文明の源流日記


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2003年10月31日(金)[16:24:45]  
午前9時30分に大田区立博物館の北村学芸員と友人の二人が源流研究所を訪問し、来年の夏の「多摩川」・今昔」をテーマにした企画展で源流域に関しては、写真で紹介したいので協力してほしいとの依頼であった。この取り組みを契機に源流体験教室の実施など源流と大田区との交流を進めたいとの希望が述べられた。源流と河口との交流が大いに発展することを願っている。
 東京農業大学の宮林先生から、「11月7日に大学で大きな大会がある。そこで『
第5回全国源流シンポジウム』に関して、案内したいのでチラシを作ってほしい。フォーラムの内容と一緒でいいよ」との依頼とアドバイスをいただいたので、大至急チラシを作成して農大のほうへファクスする。全国源流ネットワーク・中村文明とNPO法人全国水環境交流会・山道省三の連名で受け入れ態勢を整えていく。
 続いて、とうきゅう環境浄化財団からの紹介として、雑誌「学際」(季刊)の読者交流欄「トライアングル」に意見、感想を書いてほしいとの依頼文書がき飛び込んできた。『学際』は最近号で「地球と水を考える」をテーマに特集を組み、巻頭言は東大教授の宇沢弘文先生、編者は高橋裕先生と豪華メンバーが顔をそろえている。欧州旅行中に『学際』論文を読んでまとめることになる。いろいろの分野から様々な依頼が舞い込んでくる。しっかりした考えを出していけるよう頑張らないと。
 明日の夜には、東京に泊まり、日曜日から10日間の「欧州河川環境調査」に出発する。スイスのチューリッヒに二泊、カールスルーエに三泊、ハイデルベルグ二泊、古城に一泊、フランクフルトに一泊、それに機中泊する。欧州では、ライン川を視察する。スイスの上流から中流のコブレンツ間での視察である。ラインは全長1200キロの長さだという。とても一週間そこらでは全体をみることは不可能であるが、ラインの上領域がみれるのは幸せである。どんな川の形をしているのか、水の色はどんな色なのか、どんな森なのか、川沿いの集落はどんなところに作られているのか、風のにおいは、水の味は、水の冷たさは等々興味は尽きない。ヨーロッパの人々の暮らしと文化、歴史をしっかり味わってきたい。ヨーロッパを知ることは、日本をよりよく知ることに役立つであろう。午後5時から小菅村役場で壮行会があるという。欧州河川環境調査に気持ちよく送り出していただいて心から感謝している。その分しっかり勉強しないといけない。







2003年10月30日(木)[14:28:45]  
第4回「多摩川源流プロジェクト21」案内を作成し、高橋先生、三島先生、宮林先生など9名のプロジェクト委員と塩山市、奥多摩町、丹波山村、小菅村の担当当てに発送の準備に取りかかる。午後2時から北都留監査委員会の研修会の講師として、小菅村役場で「多摩川源流の魅力」と題して話をする。多摩川源流の様々な資源に着目して地道な調査・研究を行っていること、特に源流域の淵や滝の名前の発掘と由来の聞き取り、「多摩川源流絵図」の作成、「源流の四季」の発行、「多摩川源流写真展」の開催など源流の姿を流域の市民に知らせる活動に取り組んでいること、源流と流域との交流活動を進めていることなど、写真パネルを活用しながら源流研究所の活動紹介も行った。
 今日は、文明の56歳の誕生日である。娘の沙緒里と亜希からお祝いのメールが届く。嬉しい限りである。思えば今から10年前、竜喰谷に入谷したことで自分の人生が変わってしまった。竜喰出会い滝、精錬場の滝、ヤソウ小屋の滝、扇状滝、下駄小屋の滝、無名滝、魚止めの滝など、幾つもの連続する滝の前に呆然と立ちすくんだことを覚えている。どこまでも透き通った流れ、深くて豊かな森、渓谷の織りなす自然の美などに圧倒され、体中に衝撃が走った。こんな素晴らしい光景を自分一人で独占している。ここの空間とここで過ごす時間に飽きない。何故だ。この源流の姿を、その真実を知れば人は必ず虜になるだろう。心の中にしみこんでくる無限のエネルギー。自分の心が源流の流れによって、どんどん清らかになっていく。それは不思議なひとときであった。
 そしてこの源流は、日本の宝だ。時間がたてばたつほどこの源流の値打ちは大きくなっていくだろうと確信したことを覚えている。その日以来、源流の虜になり、私の第二の青春が始まった。それは一途だった。徹底的に源流一筋だった。過ぎ去った多くの歳月がうらやましかった。もっと時間がほしい。もっと体力がほしい。もつと源流にあいたい。ただ一筋に源流に通った。
 今源流に805回通っているが、すくなくとも2000回を越える頃には源流の神々からのメッセージをもつと多くいただけるであろう。源流の神に恥じる生き方はけっしてしない。文明の生命を源流に捧げる代わりに、源流に通い続けることを許してもらいたい。源流の神々よ。文明を必要とする間は、文明の命を見守り給え。





