文明の源流日記


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2003年5月31日(土)[18:20:46]  
 台風による影響で朝から雨が強く降っている。今日の「源流大菩薩探訪の旅」は、多分何人かのキャンセルが出るなと覚悟して奥多摩駅に、小菅村役場の奥秋一俊さんと向かう。驚いたことに、仕事の関係で1週間前に何人かキャンセルがあったが、台風による天候悪化を原因とするキャンセルは一人もなかった。島田真里さん、高橋尚子さん、峰岸さん、谷口さん、池田さんなどなど顔見知りの方々がたくさんおられる。台風覚悟で多くの源流ファンが小菅村を訪ねてくれる。本当に頭が下がった。
 白糸の滝や雄滝は、強い雨による林道崩落の危険性があるので、避けることにして、奥多摩湖の「水と緑のふれあい館」を見学してもらい、昼食は亀井屋旅館の美味しいうどんとジャガイモの煮物などを頂いた。昼食後、源流研究所紹介、小菅村紹介、そして自己紹介をした。参加者の暖かい会話が続き、とてもいい雰囲気の中、楽しい一時をすごした。その後、長作の御鷹神社と観音堂に回った。観音堂では、三輪先生の調査報告をかいつまんで紹介したところ、大変好評で、分かり易かったとの感想を何人もから頂いた。時間が余ったので、小菅の湯に入ってもらった。
 これから、夜の夕食と懇親会があるが、楽しい有意義な時間を過ごせそうだ。

2003年5月30日(金)[22:01:51]  
 明日から「源流・大菩薩探訪の旅」が予定されているというのに、台風4号が北上して、土曜日曜が雨だという。こんな時期に台風が上陸するとは聞いたことがない。梅雨前線と連動して大雨が九州で降っている。佐藤さんと話し合って、土曜日に強い雨が降ったならコースを変更して、安全なコースを歩くことにした。なにより参加者の安全が第一であり、無理をしないことである。
 明日に備えて、長作観音堂の資料を調べていたら、昨年調査していただいた三輪先生の調査報告書が出てきた。それに寄れば、長作観音堂は、仏堂の形式から言うと、如意輪観音が祀られた阿弥陀堂建築様式の類型にはいるという。その最大の特徴は、本尊安置の厨子・須弥檀が通常の本堂のように一番奥にあるのではなく、ほほ正方形をなす内部空間の中央に置かれることだそうだ。そのため、厨子の後ろにも余間が出来て僧侶はその間を抜けてぐるぐる回りながら経文を唱え修行をしたという。この堂はそうした修行道場としての役割を果たしていたらしい。この堂は鎌倉時代中期頃、和様の手法で作られた阿弥陀堂形式の住宅風仏堂として、東日本にはその類例の少ない貴重な遺構だという。あらためて、長作観音堂の歴史的文化的な価値の大きさに目を見張った。4時頃源流研究所を出て、写真屋さんに向かう。春日居町の信玄カメラまで、1時間40分、5時40分頃につく。この5月に取った新緑の写真のプリントをお願いする。白糸の滝がなかなか良い。奥多摩町の渓谷や丹波渓谷も良い。期待したより良いものが出来ていたので、ホッとした。この間、肩が凝りすぎてよく眠れないので、整体にいく。体中が硬くて血の巡りが悪い、少しは休みを取りなさいと注意された。
 空が段々怪しくなってきている。明日の天気は変えられないが、せめて日曜日は、穏やかであって欲しい。天にまします神様、ブンのお願いを聞いてください。お願いします。

2003年5月29日(木)[20:53:03]  
 午前9時過ぎに北都留森林組合小菅支部に佐藤さんと二人でお願いに上がる。「森林再生プロジェクト」の今後の進め方に関して、木下栄行さんと相談する。今川森林団地の峠に近い場所から「森林診断」とボランティアによる間伐作業を、山林所有者の協力を得ながら進めることになった。6月の間伐に関しては、森林組合からインストラクターを7名確保していただくことになった。指導者の不足に関しては、山林所有者や地元の方にお願いすることになった。日本財団から、素晴らしい写真が沢山送られてきたので、森林組合に手渡したら大変喜ばれた。この「森林再生プロジェクト」事業は、地元の森林組合との協力関係が最も大切であるが、この取り組みの中でこれまで以上に友好関係が深まっていることがなにより嬉しい。
 森林組合との話が終わったら、牛の寝の巨木調査に出かけた。このコースの難点である展望が利かない点に関して、途中を迂回して鶴根山に登ってみたら、小金沢嶺が良く見通せた。その頂上に大きなブナもあり、なかなか良いコースである。この山には、341センチと307センチのブナ、284センチのミズナラがあった。牛の寝には、395センチのミズメ、399と331,327,298センチのブナ、315と276,328,395のミズナラが確認できた。
 山沢入りから、幻の大トチを探して山道を下る。途中、朽ちた大きなブナが道を塞いだり、春先の重たい雪でなぎ倒されている木をくぐり抜けたりと悪戦苦闘しながら進んでいくと、15分ぐらい下った場所に、これまでに見たこともない巨大なトチが現れた。おそらく小菅村で最も存在感のある大きなトチであろう。
 筋肉隆々とした体格、歴史の重みをどっしりと感じさせる風格、樹齢500年は軽く越えている感じのトチの出現に本当に驚いた。妙見五段の滝と同様、たぶん小菅村の宝の一つになるだろう。この巨大なトチの精で、一帯の空間が他と違い、不思議な風が巻き上がっていた。いくら見続けていても飽きることがない。こんな凄いトチが今まで残っていてくれて有り難うと思わず手を合わせた。大きすぎて幹周りを図ることは出来なかった。7から8bはありそうな感じがした。
 松姫峠から歩き始めて、1時間20分のコースに幹周り3メートルを超える巨木が12本あった。大きな木に抱かれて気分がおおらかになり、体中がリフレッシュした。松姫峠が、標高1250bあるので、歩くコースは標高1300から1400bの高原地帯であり、爽やかな風が樹間を駆け抜ける。ブナやミズナラ、栗、トチなどの巨木と対話を重ねる最良の場所であり、「牛の寝巨樹探訪」の旅が楽しめる絶好の場所であると確信した。

