文明の源流日記


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2002年9月30日(月)[22:16:50]  
朝9時30分に、サンニチ新聞の今村記者が取材に見えた。特に今年度波紋を広げた「源流体験教室」の内容を説明した。5月の県立ろう学校を皮切りに、7月の小菅小学校4年生の親子の取り組み、川崎市の水辺の楽校、8月の瑞穂町教育委員会、稲城市青少年委員会のジュニアリーダー育成の取り組み、三鷹市教育委員会の取り組み、調布児童館、日野市ふるさと博物館、稲城市地区青少年委員会の取り組み、9月の多摩市諏訪小学校、昭島市成臨床学校などがこの夏「源流体験」を行ったことを話した。
 「源流体験」で何を目指すのか、それは川を人間の五感で知ること、心の中に消えることのない得がたい体験を刻むことにある。川は生まれたとき、流れている水が飲めるほど綺麗であること、汚染した水はなにも言わないけどこんな姿が俺の本当の姿ではないと心の中で叫んでいること、その叫びが分かる人間に育って欲しいことなどのねらいを語った。

2002年9月27日(金)[19:44:01]  
 柳沢峠の気温がこのところ急に冷えてきた。今日は9度まで気温が落ちていた。せっかちのモミジが色づき始めている。目立ちたがり屋なのか、土壌のせいか、風当たりのせいかよくわからないが、そろそろ紅葉が楽しめるようになってきた。
 午前中は、「水と森と食の祭典」「大地の恵み祭り」の打ち合わせ。参加者をどうもてなしていくか知恵の絞りどころだ。食の目玉がうかびあがつてきた。手打ちそばとイワナのお寿司。イワナかニジマスの寿司は、美味しいと思う。楽しみなメニューだ。
 午後からは、来年のプロジェクトを日本財団の援助を受ける形でどう展開するかの案を考えていた。助成の要綱には、水源の森などの環境活動への援助は無かったが、時代なので、新しい取り組みへの支援はやっているとのこと。ホットした。
 また、横浜市水源林の交流事業に関する聞き取りを行った。横浜市は、道志のゴルフ場問題を契機に、水道局とね18の区役所説くんで毎年「水源地視察」を計画している。こうした取り組みをしっかり調べていきたい。
夜は、井村さんの「雑穀研究会」に参加した。全国各地から雑穀研究家が集まり、様々な角度から検討し、現状を出し合い、問題点と課題、今後の方向を論じあうのである。夜は、若手の三名が、上野原、丹波山、小菅の現状を出し合った。もちろん、小菅に関しては井村さんが研究報告を行ったが、調査の実績といい、実態の把握といい、井村さんの報告がずば抜けていた。小菅からは、廣瀬村長、青柳課長、加藤課長、佐藤事務局長及び村の長老たちと参加者の顔ぶれはなかなか多彩だった。これも、井村さんの日頃の村民との結びつきの強さの証明である。隣りに村長が座られたので、いろんな事を話した。今度の議会で源流研究所にかんして、今年度の活躍を評価する意見が色々出されたという。嬉しいことである。いずれにしろ、源流研究所を設立する判断をした廣瀬村長や幹部の方々に感謝である。

2002年9月26日(木)[19:36:15]  
 昭島市の成臨小学校が、「源流体験」にやってきた。午前10時過ぎに源流研究所に到着し、早速3班に分かれて源流に向かう。A班の責任者は文明所長、B班は井村主任研究員、C班は佐藤事務局長。AとB班は、源流について昼飯を食べる。
 子ども達を前に「今日は滑ります。足をひねります。小さな危険に出会いますが自分の安全は自分で守ってください。自分の力を信じて自分の判断で源流を歩いてください」と激励する。水は大変冷たかったが、生徒達は大変元気で、釜淵では全員がチャレンジコースに挑んだ。校長先生を初め先生、保護者のみんなに喜んでいただいた。

2002年9月25日(木)[10:41:53]  
 川崎市の日本民家園にお勤めの三輪修三先生に長作観音堂の調査に入っていただいた。これは「多摩川を訪ねる会」の田中喜美子さんが民家園に出入りしていて三輪先生のファンになり、こちらに紹介していただいた経過があり実現したもの。三輪先生には、春に一度お会いして話を伺ったことがあり、大変触発されたが是非現地を視察していただきたいと思い、長作の観音堂の「長作観世音礼拝所」主任の守重初男さんに調査の依頼をして条件を整えてきた。なにせ、観音堂の仏は地元でも見たことがない人がほとんどで、いわば「秘仏」になっていた。「仏さんを見ると目がつぶれる」との言い伝えがあり、固く守られてきたからだ。これは、それだけこの仏を大切にしてきた証拠でもある。
 現地では、三輪先生から様々のことを教わった。基本的な形は、三間堂になっていること、正面に孫庇がのびていること、奥の三間堂と孫庇には段差があり、奥は坊主など聖職者が入り、手前に在家の庶民が入るところになっていたこと、桁を支える船肘木は両方に広くのびていて桁を長く受けて安定していること、これが鎌倉時代の特徴であること、仏様は如意輪観音であること、六脂であり何本かは欠けていること、本体は一木と考えられることなとなど。観音堂も厨子も仏も鎌倉時代のものであることが判明した。特に仏に関しては今回の調査が初めての試みであり、今後継続して保存や活用を検討していくことが大切である。