2003年10月29日(水)[09:20:10]  
多摩川源流域への関心が広がりつつある中、登山客やハイカーの増加に伴うゴミや排泄物による環境の悪化が年々懸念されている。環境と水質保全を図るため、登山道などへの山岳トイレ設置を求める東京都水道局への要請活動を多摩川源流協議会として実施した。午前10時10分に、塩山の広瀬助役、奥多摩町の河村助役、丹波山村の橋詰総務課長、小菅村の古家助役と事務局担当の塩山市の企画財政課の雨宮課長補佐、同じく奥多摩町の企画財政課の加藤課長補佐、小菅村の源流交流推進室の佐藤室長、源流研究所の中村所長が都庁に顔をそろえ、打ち合わせの上、10時30分に東京都水道局に出向く。水道局からは、中田総務部長が対応。広瀬助役が4市町村を代表して挨拶。中田総務部長が都の厳しい財政事情を説明した。続いて、河村助役が「この要請は、都所有の水源地内にトイレを設置して欲しいこと、民有地内に関しては、それぞれの自治体がトイレ設置を進めていること、源流への来訪者が年々増加しているなか、自然環境を保全していく上からも、清浄な水質を確保していく上からも重要だと思われる」と要望の趣旨を説明した。中田総務部長は、「これは、民有地へのトイレ設置ではなく、都水源地内への設置であることなど要望の趣旨は良く分かりました。局長に説明して検討したい」と回答した。
 都水道局への要請終了後、午後2時に環境省自然環境局環境計画課の佐藤寿延課長補佐を訪ね、自然再生法に関する打ち合わせを行った。佐藤補佐と平井さおり専門官が対応。自然再生協議会設置に向けて、現地での枠組み、多摩川源流域での再生のイメージ、源流祭性の内容と効果などに関して協議を重ねた。午後3時からは、この協議に国土交通省河川局河川環境課の森本課長補佐、林野庁森林整備部計画課の河野通治森林計画官がくわわり、省庁連携を確保しながら、自然再生協議会の準備会の設置を進めていくことになった。
この取り組みは、「多摩川源流再生プロジェクト」として、源流域の資源の調査・研究と保存・活用、森林再生、環境学習としての源流体験活動、源流文化再生、源流の暮らし再生などを流域の市民、地元、大学などの専門家、国及び県市町村、企業などとネットワークを構築して取り組もうという壮大なプロジェクトである。どんな事業を進める場合にも、その事業の趣旨と目的を明確にしていく必要がある。どこまで説得力のある事業展開が出来るか、小菅村と源流研究所の力量が問われているといえよう。
 町田宗鳳氏の「山の霊力」を読み終えた。実に手応えのある示唆に富んだ本であった。私の座右の本になった。一度町田さんにあってみたいものだ。


2003年10月28日(火)[20:34:44]  
朝6時に目を覚ましたら、かなり強い雨が降っていた。朝飯は夕べのそばの汁にうどんを煮込んで食べた後、源流研究所に向けて出発する。研究所にメールで玉川上水ネットの写真展が順調にいっていること、源流の写真が迫力があり、写真展の目玉になっていることなど、様々な情報が古賀さんから届けられていた。
 「源流プロジェクト委員会」の答申の仕上げに取りかかる。何点か提言の部分を補強する。先見性、さらに分析力や洞察力に不足は残るが、期限も迫ってきたので、短縮版も含めて一応の決着をつけることにした。
 この答申を作成するにあたって、プロジェクト委員の方々の意見や提言をつぶさに検討し、具体的で建設的な提言はどんどんとりいれ、さらに東京農業大学の宮林先生の森林政策に関する論文をはじめ幾つかの論文に目を通し、地球環境問題に関する情報や課題、日本の森林の現状と課題などの問題意識を整理して、答申のまとめに取り組んだ。特に、環境省の自然環境局自然環境計画課の佐藤寿延課長補佐からいただいた資料を精読し、「新・生物多様性国家戦略」の理念と政策に注目して、国の流れにも整合性を担保できる内容の答申を目指していった。様々に方々の力と知恵をお借りしてこれからの源流のあるべき基本方向を打ち出していった。これからの源流域の活動で困難にぶち当たった時や迷いや路線にぶれが生じたときは、この原点に立ち返ることで新しい活路を見いだしていけると思う。
 明日、山岳トイレの要望の件で源流域の4市町村が揃って東京都水道局に要請行動に出向く。源流域が共同の課題で協調体制確立して行動を起こすのは、歴史的なことである。具体的な課題での共同行動の積み上げこそが相互の信頼関係構築の基盤である。その後環境省に周り、佐藤補佐と自然再生法に関する話し合いを持ち、指導と助言をいただく予定である。自然再生推進法に基づく事業では、官主導の事業は進みつつあるが、市民主導の取り組みは未だないとのことで、国としても注目しているとのことであった。いずれにしても、この事業は来年度の重点課題である。ヨーロッパの河川調査に関する勉強はどうしよう。成田発11月2日の便でドイツのフランクフルトに飛ぶ。しっかり事前学習しなければ。
 



