文明の源流日記


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2003年11月27日(木)[18:45:32]  
自然再生協議会準備会の日を迎える。朝6時過ぎから、協議会準備会の議案を作成する。少し長くなるけど、あとでその内容を紹介します。会議には、広瀬小菅村村長、橋詰丹波山村総務課長、環境省の佐藤課長補佐、林野庁の河野さん、国土交通省京浜河川事務所の吉田課長、山梨県森林環境部森林整備課中山副主幹、大月林務環境部次長はじめ6名、宮林先生、菅原先生、山道省三さん、田中喜美子さん等々40名近い参加者が会場をうめた。 はじめに廣瀬村長が挨拶し、環境省自然環境計画課の佐藤補佐が自然再生法の内容を説明、宮林先生を座長にして源流研究所所長が経過と趣旨説明を行い、質疑と意見交換に移った。活発な意見交換が展開され、自然再生協議会準備会を立ち上げ、年度内に自然再生協議会を設立することを出席者で確認する。山道さんから、多摩川源流再生に関して、源流としてどんなビジョンを掲げるのかをしっかり討議することが重要との提言がなされ、そのたたき台を事務局でまとめることになった。又自然再生協議会の設置要綱案も了承された。

     「多摩川源流再生プロジェクト」に関する
     自然再生協議会準備会の設置について(試案)

    平成15年11月27日
    山梨県小菅村
    多摩川源流研究所

(1)自然再生法の基本理念と特質について

 政府は、昨年12月の臨時国会で「自然再生推進法」を制定して平成15年1月1日をもって施行した。この法律において「自然再生」とは、過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すことであると定義し、その事業の推進にあたっては、当該地域の多様な主体が参加した自然再生協議会を設置し、河川・湿原・干潟・藻場・里山・里地・森林その他の自然環境を保全し、再生し、もしくは創出し、その状態を維持管理する諸事業を実施するよう定めている。
 また、この法律は、「健全で恵み豊かな自然が将来の世代にわたって維持されるとともに、生物の多様性の確保を通じて自然と共生する社会の実現を図り、あわせて地球環境の保全に寄与すること」を基本理念に掲げている。
 特にこの法律では、NPOを始めとする地域の多様な主体の参画と創意による地域主導の新たな形の事業と位置づけているのが大きな特徴である。ここでは、地域住民、NPO、専門家、関係行政機関などで協議会を組織し、その場で自然再生に関する全体構想・マスタープランを作成し、自然再生事業実施計画の案を協議して、事業の実施に係わる連絡調整をこの協議会で出来ることが定められている。要するに流域の市民や源流域の住民が、大いに知恵を出し力を発揮して、関係自治体や関係省庁と連携し、透明性を確保しつつ自主的かつ積極的に自然再生の基本理念にそった事業を編み出し、むらづくりに活かしていける道が開かれたことを意味している。

(2)多摩川源流再生プロジェクト事業の重要性について

 森林は生物多様性保全の役割をもっている

 多摩川源流域には、広大な森林が存在する。森林は人間生活に欠くことのできない多くの重要な機能を持っている。と同時に様々な生き物に住処を提供し生物多様性を保全する重要な役割を持っている。
 また、この源流には人間の進入を阻む急峻な山々が存在し、そこには手つかずの自然が広範に残されている。東京都の水源涵養林が広がるとともに都民の水瓶である水道専用ダムである小河内ダムが存在する。水源涵養林と水道専用ダムを双方とも備えた源流は日本では他に例を見ない。
 ところで、わが国の森林の現状は極めて厳しい現状にある。それは、安い外材の輸入が進み、自給率が20lを割るという典型的な外材依存型にあって、近年にあっては、木材利用の最終商品である住宅がそのまま輸入され、国内の大工や左官にも深刻な影響を与えるなど日本の伝統的な木の文化が大きな危機に直面している。
 また、こうした木材価格の低迷は、スギやヒノキの人工林の保育・管理に暗い影を落と
し、水源である森林の荒廃がすすみ、土砂崩れや土石流などの災害を誘発しつつある。小菅村や丹波山村の手入れの行き届かないスギやヒノキなどの一斉林を歩いてみると、間伐は放置され、陽の光が射し込しこまず、薄暗いうえに、むき出しになった地表は草木が極端に減少し、獣たちの痕跡のない森林が数多く存在する。
 
