文明の源流日記


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2002年12月27日(金)[05:41:48]  
今日は仕事納めである。午前中、源流協議会関係の事務処理に追われる。午後3時30分より小菅村役場の2階会議室で、仕事納めの式が催された。廣瀬村長は、財政厳しい中職員が仕事に打ち込んできたことにねぎらいの言葉を述べた後、来年度は、合併問題がいよいよ正念場を迎えること、そのなかにあって、3つの重点課題に職員一丸となって力を尽くすよう呼びかけた。第一は、環境と観光を結びつけて、源流研究所とともに、源流を活かしたむらづくり、第二は、林業廃棄物処理施設を活用した循環型の新しい村づくり、第三は、松姫トンネルの開通実現に向けた態勢づくり、の3点であった。
 いや、驚いたことに、来年度は、小菅村を挙げて、源流研究所と共に源流を活かした村づくりへ挑戦するという。この1年8ヶ月、源流研究所が取り組み、切り開いてきた数々の実績がしっかりと評価され、定着し、その路線を村を挙げて推進する方向が打ち出された。いゃー凄いことなった。嬉しい。自分のやってきたことが、社会のためになって、源流の方々に喜んでいただいた。こんな幸せなことはない。やりましょう。やりましょう。みんなと力を合わせて、源流に希望の光が明々と灯るまで。
 この一年、充実した活動を展開し、身の丈を越えるほどの取り組みもたた有り、途中で疲労がたまり、くたばりかけたが、佐藤さんや村の職員の方々、井村主任など多くの方に励まされながらここまで辿り着いた。一人の力はしれている。みんなが心を一つにすること、これこそ、小菅村の最大の財産であろう。来年も頑張るぞー。時代に後押しされて、ここまできたが、前進・発展の時こそ、謙虚に地道に進んでいきたい。ここで、自惚れたらお終い。源流に感謝しながらこれからも頑張りたい。

2002年12月26日(木)[17:47:10]  
 源流研究所の来年度の事業の一つに「源流の森再生事業」がある。戦後の拡大造林によって植裁された杉や檜が間伐されずに放置されている事態を改善していく取り組みに挑戦しょうというものである。その件で日本財団に支援をお願いしている。
 朝7時23分発の特急かいじ号で新宿に向かう。途中立川で佐藤さんに会い溜池山王にある日本財団を目指す。先日、担当の外海さんから電話があり、来年度の申請の件で上司が話をしたいとの連絡があったのででむいていった。日本財団としては、どんな考えで事業を展開するのか、森林の間伐を担うボランティアはどんな方々でどう処遇するのかなど具体的な話がなされた。助成金の終わりが事業展開の終わりにならないためには、始めからどんな構えが必要なのかなど様々な事例を挙げながら説明がなされた。
 源流研究所が流域の市民団体とどのような連携をとりながらこの事業を進めていくのかについて、具体的な注文が寄せられた。源流の森を流域の市民が守っていく仕組みをどう作り上げていくかいよいよ知恵のだしどころと言うところである。源流域の民有林の状態をこのまま放置することは許されないことで、国家的な損失にあたる大問題である。色々障害はあるだろうが、広く流域の皆さんに現状を知らせて、多くの方々の支援と協力を得ながらこの事業を成功させたい。日本各地の人工林が弱っている。機能が劣化している。日本の将来の利益のために、今からやれることをやっていきたい。こつこつ成果を上げれば、必ずどこかが支援の手をさしのべてくれることだろう。ここで弱気になっては駄目だ。困難だからこそ、前を向いて歩こう。

2002年12月25日(水)[19:41:36]  
 東京に出張。「源流プロジェクト21」の委員に推薦する渋沢さんへの打診のため、新宿区の曙橋に山道さんと出向く。渋沢さんは、戦前の日本の大番頭であった、渋沢栄一の曾孫に当たられるとかで、日本各地で活躍され、今、森をテーマにNPO活動にも力を入れられている。
 「源流絵図」の取り組みを話したら、大変感心されていて、半端な活動ではこうしたものは生まれないと述べられていた。申し入れは、快く承諾していただいた。

