文明の源流日記


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2002年7月31日(水)[19:42:11]  
朝7時30分に自宅を出発し、源流研究所で井村主任研究員と待ち合わせ、奥多摩駅に向かう。奥多摩駅でTBS関連の現代センターの河崎さんと落ち合い、日原川の実踏調査に向かう。日原の集落を過ぎ、伊勢橋、八丁橋をすぎて、巳ノ戸谷出会い上流の吊り橋から上流に向かって歩く。
 日原の釣り名人の山崎進さんから吊り橋から400b500b上流に悪場があると教えられたので、そこに向かう。右岸が鋭く切り立ち、青々とした淵を従えた悪場に出会う。淵頭は、明るく開けている空間に、二段の流れ込みがあり、無名淵なのがもったいない感じがする。
 ここでカメラを置き、胴長の上部をザイルでしっかり縛り、胴長のままで万一淵に落ちたとき、どれだけ水が胴長に浸入するかを試そうと井村主任と二人で胸まで浸かる。水温は、14度ぐらいであった。じわりじわりと水が浸入してくるのが分かった。長時間水に浸るとやばいと思った。濡れたついでに、上流に行こうと胸まで流れに浸りながら岩をヘツリ第一の悪場を突破する。第二の悪場もなかなかの迫力であった。そこを突破するとやさしい流れが待っていた。帰り始めると、崖の上から呼び声が聞こえるので振り向くと、なんと河崎さんが崖の上で手を振っていた。立ち往生している状態だったので、下りが危険なので絶対無理をしないこと、木が生えているルートを歩くことを下から指示し、ザイルを持って助けに向かう。幸い、崖に棚が出来ておりかろうじて無事に降りることが出来た。河崎さん曰く「下りの怖さを知った」とのことだった。

2002年7月30日(火)[07:00:04]  
 午後3時から、「多摩川源流協議会」設立総会が小菅村役場2階会議室で開催された。三枝塩山市長、大館奥多摩町長、守屋丹波山村長、廣瀬小菅村長の関係4市町村長と日原塩山市助役、河村奥多摩町助役、岡部丹波山村議会事務局長、古家小菅村助役をはじめ、企画財政課長、総務課長、、担当者、源流研究所と京浜工事所長、山梨県の塩山建設部長、大月建設部長、水源林管理事務所長、岩井國臣秘書などの来賓など出席。報道関係者は、NHK、朝日、読売、毎日、山梨日々新聞の5社がそろった。この取り組みへの関心の高さを反映してのものである。
 総会では、奥多摩町の河村助役が、源流協議会結成の趣旨と経過を報告、仮の議長に小菅村の廣瀬村長がなって源流協議会の規約の制定と役員の選出を行った。会長に三枝塩山市長、副会長に大館奥多摩町長がそれぞれ選ばれ、三枝市長が代表してあいさつを行った。三枝市長は「関係4市町村が協調体制を確立して、源流域全体の自然環境の保全に取り組むこと、綺麗な水と豊かな森づくりに取り組めば中流、下流からの源流への関心は必ず広がると確信する」と強調された。来賓のあいさつも大変よい内容であった。総会は、事務局からの事業計画と予算の提案を承認して無事に終了した。総会で、源流研究所が源流協議会の事務局に正式になった。責任重大である。
 この源流域の4市町村が協調体制を確立した意義は計り知れないほど大きいものがある。市町村の枠を越え、さらに都県の枠を越えて水源林を守ろうと連携した例は全国でも珍しい。この協調体制を益々強固なものにするために力を尽くしたい。

2002年7月29日(月)[06:30:45]  
 TBSの河崎さんと小菅川の「妙見五段の滝」にむかう。多摩川源流絵図小菅版づくりの苦労と、その過程で発見した「妙見五段の滝」の姿を映像に収めてもらうことを目的に源流にはいる。
 林道の終点から、山道を通り、山葵田につく。橋を渡らないでいよいよ沢登り。石が連続する小菅川。ここから「妙見五段の滝」まで、石がとぎれることはない。小菅川源流は石の渓谷である。鳥小屋沢出会いのシオジの巨木。無名滝の右岸の大きな石。そして、いよいよ「妙見五段の滝」。いつ見ても素晴らしい。硬い岩盤を刻み流れ下る清流。いつまで見ていても飽きることがない。この滝は小菅村と多摩川源流の大きな財産である。

