文明の源流日記


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2003年7月30日(水)[06:16:54]  
 まだ冷夏が続いていて、今朝の柳沢峠は気温15度であった。「奈良・吉野川源流絵図」関係の助成を受けるため、申請書類を提出したが、調査シートがおくられてきて質問項目が20もあったので、一つ一つに丁寧に応えていく。電話の多い日で、繰り返し繰り返し電話がかかってきた。
 午後2時頃に久しぶりにパーと晴れ上がり、梅雨明けかと思ったが、夕方にはまた雲が出てきて本格的な梅雨明けは明日か明後日のようだ。全国源流シンポジウムの事務局長の島根の豊田さんが、東南アジアから帰国し、現地の取り組みもいよいよ活気が出てきたようだ。高津川流域の市町村の会議の席上、全国源流シンポへの参加協力をお願いしたとのこと。流域での取り組みが盛り上がっていって欲しい。
 山梨県の観光課の中沢さんから電話が入ってきて、8月下旬から山梨県の観光振興のための検討会を開催するが、その委員になって欲しいとの依頼が舞い込んできた。源流研究所の活動が山梨県でも高く評価されているとのことで、中沢さんが8月上旬に源流研究所を訪れて正式に依頼するとか。大変嬉しいことで名誉なことである。源流研究所の存在が山梨県にも徐々に浸透していっていると言うことか。まだまだ2年間の実績しかない訳なので、調子に乗ったらお終いで、最低5年間の実績をみてからのことであろう。5年間頑張って、小菅村の村民から評価されて歓迎されたら、これは少しは大きい顔が出来るかもしれないが、これからが、いよいよ勝負といえよう。
 明日、川崎市の瀧田企画推進局長の退職を祝う会に参加するので、鈴木真知子さんにビジネスホテルをとってもらうよう依頼した。その電話で、鈴木さんの話によれば、「源流体験」は迫力があって大変だったが、皆さん感動したとのことで、鈴木さんの元気のいい声が一段とトーンが上がっていた。川崎の方々と会えるのが楽しみである。次の日は、朝から京浜河川事務所の海野所長との打ち合わせ、午後は、日本財団へのお願い、その次の日は、埼玉県大宮市で開催される荒川ネットワークのフォーラム参加と続く。8月には、「源流体験」の沢山の団体が小菅村を訪れてくれる。一つ一つの団体に真心を込めたもてなしをしていき、「源流に来て本当に良かった。今度は友達も連れてまた来たい」と満足していただける取り組みをしていきたいものだ。

2003年7月29日(火)[07:49:10]  
 狛江の児童館の「源流体験」の日である。児童・スタッフ35名で小菅川の源流に向かう。水量も多く、水温も冷たい状態が続いていた。しかし、子供たちは元気である。冷たい水の中を歩くので、みんなで「エイエイオー」と気合いを入れる。冷たい冷たいと騒いでいた子供たちも、しばらくすると冷たさになれてきてどんどん後からついてくる。寺内さんと阿部さんにサポートしていただきながら、戯れ淵、釜淵と進む。釜淵では、佐藤さんの部隊と合流して子供たちを見守ってあげる。多くの子どもがヒヤヒヤドキドキコースに挑戦する。かなり体が冷えているのに、のぞき淵では、ドボンドボンの飛び込みに挑戦する子どもが現れる。元気な女子は5回も飛び込み、西田さん、溝口さん等のスタッフも元気な子どもにつられてドボン。子供たちの夢中になっているときの笑顔が一番の喜びだった。
 朝、5時に目を覚ましたので、「第1回全国源流フォーラム」構想を練り上げていく。早朝の爽やかな風に後押しされて大筋が出来あがった。講師陣が凄い。まだ交渉中なので公表できないが、乞うご期待。