2002年12月24日(火)[19:36:13]  
 多摩川源流協議会の第四回助役会議が開催された。来年度の事業計画と予算が審議され、基本的には承認された。特に「源流プロジェクト21」は今後の源流のあり方に重要な役割を果たすので、首長の意見を良く尊重して事に当たることが望ましいとの結論に達し、1月20日前後に多摩川源流協議会を開催することになった。沢山の具体的で建設的な意見が出された。

2002年12月23日(月)[19:31:34]  
 家内と娘二人は三人でこの連休を利用して台湾に旅行に出かけた。この日帰ってくるので成田空港まで迎えに行った。そのついでに朝早く出かけて。成田山詣でを行った。弘法大師空海の教えを伝えるこの成田山。行きたい行きたいと思いながら、その夢が果たせないままで居たが、初めてで向いて、成田山が庶民に慕われている理由が分かったような気がした。建造物の重厚さや敷地の広大さもさることながら、ご本尊の魔力が最大の魅力なのだろう。
 ご本尊の不動明王の前に立つと誰でもその威力にとりつかれるのであろうか。それほどの迫力と底力を感じさせていた。不動明王がご本尊であることに驚いたが、我々にとって不動明王は源流域の滝の名前にしばしば登場する切っても切れない関係があるのだ。
 不動明王の後光にあたる火焔は、カルラ鳥という毒竜を食する鳥のかたちをしているのでカルラ焔ともよばれ、人々の煩悩を焼き尽くすことを意味し、このことから知恵の焔といわれている。右手に持っている剣は、煩悩を断ち切り、左手に持っている索は、全ての人々を包容し、またはすべての障ゲとなるなるものを縛って自由自在に活動することを表しており、座っている岩は、なにごとにも動じないさとりの心の強さを表しているという。
 不動明王と会話すること1時間、またゆっくりお出かけあれ、との沙汰もあり、幾度となく通いたくなるお寺である。それにしても、弘法大師空海の力は凄いものである。
 我が家の三人はそれは元気に日本に帰ってこられた。台湾の料理の美味しさを繰り返し繰り返し聞かされた。

2002年12月22日(日)[19:04:47]  
 朝10時から、東京農大で水環境全国シンポが再会され、今後のあり方が議論された。10周年を迎え、今後水環境全国交流会を法人化していくことが話し合われた。その役割は、政策の提言、川に関する調査と情報の発信、人材の育成などを掲げ、全国ネットワークを構築する方向が確認された。
 夕方からは、狛江市で京浜工事事務所の新旧所長の歓送迎会が開催され、小菅村から、青柳課長、文明所長、佐藤事務局長の3名が出席した。高野前所長、海野現所長のお二方には、それぞれ大変お世話になっているので、心を込めて挨拶を交わした。高橋裕先生を始め、各界の有志が会場を埋めつくした。海野所長からは、来年2月の福岡講演に関して、源流の資料をよろしくと頼まれた。とうきゅう環境浄化財団の岩間事務局長と席をおなじくしたので、親しく会話を交わした。

2002年12月21日(土)[18:53:25]  
 水環境全国交流会のシンポジウムに参加する。午後1時から、東京農業大学のアカデミーホールで開始された。今川を巡って沢山のNPOガ生まれ、活動しているが、法人の資格を取得しながら悪戦苦闘している現状が全国各地から報告された。我が源流研究所の場合、小菅村の財団法人でありながら、活動の目線は市民の立場にあるというユニークなところがある。何処も、人材、資金などで困っており、市民活動の障害は何か、どうして障害を乗り越えたのかなどが、各地から報告された。夜は、懇親会で各地の方々と親しく会話を交わした。


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