2003年10月27日(月)[10:06:39]  
多摩川源流協議会の「山岳トイレ設置に関する要望」の文書に塩山市長、奥多摩町長、丹波山村長、小菅村長のそれぞれ公印が必要なので、各市町村巡りをやる。塩山市に行くと担当の課長補佐が午前中会議で会えないとのことなので、急きょ奥多摩町に向かう。塩山の市役所から柳沢峠を越えて丹波山に入り、奥多摩湖を通過して奥多磨町役場に着く。企画財政課の加藤課長補佐にお願いして公印を押していただく。奥多摩町の公印が予想していたよりも大きく、塩山、奥多摩、丹波山、小菅の順番に回って正解だったと安堵する。引き返して再び奥多摩湖を通り抜け、山梨県に入り、渓谷沿いの道を駆け上がり丹波山村役場に出向き、橋詰総務課長にお願いして、同じく公印を押していただく。丹波山から今川峠を越えて小菅村役場に出向き、佐藤源流交流推進室長にお願いしてハンを押していただく。そこから塩山に向かう。今川峠を越えて丹波山村に入り、柳沢峠を越えて塩山市に入る。今は、紅葉が見ごろを迎えているので運転していても気持ちがいい。本当は、紅葉の撮影にもってこいの日であり、牛の寝や日原川源流の写真をとりたいのだが、この仕事が最優先なので写真が取れないのが残念である。塩山市役所では、企画財政の雨宮課長補佐にあい、公印をお願いし、すべてが終了し、二十九日に東京都水道局に提出することになる。
 欧州河川調査の出発がいよいよあと一週間後である。ドイツを流れるライン川の調査に入る。ヨーロッパでもっとも風光明媚な川と評判の高いラインの流れ。スイス国境のボーデン湖から流れ始めるライン川。われわれ調査団は、このスイスのボーデン湖周辺の視察から始まる。スイスの近自然型川づくりを先ず研修する。突然訪れたヨーロッパを知る絶好の機会にラインの流れとともにスイスとドイツを訪問する。ラインの流れは、変化にとんだ渓谷美、長い歴史を持つ古い町々、そして数々の古城や教会など見所が溢れんばかりにあるという。何より、ヨーロッパは初めてなので、ヨーロッパの風に吹かれその香りを楽しみたい。森と川をじっくり観察したい。上流域の姿を心に焼き付けてきてい。事前学習に力を注がないと困る。困る。

2003年10月26日(日)[18:49:15]  
読売文化センターに同行して、「源流・大菩薩の探訪の旅」に出かける。奥秋一俊さん、山水館の舩木喜康さんと3名で案内する。長衛兵小屋までマイクロで登る。途中の山々が紅葉に染まり、美しい景観を楽しむ。この日は、天高く澄み切った最高の青空が広がり、絶好の行楽日和だったので、参加者の顔も明るかった。長衛兵小屋から福ちゃん荘、富士見山荘、そして介山荘、大菩薩峠へと順調に部隊は進む。介山荘の益田さんに挨拶を交わして、青木さんのカメラで大菩薩峠で記念撮影をして、親不知の頭に登る。東側が、多摩川源流域で西側が富士川水系であること、甲府盆地で川と言えば、富士川のことで、甲府盆地では、富士川が釜無川と笛吹川に大きく分岐すること、笛吹川が重川、日川、笛吹川に大きく分かれ、この一帯は日川と重川の源流域に当たることなどを話しながら歩く。
 富士山、南アルプス、多摩川源流から秩父連山まで素晴らしい展望をみんなで楽しんだ。特に、南アルプスの北岳、間の岳、農鳥山に関して、標高を教えながら、日本でベスト2,ベスト4であることを伝えていく。秩父連山に関しては、金峰山の五畳岩の話、大弛峠の話を紹介する。親不知の頭から賽の河原に下った窪地が、日溜まりになっていて、暖かい日差しを浴びながら弁当を食べる。ここで、重たい水を持ち上げてきた福田さんがコーヒーを沸かす。みんなが心を込めたコーヒーを美味しく頂く。そこから、妙見の頭を右に見ながら、標高2,000bの神部岩まで進む。神部岩のピークに島田真里さんが佇むと、木村支配人から「自由の女神」という声がかかる。私は一瞬、映画「タイタニック」の例の一シーンを思い出した。とても絵になる姿にみんな見惚れてしまった。そこからもう少し上り詰めて雷岩に到着し、唐松コースを下って福ちゃん荘、長衛兵小屋まで無事に下山した。読売文化センターの一行は、この日は塩山駅から帰るとのことで、大菩薩の湯に入った。読売文化の皆さん、これからもよろしく。
 塩山の大菩薩の湯までご一緒したかったが、嫁はんのクラスの子どもがバイク同士の正面衝突で大怪我をして入院したのですぐにお見舞いに連れて行ってと頼まれたので、嫁はんの依頼は断りきれず、失礼をしてしまった。
 また、 「源流・水干探訪の旅」も素晴らしい天気に恵まれたので、みんな満足していたとのこと。天気が良すぎると「最初の一滴」が見れないと言う場合が多いが、今回はどうだったのかなあ。ここで、参加者の「水干の旅」のアンケートを紹介します。