2002年7月28日(日)[06:17:53]  
 川崎の水辺の楽校の2日目。午前中は、長作で魚のつかみ取り。少し深いところに放流したら、100匹中68匹が捕まった。子供達は、冷たい川の中に飛び込み必死で魚を追い回していた。少し深いと捕まらないと佐藤事務局長が言ったとおり、3割の魚は掴み損なったことになる。良い経験になった。捕まえた魚をみんなで焼いて、おにぎりのおかずにして食べた。昼からは、田元橋下流の親水ゾーンで水泳を楽しむ。水が冷たいにも係わらず、子供達は、それは元気に泳ぎ回っていた。怪我もなく無事に源流体験が終了した。川崎の水辺の楽校の皆さんご苦労様でした。

2002年7月27日(土)[06:08:56]  
 川崎の水辺の楽校・65名が源流体験のため、朝10時に奥多摩駅に到着した。駅では、佐々木梅吉さん、鈴木真知子さん、本木さん、御崎さんらと握手を交わす。今回、川崎市から、都市計画課の北井課長、岡田さん、福田さんの三名が同行された。源流研究所周辺で昼食を取ったら源流研究所で「源流体験」出発式を行った。先ず全員にヘルメットをかぶらせる。中村所長は「源流には道はない。危険が待ちかまえている。怪我もする。足を捻挫する。滑って転ぶ。しかし、どんな場合でも自分の安全は自分で守るという自覚を持つことが大切。大人に安全確保についてもらう。現地では、源流研究所のスタッフの指示には、必ず従うこと」と親子に向かって話をする。
 3班に分かれて源流体験にはいる。親子とも先ず水の綺麗さと冷たさに感激の声が挙がる。釜淵では、本木さん、岡田さんらに安全確保についてもらい、子供に岩場のヘツリに挑戦させる。自然の厳しさに立ち向かう子供の真剣さが表情に表れる。瞳淵では、余りの流れの透明感に引き込まれて、淵に入って遊ぶ子供が何人もあらわれる。子供は水遊びが大好きである。水遊びに夢中になっている子供は実に生き生きとしている。
 夜の長作寺子屋自然塾でのカレーライスは、みんなで作り楽しかったし、美味しかった。夕食の後、御鷹神社のムササビ観察に出かける。可愛いムササビの姿を見れて子供達は満足であった。

2002年7月26日(金)[05:41:55]  
 多摩川源流協議会の設立総会に向けての準備に追われる。会場の設営、設立総会の式次第に基づく進行のプログラムづくり、出席者の確認、来賓の確認等々の段取りをやる。
 さらに、NHK、朝日、読売、毎日、山梨日々新聞など報道関係者にも設立総会の案内を流す。早速山梨日々新聞の今村記者から連絡があり、都府県をこえて水源林を守ろうという取り組みは大変重要とのデスクからの指示があり、詳しい情報を欲しいとの反応があった。この取り組みの意義が大いに広がることを祈る。

2002年7月25日(木)[05:30:17]  
 朝10時過ぎに東京農大の宮林先生が、大学院生の根津さんを同行して源流研究所にお見えになった。宮林先生は、長作地区の生活や民俗などに大きな関心を持たれ、院生の研究テーマに取り上げるよう指導され、今日から、2週間長作の生活実態調査に入っていただくことになった。
 さらに、宮林先生からは、来年度事業として予定している「山林診断白書作成と民有林再生プロジェクト」に関するアドバイスも頂いた。とくに、民有地の再生問題は全国各地で大きな課題となっており、様々な角度から取り組まれているが何処でも大きな壁にぶちあたっていること、この問題の解決は容易ではないことなどの現状を確認。宮林先生の研究成果をいろいろご指導いただいた。根津さんのバイクを中村のおじちゃんから借りた。根津さんは、50tのバイクに乗って、塩山から小菅に向かった。若者は、ひたむきで良い。
 夜は、立川市の中央公民館で「水と森と食の祭典」の実行委員会の結成に向けての会議が開かれた。会議には、多摩川センターの山道さん、内田さん、下水道研究会の藤森さん、八王子の石田さん、多摩川源流観察会の石川さん、多摩川と語る会の田中喜美子さん、川崎・水と緑のネットワークの井田さん、川崎の水辺の楽校の佐々木さん、鈴木さん、多摩川の源流を訪ねる会・多摩川癒しの会の向山さん、リバーシップの会の長野先生、加藤真紀子さん、加藤さん、三郎さん、道志道の会の杉岡さん、ATTの矢間さん、小菅村の青柳振興課長、船木さん、源流研究所の所長、佐藤事務局長、井村主任研究員などなど沢山の方々が参加して、活発に議論され、10月19日、20日の「水と森と食の祭典」をみんなで協力して成功させようと意思確認できた。「水と森と食の祭典」の成功に向けて、力強い第一歩になった。


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