2003年5月28日(水)[05:27:25]  
 やあやあ大変なことが起こりつつある。嬉しい悲鳴とでも言おうか。小菅村と源流研究所の目玉商品の一つである「源流体験教室」への申し込みが殺到している。6月に福生市教育委員会の「源流体験」を皮切りに、川崎市の宮内中学校、7月に、福生市の市民団体、ふる里村滞在の市民、東都生協、川崎市の多摩区の水辺の学楽、等々力の水辺の楽校、狛江市児童館、8月の稲城市の青少年委員会、三鷹市の教育委員会、狛江市の水辺の楽校、小平市のボーイスカウト、世田谷アドベンチャークラブ、アイシーエ、調布児童館、小平市水道業務課、瑞穂町教育委員会、9月の世田谷区松原小学校と18団体に及ぶ。8月には、参加者から好評の「源流古道水源林体験の旅」も予定されているから、殆ど休む暇がないほどである。
 源流研究所を立ち上げて、まだ2年しか経っていないが、短期間にこれほどの広がりを見せるとは驚きである。一度参加した人達からの感動的な感想を聞くにつれ、その反響のすごさは承知していたが、広がりの速度が、予想を超えている。子供たちに本物の自然に触れさせたい、日本の自然が大好きな子どもに成長してほしいとの願いから、「源流体験教室」を始めたが、そのねらい、目的の清々しさが、来る人の心を捉えたのであろう。これからもっともっと広がって行くであろう。問題は、受け入れ態勢である。来ていただいた人々に満足してもらえるおもてなしこそ命である。真心込めて一生懸命尽くしていきたい。

2003年5月27日(火)[20:04:34]  
 年を取ると朝早く目が醒めて困る。5時30分に起きて、朝飯を食らい、ひげを剃って、歯を磨いて6時15分に自宅を出る。天気予報は曇りであるが、奥多摩に向かうことにする。新緑がどこまで進んだか、気をもみながら日原街道を北上する。平石橋を過ぎて川のり谷にはいる。竜王橋、細倉橋、滝上橋を過ぎてなお進む。上流部は、奥多摩町の広大な町有林である。4200fある。東京オリンピックの時大がかりな記念植樹が行われていて、記念碑まで建てられている。どんどん進むとガスがかかってきて、見晴らしが利かなくなったので、百尋の滝を訪ねる。日原一の名曝である。細倉橋に車を止めて、絶壁を縫うように続く遊歩道を45分間歩く。高所恐怖症の方は、足を振るわせてしまいそうなところが幾つかある面白い山道である。途中の落葉広葉樹は秋が楽しみである。この滝は末広がりに流れ落ちる実に見応えのある堂々たる滝である。三段の突起があるお陰で、変化に富んだ流れを作り出しており、見るものを飽きさせない。よく観察すると上から三段目の下に硬い岩盤が滝にうたれて佇んでいた。右手を曲げて左手を体に巻いているような様子に読みとれて不思議な空間を作りだしていた。お坊さんが修行をしている。まさかと思いもう一度見るとやっぱり修行僧がいる。神々しくて神秘的な滝である。
 曇りの優しい光に導かれて、日原川本流の小川谷、伊勢橋上流、カツラの巨木、七ツ石渓谷、孫惣谷出会いと次々に源流の風景を写真に納めていく。昨日の牛の寝のブナ、ミズナラ、シオジ、クリなどの巨木との出会いに続き、今日のカツラとの語らい。源流を歩くと新しい発見、新しい出会いがいつも待っていてくれるから不思議だ。
 午後、奥多摩一の釣り名人、山崎進さんを訪ねる。繰り返し繰り返し訪ねても、ちっとも嫌がらずに丁寧に淵や滝の由来を語ってくれる山崎さん。素敵な源流絵図を一緒に作り上げるまで頑張ると師匠が語る。嬉しいかぎりである。孫惣谷の聞き取りを続行する。セッチンバ、マゴエモンクボの滝、トチの木クボの滝、ジュウベエ小屋淵、ヤケ小屋クボ、タカ滝、ウトウクボ、ゴクウショ、アララギ谷と続く。この谷の上流に天祖神社があり、江戸から明治にかけて大変な賑わいを見せ、途中に旅籠屋まであったそうで、お供えをして、身を清め、参拝に上がった場所を御供所と呼んだという。昔の歴史が刻まれた場所を巡ると、日本人の生き方の原点に会える気がする。