2002年9月24日(火)[16:12:30]  
 朝、8時30分に奥多摩町役場に河村助役を訪ね、「源流絵図」奥多摩版の進捗状況を報告する。これまで、日原の山崎進氏から聞き取った内容に、自ら源流を実踏調査した報告書をお見せしながら説明した。原島観光産業課長も同席された。これには、TBS系の現代センターの河崎さんが取材に訪れた。前回の放送が好評だったとかで、上司からの推薦番組になって今回の撮影になったという。約3ヶ月間取材が続いた。いい番組ができるしいい。
 奥多摩・峰谷の峰にお住まいの大野国太郎さん宅に話を聞きに行く。大野さん宅は、標高980bに位置する住まいで東京で一番高い場所の住宅だという。正面が御前山で、奥多摩周遊道路の月夜野駐車場とほぼ同じ高さだという。大野さん宅は、判明しているだけでも、江戸時代中期からここに住んでいるという。
 国太郎さんは、昭和21年から50年近く猟を続けてきたという。オオモノといわれる熊や獅子や鹿を捕ったという。鹿の角に関する面白い話を聞いた。鹿の角は毎年生え替わる。落ちる時期は、4月だそうだ。鹿が頭をブルブル振ると片方が落ちて、もう片方は一日、二日してから違う場所に落ちるという。
 昔は、タラの芽を食べると落ちるといわれていたそうだか、今は少し早くなっているらしい。落角は、立派でも細工物には向かないという。自然落下まで待つと中に素がひろがり、価値が下がるという。鹿の角は、片方づつ落ちていくので、両方がそろって発見されることはまずないという。国太郎さんは、偶然に自分の畑の近くで両方を見つけたという。トウモロコシやサツマイモ、そば、野菜など作物に関して、今は何を作っても鹿に食べられて全く収穫がないという。鹿が大量発生したのは、20数年前に鹿の禁猟が始まってからという。カモシカは絶滅寸前ということでもっと前から禁猟になっていたという。この集落では、お年寄りは、自家製の野菜はどの家でも造れるのに、鹿の害がひどくなってほとんどの家が作らなくなったという。鹿が食べた上に、イノシシや猿がかき回すのでお手上げという。又ちかいうちに聞き取りにお伺いすると約束して引き上げた。

2002年9月21日(土)[15:41:26]  
 読売・日本テレビ文化センターの「多摩川源流を歩く」シリーズの最終回、「源流・大菩薩探訪の旅」の日がやってきた。木村支配人を中心に、4月から6回連続したこの取り組みは、大変好評であった。初回は、小菅村探索、二回目は、黒川鶏冠山、三回目は雲取山・水干、四回目は、奥多摩・巨樹を訪ねて、五回目は悠久の谷・三条を訪ねて、と源流域全体を歩いてきた。
 最終回は、一日目が松姫峠散策、二日目が大菩薩探訪であった。夜の広瀬旅館の交流会も大変盛り上がり、たくさんの方が源流ファン倶楽部にも入会いただいた。参加者から是非来年に繋いでほしいという嬉しい申し出があった。

2002年9月20日(金)[15:29:02]  
 小菅村と源流研究所のホームページの打ち合わせが研究所で午前10時30分から行われた。塩山電機の広瀬郁夫さん、佐藤さん、船木譲さん、横瀬絵里子さん、井村さん、中村所長らが顔をそろえた。小菅村のホームページに関して、観光担当の譲さんから、新しいバージョンが提案され、それに基づいてそれぞれが分担して、仕上げていくことになった。
 打ち合わせ終了後、役場で、「水と森と食の祭典」の式次第に関して、古家助役、奥秋総務課長、佐藤、中村で打ち合わせを行う。式典の部と懇親会の部のそれぞれの確認を行う。午後からは、おばあちゃんの骨折の手術が予定されていたので、塩山市民病院に向かう。大腿骨頚部内測骨折。無事に終わる。夜小菅の広報の記事を書く。


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