2003年7月28日(月)[07:33:51]  
 源流研究所で、もう一つの企画に取り組む。今年の12月に予定している「第1回全国源流フォーラム」の構想である。一つの新しい構想を立ち上げて行くには、かなりの知的な労力がいる。様々な本を読みあさって自らの脳を柔軟にしなければ良いアイデアは浮かばない。この間忙しすぎて本も十分に読めていない。そんな言い訳は通らないことは百も承知であるが、なかなか良い案が浮かばない。おまけに、「源流体験」の申し込みと下見の打ち合わせ、その他電話が次々にかかってくる。思考回路がとぎれてしまう。ブンメイの欠点は、ながら属が出来ないこと。うるさい場所では、考えがまとまらないのである。静かで神経が集中できる場所でなければまとまったものは書けないのである。結局この日は構想はまとまらなかった。
 午後からは、佐藤さんから電話が入り、佐藤さん、穣君の3名で「源流体験」コースの道の普請に出かける。のぞき淵から林道に出る山道が滑りに滑ってどうにも困っていたが、佐藤さんが杭を準備してくれたので、急な坂道に杭で階段を作っていった。穣君がドンチョウでドンドン杭を打ち込んでいく。さすが若いだけあって力の入れ方が違う。さらに長続きがする、持続力がある。俺なんか、数回打ち込むと休憩、の連続と推察される。若い人にはかなわない。佐藤さんは、これまたじょうれんを使ってうまく階段を仕上げていく。佐藤さんも力持ち。馬力は凄い。ブンメイは応援団的な役割とでもいおうか、なにせ力仕事には役に立たないことが痛感させられた次第であった。ともあれ、立派な登り道が完成して良かった。穣君有り難う。

2003年7月27日(日)[07:17:39]  
 佐々木校長の水辺の楽校は、御鷹神社の鶴川でサスのつかみ取りに挑戦した。水は水温が低く、長くつかって入られないかんじだったが、子供たちは、平気平気、マスのつかみ取りに夢中になっていた。ここでも困ったことに、水量が多すぎて、70匹放流したのにつかみ取りの成果は27匹。このマスがお昼のおかずになっていたため、急遽養魚場にお願いしてお昼のおかずを調達した。長作観音の寺子屋自然塾では、奥秋さんと穣君が火をたいて炭をおこしていてくれたので、マスを焼いて食べたが、炭焼きマスはなかなか美味しく子供たちもしっかり食べていた。鈴木真知子さん率いる等々力校は、森林公園キャンプ場で川遊びをしたそうで、ここも水流が十分でよく遊べたようだ。
 午後は、2校とも小菅の湯につかって、疲れをとって、笑顔で源流を後にした。佐々木さん、鈴木さん、サポート隊の皆さん、ご苦労さんでした。来年は、きっと天気はよいと思いますので、来年もよろしく。

2003年7月26日(土)[07:04:30]  
 昨夜から土砂降りの雨である。昨夜小菅から自宅に向かっていたら、今川峠の下りで猛烈な雨とであう。一瞬この山道を帰って大丈夫かなと言う不安に襲われるぐらいであった。
 今日から、川崎市の水辺の楽校2校が「源流体験」に入ってくる。せせらぎ館・佐々木梅吉校長の一行とご存じ鈴木真知子率いる等々力校の親子である。佐々木校長の一行は、水干に直行する。案内役は、水源林の専門家・堀越弘司さん。小菅村から奥秋一俊さんがついて、サポートした。堀越さんの解説は大変好評であった。是非じっくり私も一度聞いてみたい。
 鈴木真知子さん率いる等々力校は、「源流体験教室」。これがまた大変だった。昨晩の大雨で、小菅川の水量がいつもの1.5倍はゆうにあり、迫力がありすぎた。こちらには、ブンメイ、佐藤さん、井村さん、穣君の4名がついた。子供たちは、寒かったにもかかわらずのぞき淵でドボンドボンと飛び込み源流の水の冷たさを体感していた。嬉しかったのは、ミサキ部長、川本さん、河村さん、能さんなどなど沢山のサポート隊が大活躍していただき無事に楽しく終えられたことだ。
 夕方からは、佐々木校長の一行にお邪魔して、カレーづくりのお手伝いをしたり、ムササビ見学のお手伝いをした。今年は、時間が少し遅かったせいか、ムササビ君に会うことは出来なかった。