2003年5月26日(月)[18:06:37]  
 小菅村・源流研究所・小菅の湯・商工会の四者で牛の寝コースの視察に出かける。松姫峠を起点にして、棚倉から小菅の湯のコース、さらに足を延ばして棚楽から雄滝コースを想定して、松姫峠から歩き始める。標高1250bの松姫から、やく30分歩くと山の神の祠のある尾根に着く。そこを右に尾根沿いに進むと小永田地区の浅間神社に着く。祠をいたわるように大きな屋根が葺いてあり、昔から信仰の対象になってきたところである。浅間神社を祀るからには、富士信仰を象徴する何かがあるはずで、晴れた日にここに来てみたいものだ。周辺の窪にニリンソウの群生地とラショウモンカズラの群場が、重なり合っていた。
 山の神をすぎると大きなミズメの巨木が表れる。この木は傷つけるとサロメチールの臭いがする。カバノキ科の種類である。いたるところにイヌブナの株立ちがみられ、その群生ぶりは他を寄せ付けないほであった。ハリギリ(センノキ)やホウの木も目立つ感じがする。ブナの巨木があちこちに見える。山沢入りのヌタに11時頃に着く。ヌタとは、走り回ったイノシシが熱くなった足を冷やして疲れをとるぬかるみのことで、山のあちこちにあるという。山沢入りのヌタは、三又になっており、左の道を下ると約20分でトチノキノ巨木に辿り着くという。この三又には、ミズナラの巨木もあり目印にはもってこいである。
 山沢入りのヌタから、棚倉まで約1時間かかるが、クリダツからオオマトイの山頂付近まで、ミズナラとクリの木が大きさを競うように林立する。クリダツとは、クリの木のなかにある立間という場所で、立間とは、猟師がイノシシなどをイヌが追いかけて逃げてくるのを待っている場所のことらしい。余程クリの木が多いと云うことらしい。棚倉の避難小屋で昼食を取る。雨をしのぐだけの小屋であるが、休憩するには役に立つ。ここにも、大きなミズナラが立っていた。ここまでのコースが、これほど豊かで変化に富んでいるコースだとは、思いもよらなかった。
 棚倉からショナメ、狩り場の山の神、牛の寝通り、馬の背、カヤノオまで1時間30分かかる。途中ブナの巨木がおおくみられる。雄滝まで下っていってちょうど3時頃であった。いずれにしても大変魅力的なコースであった。小菅の湯の黒川さんの話によれば、鶴峠から松姫峠、松姫峠から棚倉を通り小菅の湯に下るコースもとても変化に富んでいいとのことであった。いずれにしても、一泊良し、日帰り良しのコースが出来そうである。

2003年5月23日(金)[12:36:03]  
 朝9時過ぎに塩山市の相沢企画財政課長に「多摩川源流プロジェクト21」の取り組みに関する報告とお礼にうかがった。相沢課長もこの取り組みは大変重要で個人的にもおおいに実りあるものだった、特に委員長の高橋裕先生の見識の深さ、会議のすする方、具体的な課題の提起など大変勉強になったと感想を述べられていた。
 本を読んでいたら、信州大学を退官された桜井善雄先生の退官の辞に出くわした。水辺の環境学の提唱者である先生らしく、昨今水辺の自然環境保全の面で、国土交通省もその方針を画期的に深化させてきていることを辿りながら、応用生態学の立場から言えば、今はどういう時代なのかと問いかけられている。環境から見ると20世紀が「人類がもっともクレイジーだつた世紀」と特徴づけられるだろうと指摘し、あらゆる生物の唯一無二の拠り所である太陽のエネルギーと現実に三態変化する水を大量に保持し得た地球の自然環境保全の大切さを格調高く述べられている。
 この働きとそれを支える仕組みこそ、正に地球が生きていくための最も基本的な「規範」であるはずと述べられている。どの時代かにこの根源的な規範の転換がおこったが、この規範への再転換の必要性を問われ、今何が必要なのかと投げかけられている。実に味わい深い本とであった。
 これから、源流の役割や価値、その可能性を探求していくものにとって、精神的な拠り所になるものである。人類と自然との共生は、果たして可能なのか、経済優先から資源循環型の社会の構築は実現できるのか、新しい人生観と価値観への深化が図れるのか、色々考えさせられた。


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