 □「永年の念願が、お陰様でようやく叶えられました。多摩川を愛する者として、満足一杯でした。小菅村の関係者の熱意と暖かいおつき合いに感動しました。どうも有り難うございました。」

 □「登山しやすい山道で紅葉を眺めつつ、水干とはいかなる場所にあるのか楽しみ一杯で辿り着きました。一滴と会えなくて残念でしたが、源流にたどり着いた喜び、感無量でした。駅よりの道々、バス車内での案内など一言あれば一寸よかったかな。」

 □「長作観音を拝見させていただくのは始めてでしたので今度小菅の湯に来たときに主人と立ち寄りたいと思います。お天気が最高で、富士を見て、村内を散策して、2,000b近くの頂上へ登り、水干を見られたのが何より感激でした。根っこから落ちる『しずく』でしたが、私の『水干の一滴』と名前を付けました。中村文明さん、井村さん、そして役場の方、ボランティアの方々楽しい二日間をありがとうございました。」

2003年10月25日(土)[17:37:58]  
今日は、「源流・水干探訪の旅」の一行二十七名と「読売文化センター」の二十五名が小菅村に入村してきた。佐藤さんが日直だったため、昼間は所長が「源流・水干」に回り、長作観音から雄滝と白糸の滝を案内する。長作観音では、この文化財が国の重要文化財であること、この建物に関する文書は何も残っていないが、建物の作りから年代がわかること、特に外陣と内陣とに落差があって、それぞれ入り口が違っていること、外陣は引き戸で一般の人々が出入りし、内陣は仏に仕える人々が出入りするため、観音開きになっていることなどなどを実際に観音堂を見ていただきながら説明する。昼食は、すずめの宿の煮こみうどん。スープがないのが残念だった。自己紹介が始まると、深田さん、長沢さん、常木さんなど多くのリピーターの方が、これまで参加したイベントの感想を思い思いにのべ、繰り返し小菅に来てますます気に入っている、自分の新しい故郷になっている、「源流古道水源林体験の旅」は、台風で中止になったが来年を期待しているなど楽しい話題が続いた。そのあと、雄滝、白糸の滝散策に出かけ、小菅川源流域の秋を楽しんだ。
 夕食の時間から、ブンメイ所長は「読売文化センター」の懇親会に参加した。読売文化センターに木村さんという名物支配人がいて、毎回熱烈な木村ファミリーがどっと小菅に押し寄せてくる。昨年の4月20日から「多摩川源流を歩く」シリーズが、毎月6ヶ月間連続して実施され、源流域の名所を歩き通した。その流れを受け継いで、今年は5月に新緑の黒川鶏冠山に登り、秋には大菩薩を登るイベントが計画されたという次第だ。広瀬屋旅館で顔を合わせるなり、木村さん、青木さん、堺さん、梅津さん、二平さん、福田さん、大井さん、小堀さん、島田さんなどなどこの2年間に10回近い源流行を繰り返している常連さん達と硬い握手をして、再会を喜び合う。懇親会で時間を頂いて、「源流からのメッセージ」を所長が話す。持ち込んだパネルの写真は、水干の「最初の一滴」、「竜喰谷の凍結」「一ノ瀬高原の紅葉」「大常木谷の奇岩」の4枚、その一つ一つについて思いを込めて話していく。同じ内容を「すずめの宿」の「源流・水干の探訪の旅」でも紹介する。
 読売文化は、懇親会の後の交流会がまた凄い。所長もいい気持ちになってみんなで青春の歌を歌う。みんなで大声で謳うと気持ちが一つになってしまうから不思議だ。この日も塩山への帰り道で、タヌキと会った。タヌキはゆっくりなので近くまで寄って「おやすみ」と挨拶した。


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