文明の源流日記


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2002年5月1日(水)[22:51:50]  
 「多摩川源流絵図」小菅版がいよいよ明日出来上がってくる。それに先立ち、サンニチ印刷で宣伝用に大きなポスターを作ってくれたので、それを取りに行った。源流絵図を大きく引き延ばしたものである。どんな出来映えかなと不安であったが、色合いも良くやったーと思った。
 人生には、良いときも悪いときもあるが、どんなときでも腐らないことが大切である。一度、仕事の無理がたたって左目を失明しかけたときは、こんな仕事に従事できるとは夢にも思わなかった。今回の「源流絵図」小菅版は、村民の暖かいまなざしの中での仕事になって、いつも私の心を支えていただいた。そして、こうして源流絵図を完成させることで、村民の協力への恩返しが出来ることが何よりも嬉しい。明日の源流絵図の仕上がりを見るのが楽しみだ。

2002年4月30日(火)[22:53:24]  
朝から小菅村の一大イベント、「多摩源流まつり」の準備に取りかかる。役場の職員総出でテントを張ったり、机を配置したり、ステージを掃除したりと大忙しであった。その間にも、朝日新聞を見た方から「源流・水干探訪の旅」への申し込みが続いた。定員を拡大してもすぐ埋まってしまった。マスコミの反響は凄いものだ。

2002年4月28日(日)[20:03:36]  
 朝早く家を発ち、白糸の滝に向かう。新緑の白糸の滝は美しい。写真を撮っていたら、名前を呼ばれた。昨年源流体験教室にお見えになった昭島市の成隣小学校の高倉先生だった。朝日の記事を見て白糸の新緑が綺麗だったので、家族出来たとのことだった。今年も四年生を担任しているので、是非源流体験に取り組みたいとのことであった。
 午前9時45分に県立ろう学校の厚芝先生たち5名が、源流体験教室の下見にお見えになった。車で、白糸の滝上流の体験コースまで行く。長靴の丈が短かったので、何人かの先生は冷たい想いをされたが、源流体験コースは大変気に入った様子だった。県立ろう学校の取り組みは、山梨県内では、初めての取り組みなので、重視して取り組みたいと考えている。
 源流体験教室の案内が終わった後、世界水フォーラムの申請書を英語で7枚書くことが必要で、東京に向かい、娘の亜希ちゃんに手伝ってもらって書き上げた。

2002年4月27日(土)[23:26:22]  
 朝6時30分に奥多摩町へ源流絵図奥多摩版の作成のための、実踏調査に出かける。柳沢峠は気温2度。塩山から、丹波山をぬけて氷川を通り日原まで76キロ、1時間40分かかって、目的地の日原川上流に着く。八丁橋から、おりてマレイ淵に向かう。大きく蛇行したこの淵は、二段に分かれ、上段と下の淵との境に大きな流木がはさまっている。下渕は青々として水を満々と蓄えていて、いかにも沢山の魚が泳いでいる感じの淵である。その淵を巻いてキムラ淵に向かう。明治時代に、キムラという釣り人がここに落っこちたことがこの淵の由来とか。左岸は絶壁で右岸をヘツルが、ザイルなしには危険なところ。この淵を巻き、鉄砲出しをしていた明るい河原をすぎるとジュウロウジ淵につく。渕尻の方が大きく開く感じの深い淵。その上流のヤナをかけたといわれる場所を通り、景観の良い谷につく。両岸が高い壁になっていて所々に鋭い岩が迫り出している。この谷には、名前がない。周辺を観察するとユズリハの木が群生していたので、ユズリハ谷と呼ぶことにした。丁度今ユズリハに新芽がのびて、古い葉がはらはらと落ち、名の如く場所を新芽に譲っていた。
 午後は、山崎進釣り名人を訪ね、前回の話の続きを聞いていく。日原川の本流に引き続いて、カラマツ谷、ナガサワ、小川谷、孫惣谷に関する淵、滝を教えていただいた。もの凄い記憶力である。淵と淵の距離もおよそ見当がつくという。小学校にあがる前から、お父さんに連れられて日原川を歩き回ったとか。地形が体に染み込んでいるのだろう。
 夜、家に着くと朝日新聞を見たという読者から、「源流・水干探訪の旅」と「源流・大菩薩探訪の旅」への申し込みが次から次へ私の携帯にかかってきた。娘の亜希からもメールが届き「素敵な写真と記事が載っているよ」と伝えてきた。新聞の反響は実に大きいものだ。源流の魅力を様々なマスコミに紹介したいと思う。

2002年4月26日(金)[22:37:24]  
 朝10時に「源流絵図」小菅版の色校正をやる。少し色が濃く見づらいところがあった。石川さんも来てくれて、二人とも同じ意見だった。サンニチ印刷に絵図の色調を明るくするよう頼む。それさえクリアされれば、いうことなしである。
 源流研究所に向かう。柳沢峠は、0度と寒かった。寒の戻りとはいえ、変化がきつすぎる。
 午後から、日野市のふるさと博物館の学芸員が源流研究所に来られた。調布市の源流写真展を見に来られたとかで、会場で井村さんと話が弾み、小菅に来ることになったとか。日野市で行われる夏の企画展に源流の写真を借りたいとのこと。また、体験事業として源流体験に取り組みたいとのことで、井村さんと三人で、体験コースの下見にでかける。。源流を歩きながら、源流体験のねらいを説明する。説明に頷き、熱心にメモを取っておられた。本人がとても気に入った様子だった。8月頃に、親子で源流体験にたきいとのことであった。また、これを機会に日野市と源流との交流を強めることを確認しあった。井村さんと学芸員を奥多摩駅までお送りする。大変意欲的で印象の良い方で、すがすがしい出合いになった。

