文明の源流日記


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2002年3月29日(金)[20:02:38]  
 同じく組に不幸がでて、朝8時に召集がかかり、お葬式の打ち合わせが行われた。組の会議には、一家から二人津津出るようにとの沙汰があり、娘の亜希とふたりで会議に出る。明日がお通夜、明後日がお葬式と決まる。隣近所なので色々お手伝いをする。死亡診断書をもって市役所に行き、火葬許可を取り、写真屋さん、新聞屋さん、お葬儀屋さんをそれぞれ回り用を済ませる。
 午後からは、娘に手伝っていただいて、源流絵図のまとめに取りかかる。地名研究をまとめたノートを整理していく。仕事は多いに進んだ。亜希ちゃん様々だった。

2002年3月28日(木)[19:52:28]  
 佐藤さんと、「源流絵図」の下図づくりに没頭する。小菅川の下流から、淵と滝、沢、尾根を一つ一つ確認しながら場所を特定していく。小菅村には、長作地区があるが、ここは相模川水系の鶴川の最上流部に位置しているので、ここも丁寧に書き込んでいく。昼過ぎにカタクリに会いに行く。今年は桜の開花が例年より2週間も早いので、カタクリもそうだろうと思い、カメラを担いで出かけたが、沢山の花芽はかくにんできたが、開花はあと4日後ぐらいだと感じた。今年も早春のスター、カタクリの写真を沢山撮りたいと思う。カタクリに関して気がかりなことは、ある場所がわかると大勢の人が訪れ、盗掘さえする人が現れると言うことだ。困ったことである。

2002年3月27日(水)[19:43:36]  
 進士絵里子さんから「源流体験マップ」送られてきた。これは、親子を対象とした源流体験教室に利用するためのマップで進士さんにも2月の寒い時期に体験教室を一緒に歩いていただいて現地をみてきた。体験ゾーンには、赤沢出合い下淵、たわむれ淵、釜淵、のぞき淵、瞳淵と見応えがある淵が続く。しかも、苔むした岩を縫うようにして流れる清流は、訪れる人々の心にしっかり刻まれる。
 ところで、進士さんの「源流マップ」をみてその出来映えの素晴らしさに驚いた。淵の一つ一つ、鳥や動物の一匹一匹が生き生きとしていて実にリアルである。こんな素晴らしい出来映えになるとは、進士さんの能力の高さに脱帽した。現場に出向き、写真をとり、源流の意味をつかんだだけのことはある。本当に嬉しかった。

2002年3月26日(火)[10:19:22]  
 朝6時に目が覚める。朝食を済ませてから、書斎で地名研究に没頭する。最初の「源流絵図」は、長老から聞き取り、記録し、そしてその現地を地元の方と一緒に出向いて確認するという時間と根気のいる仕事の連続だったが、今回は、小菅渓谷の調査は危険度が少ないこともあって、淵、滝、沢、尾根の調査は順調だったが、小菅村の小字の調査にはいると時間と労力は大変なものであった。と同時に、地名の起源や特徴に関する研究が不可欠になったので、地名研究の取り組みが大変だった。
 自然地名と文化地名に分類し、それぞれの起源の特徴をどれだけしっかり知識として身につけるのか。ここが勝負になるような気がする。古代人がつけた地名で、現在その由来が分からなくなったものがかなりあるが、全国的な傾向から推測可能な地名もかなりあるし、原理・原則的なものをあらかじめ知らねばならない羽目に陥った。ここの努力が勝負の分かれ目で、この地名発生の基本をしっかり学ばなければならない。この一ヶ月の積み重ねで少しだけ道が見えてきた。がんばれ、ブンメイ。