2003年7月25日(金)[06:44:04]  
 いまだに梅雨が明けない。一体この世の中どうなってしまったのか。この梅雨空のように心の中がもやもやしていた。というのは、ブンメイは思い浮かんだアイデアを構想としてまとめ上げるまでは悶々とした日々が続く性格なのだ。「源流グリーンアカデミー」構想が10日ぶりに仕上がった。
 この間の源流研究所の活動の重点は、1)源流域の自然、歴史、文化などの諸資源の調査、研究、2)源流域の情報の収集と発信、「多摩川源流写真展の開催」、3)源流と流域との交流の推進、「源流探訪の旅」や自然体験・環境学習を目的とした「源流体験教室」、さらには「多摩川源流協議会」活動・全国源流ネットワークの事務局、4)人工林を中心とする「森林再生プロジェクト事業」の推進−−この4本柱の活動に収斂されてきている。そのいずれもがそれぞれに特徴があり総合的、多面的な活動が望まれているが、「源流体験教室」と「森林再生プロジェクト」事業は、研究所の仕事のなかで社会的に評価されている活動であり、やり甲斐のある仕事であり、源流研究所の存在意義をかけた事業といえよう。
 その「森林再生プロジェクト」事業を今後どのように展開するか、いろいろ思案してきた。要は戦後の拡大造林によって植林されたスギやヒノキの人工林が、木材価格の低迷により手入れが行き届かず、間伐や除伐が放置され、人工林が重い病にかかっている。この病気をどう治していくか。山林所有者だけにその責任を任せるわけにはいかなくなっている。国の補助金で、細々と間伐を進める政策だけでは重傷の森は生き返れない。どうすればいいのか、この深刻な事態を広く市民に知らせて、「市民参加の森づくり」を推進し、源流域の森林を流域市民全体で守り育てていく仕組みを今から本格的に検討していく、森林政策全体を社会的財産を社会的な知恵と力で守っていく方向に大きく転換していくことだろう。
 こうした視点から、小菅村を「市民参加の森づくりの里」と位置づけ、流域の市民、専門家、森林組合、村が一体となって、協働で「源流グリーンアカデミー」という受け皿を設置することにする。いわば、この間取り組んできた「森林再生プロジェクト」事業から編み出された「森林再生」小菅方式の定式化とでもいえよう。まだ試案の段階であるが、小菅村の広瀬村長、古家助役との協議では、大変良い事業なのでしっかりと進めて欲しいと激励された。村のお墨付きは頂いた。東京農業大学の宮林先生と充分検討し、一歩一歩この事業を軌道に乗せていきたい。大地をしっかり耕して、この小さな芽を大きく大きく育てていきたい。「ブンメイ日記」愛読のみなさん、しっかりと見守っていてください。もちろん、知恵と力を貸してください。

2003年7月24日(木)[14:30:09]  
 今日は、東都生協の方々の源流体験の予定であったが、この間の雨で危険が予想されるので、源流の滝巡りにしたいとの申し入れで、小菅村の穣君と二人で雄滝と白糸の滝を案内する。所長が雄滝、穣君が白糸の滝と任務分担をして出かける。
 雄滝への道で私は、まずトチの大木を見ながら、巨木と巨樹の違い、ホンブナとイヌブナの違い、水源の森の役割、ウリハダカエデの話、シオジ、カツラの話などを参加者に話してあげる。特に水源の森にあるフワフワした土に触らせる。どうしてフワフワしているのかと尋ねる。そこで「実は、源流の森林が毎年毎年生産しているものがある。森林の100b×100bの範囲(一ヘクタール)に葉っぱ、木の枝、木の実が一年間に2トンから三トン地上に堆積する。これが100年間積み重ねられると1pの腐葉土ができる。この腐葉土は、スポンジのようにフワフワしていて雨水の浸透生と保水力に優れている。この土こそが源流の宝である。」と話してあげる。
 百年間で一aという説明にみんな驚く。自然は悠久の流れの中で存在しており、人間の生活や暮らしと尺度が違うことに改めて気づかされるのであろう。雄滝の近くでは、シオジとトチとカツラの木肌を観察したり、清流にみんなで手を入れて水の冷たさを体感したりした。水温は13度だったのでみんな長く手を入れておくと冷たいとさわいでいた。
 白糸の滝では、小菅村の穣君が案内し、チドリノキ、ユズリハ、アブラチャン、トチなどを丁寧に説明し、参加者の関心を集めていた。穣君はなかなか研究熱心で、説明するたびに説得力が増している。若いのでこれからもどんどん伸びていくだろう。

 参加者のアンケートを紹介する。 

 □「大変良かったと思っています。私は多摩川の写真を10年来撮っていますが源流にはまだ踏み込んでいません。マタ、カメラをもって訪ねたいと思っています。源流の水の綺麗さ、空気の綺麗さに感激です。源流を守る村のご努力も知り、これもまた、心に深く留めておきたいと思います。」

 □「水、命あるものの命の元、大切にしないと。これを守り抜いてくださっている人々の熱き思いに出会えたことが一番の収穫でした。今一度、ゆっくりと心ゆくまで、出向いてみたいです。そのときは宜しくお願いします。」


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