2002年4月25日(木)[22:19:03]  
 東京の農大の菅原先生が学生2人を連れてお見えになった。昨年の林相調査に引き続き、今年の調査の下見が目的である。10時10分に林道終点を出発する。牛の寝に登り始めると次から次へと広葉樹や針葉樹に出くわすようになる。少しでも覚えていこうと菅原先生に木の名前を尋ねながら歩く。
 ルートは、牛の寝からカヤオ、玉蝶の頭からフルコンバに至るコース。北面から何面に向かう。実に多くの樹木と向き合う。ケヤキ、シオジ、チドリノキ、ナツツバキ、ヨグソミネバリ、イヌブナ、モミ、ミツバツツジ、ユズリハ、リョウブ、ハウチワカエデ、コウチワカエデ、コミネカエデ、ミネカエデ、ネジキ、ツガ、アセビ、ミズナラ、ジゾウカンバ、クリ、ホウノキ、サワグルミ、ウリハダカエデ、イタヤカエデ、シラビソ、ヒノキ、アオハダ、ネコシデ、ガマズミ、ツリバナ、ブナトネリコ、アベマキなどと実に種類が多い。
 まだ、新芽の出ていない木が多いので、種類の判明しない樹木も多いが、ここら一帯は、温帯と亜寒帯の狭間にあたり、北限、南限双方がみられるという。農大の学生の研修の場としても面白い場所だという。また、ツルが大繁殖している場所もあるなど変化に富んでいた。北面は、ガマズミ、ツガ、ジゾウカンバなどが、南面は、シラビソ、ダケカンバなどが特徴的であった。
 蔓の中でサンカクヅルという行者の水と別名を持つ蔓があった。傷つけると水が滴るそうだ。かなりきつい6時間30分の実踏調査だったが実りの多い調査だった。菅原先生の熱意には感謝する。
 夕方、魚の調査に参加した。ウグイ、オイカワ、ニジマス、ヤマメなどの姿が確認できた。

2002年4月24日(水)[10:52:39]  
「多摩川源流絵図」小菅版の最終校正の日が訪れた。昨晩夜遅くまで、我妻の真里さんがぶつぶつ言いながら最終チェックをやってくれた。その後、自分で真夜中の1時まで繰り返し点検した。朝、小菅村の村長や助役、佐藤さん、加藤さん、青柳さんなどにチェックしていただき、佐藤さんから電話で私の携帯に繰り返し繰り返し訂正が入る。小菅村の宝物にしていこうというみんなの熱意をぷんぷん感じながら、最終校正をやり遂げていった。最後の最後まで少しでも正確に少しでも出来映えの良いものをとみんなの知恵を寄せ合った。朝、10時15分、サンニチ印刷の望月和文さんに最終稿を渡した。色校正は、26日の朝10時にやることになった。
 大仕事が一段落してから、奥多摩町に向かう。午後2時から、多摩川源流域第3回助役会議が開催された。塩山市の日原助役、奥多摩町の河村助役、丹波山村の橋詰総務課長、小菅村の古家助役及び塩山市の北井企画財政課長、萩原係長、奥多摩町の加藤企画財政係長、小菅村の佐藤総務課主幹並びに源流研究所の中村所長が出席した。
河村助役を議長に、第二回助役会議の報告、続いて、懸案の源流協議会の規約に関する討議にはいる。規約の目的、源流協議会の事業内容、体制、分担金、監査役、事務局について、項目毎に様々な意見提案がなされ、一つ一つ検討されていった。
 源流協議会は、塩山市、奥多摩町、丹波山村、小菅村の四市町村で構成すること。会長に関しては、任期を二年にして、輪番制にすること、塩山市、奥多摩町、丹波山村、小菅村の順に廻ること、源流協議会には、助役会、幹事会(事務局)を置くことが出来ること。分担金は源流協議会で決めること、監査役には、収入役にあたってもらうこと、源流協議会の事務局は源流研究所に置くことなどが話し合われ、7月上旬に結成総会を小菅村で開催することが申し合わされた。源流協議会の規約は総会で決定される。今年の事業として殿下の源流域御視察のまとめと源流協議会の総会のまとめをパンフレットで発行することになった。
 昨年から、熱心に議論されてきた源流域の協調体制のあり方に関して、大きな第一歩が踏み出されたことになる。それぞれの市町村に都水源林が所在するという共通の立場から、この源流の価値や可能性の探求に向けた調査研究を共同で実施しようと言うことが確認された意義は大きい。事務局に指名された源流研究所の責務はまことに重大である。真摯に誠実に頑張りたい。


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