成させる。井村主任と協力して取り組む。
 午後からは、佐藤さんと三人で、源流研究所の来年度の事業計画を作成する。今年の実績をふまえ、源流と流域の交流事業を大きく進展させ、小菅村の新しいまちづくりに貢献したいと思う。
 「源流写真展」の開会式に、遠藤都会議員が出られるようになり、地元調布市の方もこれに積極的に応えていただけることになり、テープカットをすることになった。写真家の鍔山先生もこれるという。嬉しい限りである。明日、川崎市の校長会で「源流体験教室」の紹介をさせていただくことになり、その準備もし、さらに「多摩川流域協議会」の会合でも挨拶し、源流域の現状をお話しさせていただくことになった。いろいろな分野で源流のことが話題になりつつある。多摩川源流は本当に幸せもんだ。多くの人に愛され、慕われ、頼られている。

2002年2月26日(火)[19:09:24]  
 3日ぶりに柳沢峠を越えたら、春がもうすぐ底という感じがした。大菩薩入り口の気温は4度、峠も4度を示していた。朝から暖かいとかれば、雪がどんどん解けていく。もう一二回寒さがどかん、雪がどかんとやってくるが、その厳しさはこれまでと比較にならないほどであろう。
 県立ろう学校の先生から「源流体験教室」の申し込みがあった。5月中旬に一泊で源流体験をしたいとのことである。嬉しい知らせである。県内の学校では始めての取り組みになる。子ども達がどんな感想を残していくか今から楽しみである。源流研究所では、来年度事業計画の話、源流指導者学校の問い合わせ、源流探訪の問い合わせなど来年度事業に向けての動きが進みつつある。
 今から夜は「多摩源流まつり」の企画委員会の会議である。源流祭りの企画が今夜の会議で固まる。これからは大いに宣伝である。

2002年2月25日(月)[16:49:15]  
 島根県大和町に宿泊する。今日は江の川の源流視察に出かける。朝8時30分に出発して羽須美町、三次市から西城町に向かう。江の川は、河口から三次市までV字谷がつづき、上流の三次市で大きな平原が広がるというちょっと面食らってしまう姿の川である。言うなれば、源流に向かって平野が広がり、海に向かってV字谷が形作られている。
この天と地が逆転してしまう発想の地・知が、ここ江の川である。江の川の江は、元々大きな川のことで、中国一の大きさを表しているが、川の存在感としても他の追随を許さないものであろう。河口から、数百bの地点から両岸が大きな尾根にそそり立ち、その壁に囲われ守られて他への進路変更を絶対に認めない堅固な牢壁を構えて、ゆったりとゆったりと三次市から130`bを流れ下るのである。勾配が緩慢なため、周辺の田畑に水路を引いて潤すこともかなわず、時には、洪水時に18メートルも水位を上げて襲いかかり、流域人から、役立たずとか能なし川と罵声を浴びせられても驚くことも怒ることもせず、ただ悠然と下っていく江の川のすがたは見るものを驚かせる。130キロといえば多摩川の全長に等しい。
 ところが、上流域の江の川は幾本にも分かれて流域全体をくまなく潤している。三次市を起点に360度に近い流域が広がるのもこれ珍しいし、中国山地では東西に分かれて流れる川がほとんどだが、ここでは、一旦南の方、瀬戸内海に向けて流れ始めて大回転して日本海に注ぐ。
 源流をみたいと思い、西条川の源流、比和川の源流、神野瀬川の源流、馬洗川の源流に足を延ばす。中国山地のど真ん中に広大な平原が広がり、この平原を江の川が人間の血管のようにあらゆる所に水を回す。そこには肥沃な田んぼや畑が見渡す限り広がり、日本の古き良き時代の農村風景が何処までも広がる。ある源流は、田んぼのため池の隣に生える一本松が目印になるという、信じられない源流の姿がそこにあった。大地を潤し、稲や麦を育て、森や草木をはびこらせた江の川は、命の源としての役割を存分に果たす。三次市からの上流の江の川は働きに働いて三次市に集まり、そこからは今度は、大きな尾根に囲われながら、いわば巨大な樋をゆったりと瀬戸内海でなく、日本海に流れ下る。多摩川とのあまりの落差に言葉が出なかった。それにしても日本の川はいろいろな姿をしている。なんとも素晴らしい。その土地をその流域を潤し人々を結びつけ、いつまでも流れ続けているのだから。江の川は、上流では恵(江)みの川であり、下流では、剛・豪(江)の川であると感じた。ここに別れを惜しんで広島空港発7時20分羽田行きで山梨に向かった。生きている間に109の一級河川の河口から源流までを全て歩いて死にたいとの気を起こさせる旅であった。
 それにしても、我が多摩川源流は景観が優れ地形が変化に富み、清流が流れ、森が豊で、しかも飽きることのない歴史や文化がある。多摩川を愛する流域住民がたくさんいる。本当に多摩川は全国のモデル、優等生だなと感じた。他の源流を知ることで多摩川の源流の価値と可能性が益々見えてくる。どんどん出かけ、様々な源流を知ることで多摩川源流により一層磨きをかけていきたい。