2002年3月25日(月)[10:05:24]  
 朝、丹波渓谷の新芽の木々の様子を観察しながら、通勤している。同じ木を毎日毎日観察した経験はないが、蕾の色と大きさが日に日に変化していく姿には驚かされる。小菅に着くと、「源流絵図」の仕上げの際、小菅川の最上流部がどんな姿をしているのかが問題になり、再度よく調査することになった。橋立地区の農道から見ると、小菅川の源頭の正面に妙見の頭がどーんと聳えている。その左に、小金沢嶺、狼平、天狗の頭、熊沢山を従え、その右から大菩薩嶺が後押ししている。古代人は、動物界の頂点に立つ熊と野生の狼を天狗が取り持ち引き合わせる物語を大菩薩を舞台に作り上げた。この周辺が、人間の手の及ばない深遠な世界だったことを伝えたかったのであろう。何と、小菅川の源頭部が絵になることか。余りにも恵まれているし、絵になりすぎる。これは、神様に感謝しなければならない。
 午前11時から、ホームページの打ち合わせを源流研究所で開いた。塩山電機の広瀬郁夫さん、温泉の黒川総支配人、奥秋支配人、小菅村の望月観光担当、源流研究所のブンメイ所長、佐藤事務局長、井村主任研究員の7名。それそれの分野から、最新情報を出し合い、ホームページに反映することにした。今後、どのようにして、リアルタイムで情報を発信できるか検討することになった。

2002年3月23日(土)[19:10:07]  
今日は、世田谷区の瀬田小学校の親子125名が、大型バス3台を連ねてやってきた。午前中は、源流の水を生かした産業の中心であるヤマメの養殖場を視察し、小菅養魚場の説明をいろいろ聞いた。ヤマメは、2年で子供を産み、その一回で生産活動は終わるが、イワナは、2年から5年くらい産卵すること、小菅村では、この養殖に力を入れて、7業者が営業していること、流域の川や釣り場に魚を出荷していることなど面白い話をたくさん聞いた。昼食は、3つの旅館に分かれてヤマメ定食を食べた。山女の塩焼きは好評だった。フキノトウやさつまいも、やさいのてんぷら、ジャガイモなどの煮付け、コンニャクの刺身、漬け物など参加者は美味しく食べていた。コンニャクの刺身はおみやげで持って帰りたいとの希望が多かったが、旅館で準備できず、今回は間に合わなかったが、じかいからおみあげも準備したい。
 午後からは、平山キャンプ場で巣箱づくりに取り組んだ。これがなかなか大変で、渡された板をノコギリで切り、組み立て釘を打ち付けて完成させるのだが、薄い板に釘を打つのも大変だし蝶つがいににとめねじをさしこむのも骨が折れるし、参加者は、親子で真剣に取り組んでいた。何しろ時間不足でゆっくり出来なかったのは残念だったが、出来上がった巣箱をみんなで森にかけていった。この巣箱に鳥たちが巣をかけ、雛を育ててくれることをみんなで祈った。水温体験や我慢大会は時間の関係で出来なかったが、参加者は、源流の一日をたっぷり楽しんだようだった。
 この日、我が家の娘が、二度目の大学入試に合格した。東大の大学院まで進んだ後に、医者になりたいと再度受験勉強に挑戦し、二度失敗したが、今年、東大の医学部に無事入学できた。娘から、合格の知らせが届いたとき、思わず、涙腺が緩んでしまった。とても嬉しかった。


2002年3月22日(金)[19:09:01]  
朝、6時に目が覚めたので、読売日本テレビ文化センター関係の仕事をこなす。4月は、「源流研究所と小菅川源流散策」、5月は「歴史探訪・黒川鶏冠山を訪ねて」、6月は「多摩川の最初の一滴を求めて」のそれぞれのタイムスケジュールを作成した。多摩川の領域の方々に多摩川源流域全体を理解していただき、源流の自然、歴史、文化などを自らの目と足で確かめる今回の企画は、今後の取り組みの基礎になるであろう。
午後からは、「源流絵図」小菅版の調査を進める。いよいよ締め切りが迫りだし、一つ一つの事柄を精査し直す作業が求められている。小菅川の正面にそびえる大菩薩嶺の姿はどんな形をしているのかと訪ねられ、改めて大菩薩の山容を探るため、その山が良く見通せる場所を探し、まじまじと観察する。小金沢嶺、狼平、天狗の頭、熊沢山、大菩薩峠、妙見の頭、大菩薩嶺と二千b級の山が屏風のように立ちはだかっていた。青梅街道一の難所と言われた大菩薩。よくよく見ると大変な壁が横たわっている。
 また、小菅川に架かる橋を調べたら、吊り橋を入れて17の橋が架かっていた。その一つ一つの名前を確認しながら写真に収めていった。一つ一つ正確に知ることは、手間のかかることだ。正確に調べたものでなければ、絵図に書き入れることは出来ない。絵図担当の石川さんも最後の追い込みで頑張っている。5月1日に「源流絵図」小菅版を完成させるため、時間との戦いが始まった。


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