2002年2月24日(日)[15:03:39]  
 「河川と流域に関わる人の交流会」が島根太田市で開催された。昨晩の交流会に出席した団体がそれ戯れ之活動を報告し、紹介し合った。斐伊川クラブの活動はダムの周辺に交流と花の拠点を作る。菜の花プロジェクトを立ち上げ、活動する。緑化復元ドングリの森づくり。宍道湖の周辺に葭を植えて水の浄化を図る。森林ボランティアを募り、源流の森を大切にする。サロンを持ち学習会を継続する。等の活発な活動が紹介された。江の川流域からは、河川美化条例制定の取り組み、災害を語り継ぐ会、水の探検隊の取り組み、江の川インストラクター養成講座の取り組み等が紹介された。高津川流域からは、何から始めたらいいか悩んでいて、町を見てみよう、川を見てみようと歩き始めた。流域の自治会でワークショップをやり、「学・知・継」をコンセプトに楽しみながら活動している姿が報告された。
 近畿の木津川流域の川上さんは面白い提言をした。これからの日本に何が必要かと考えたとき、「河川レンジャー」がいる。河川をパトロールし、河川敷の維持管理、河川清掃とその仕組みづくり、救命・救急、洪水監視、川に学ぶ体験サポートなど何でもやる川専門のパトロール隊の創設。山道さんは、次の世代に何が残せるのか、若い人が川に関わって生活していける場の創設こそ重要と訴えた。魚博士の君塚さんの話はいつ聞いても面白い。何処にどんな魚がいるか知り尽くしている。驚きものである。
 交流会が終わり、江の川視察に出かける。途中まで、山道、宮本、菅谷さんも同行。何せすごい川である。

2002年2月23日(金)[14:38:05]  
 朝山梨を8時過ぎの特急に乗り羽田空港に向かう。10時50分の島根・出雲空港行きの飛行機に乗る。現地で、山道さん、宮本さん、菅谷さんと合流し、松江、出雲大社、太田市へと向かう。今度の旅の目的は二つ。河川と流域に関わる人の交流会への参加と江の川視察である。
 この日は、プレ交流会が行われた。多摩川流域、荒川流域、高津川流域、江の川流域、斐伊川流域の人々約20名が交流する。高津川の匹見川流域の篠原さん、広兼さんと出会う。匹見川は中国地方一の清流を誇り、その源流域は地形の変化も景観も第一級ものだという。天然鮎の落ち鮎の味はまた格別だそうだ。篠原さんは同じ昭和3¥22年生まれであり、子供の頃のかかしら釣りからメジロ捕りまで時代も遊びも育ちも一緒のまるで幼なじみであった。素晴らしい人々との出合いがあった。

2002年2月22日(金)[20:52:26]  
 朝5時50分に目が醒める。年齢を重ねてくるとどういう訳か早起きになるので不思議である。早く起きたついでに、地名に関する勉強をした。地名研究入門の本を書いた都丸氏は、群馬県の民俗研究家であるが、実に良く事実を調べて説得ある地名学を展開なさっているが、その中の地名と人名のくだりは面白い。人名は親たる命名者がいて、産まれてきた子供に相談することなく、勝手に自分好みの赤ちゃんの名前を付けて、市役所に届け周囲の方々の合意を得ればそれでいい。ところが、地名はそうはいかない。ある土地について、いろんな方が色々な呼び方をするが、だれてもが納得し合理的なものが、周囲の合意を得ることによって地名となるのである。地名は周辺の方々の合意が先に会って、万人が認めて初めて成立する。それはそうである。地名に関する原理、原則に関してはその基礎をしっかり学んでいかなければならない。
 午後から、第2回目の源流域・助役会議が塩山市の甘草屋敷で開催された。塩山市の日原助役、奥多摩町の川村助役、丹波山村の伊藤助役、小菅村の古家助役と源流研究所の中村所長、及びそれぞれの市町村の担当者が出席した。第1回助役会議の報告、自己紹介、源流域の協調体制のあり方について、水源林の学習会、その他について熱心に検討された。
 全員の意志として、源流協議会的なものを結成していくことで合意し、源流研究所が事務局になって草案をまとめていくこと、その案を担当者で検討して練り上げることなどが確認された。学習会は、それぞれの市町村が、資料を持ち寄り、水源林の起源に関して発表しあった。いずれにしろ、多摩川源流域の市町村が源流域のあり方について、協調していくことが確認された意義は大きい。みんなで力を合わせて、源流を流域に大いにアピールしていきたいものだ。
 あしたから、3日間、島根県に出張する。川に関する交流会に招待されていることがその目的であるが、もう一つ、全国の源流訪問の目的もある。全国の109の一級河川の源流はすべて踏破したい。昨年、大野川を訪ねた。今年江の川と宮崎県の大淀川の訪問はすでに決まっている。訪問地の源流がどんな顔をしているか、しっかり源流を観察するつもりである。


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