 生物多様性の弱体化は将来に悪い影響を与える

 ここでは、人間の不作為が種の減少や生態系の分断を引き起こしている。こうした現状がこのまま放置されれば、生物多様性の保全のうえから取り返しのつかない重大な事態を迎えざるを得なくなる。生物多様性や健全な生態系の弱体化は、多摩川の水質・水流、ひいては水循環にも関わって、多摩川流域全体に将来にわたり悪い影響を与えることになろう。こうした現状を科学的に調査・分析し、放置することなく直ちに改善に向かって足を踏み出すことが今強く求められている。

 貴重な自然環境保全は源流の重要な使命

 これは単に人工林の再生のレベルにとどまらない自然環境全体の保全に関わる重要な課題といえよう。人工林に関しては思い切った樹種転換や、間伐による健全な森林整備をめざし、生物多様性を保全する観点から、自然性の高い森林に育てあげることを目標に管理水準を高めていく。さらに、源流域に広がる手つかずの自然や天然林、急峻な山々や渓谷の織りなす変化に富んだ地形、四季折々の美しい景観などのかけがえのない貴重な自然環境は、多摩川流域における上下流連携を図りながらしっかりと守り育て、後世に引き継ぐことは源流域に科せられた重要な使命といえよう。
 こうした現状認識に立って、私たちは、多摩川流域の市民や、自治体、専門家、企業などに広く呼びかけて、1)源流の様々な資源の調査・研究と情報の発信、2)自然環境保全・森林再生、3)環境学習・源流体験、4)源流文化再生、5)源流の暮らし・景観再生、6)上下流連携・多摩川流域文化圏再構築−の6つを柱とする総合的な観点に立った多摩川源流再生プロジェクト事業を実施する。この事業を自然再生推進法に基づく事業として展開する立場から自然再生協議会設置に向けて取り組みを進めたい。

(3)自然再生協議会準備会の設置にについて 

 自然再生協議会の立ち上げに関しては、地元や流域の主体、国の関係機関、県及び市町村の三者が一体となって協議会を構成すること、また、事業の趣旨を広く公開し、共に汗をかいてくれる仲間は積極的に受け入れることなどに留意し、準備会でよく審議して自然再生協議会を設置し、広範な人々の声を反映させて基本計画を策定していくことになる。
 自然再生協議会準備会の構成メンバーは、当面、次の関係団体、関係機関などを予定しているが、その他にも昨年の「水と森と食の祭典」実行委員会(19の市民団体)のメンバーには広く参加を働きかけていく。
 基本計画や具体的な事業計画に関しては、自然再生協議会の場で各団体・各界から提案していただき、審議して確認していくことになるが、源流域の課題としては、源流域の様々な資源の調査と保存、総合的な林相調査の実施、生物多様性の確保とさまざまな生物の住処を提供できる森林づくりを目的に人工林を対象にした「森林再生プロジェクト」事業の展開、親子や市民を対象にした「環境学習」の推進、多自然型の川づくりの検討と推進、放棄された畑の再生や現有農地の有効利用、農村景観形成、上下流の交流と連携の強化・多摩川流域文化経済圏再構築などの諸事業があり、長期的な視野に立って源流のむらの活性化事業に積極的に取り組む予定である。
 
自然再生協議会への参加予定団体
          山梨県小菅村
山梨県丹波山村
多摩川源流研究所
小菅村村議会
           小菅村教育委員会
         財団法人 水と緑と大地の公社(小菅の湯)  北都留森林組合小菅事業所
小菅人を育む会
  小菅村観光協会
小菅村漁業協同組合
小菅村養殖組合
100l自然塾
小菅村建設研究会   研  
(流域団体)
東京農業大学森林政策学・造林学研究室
NPO法人多摩川センター    
NPO法人多摩川エコミュージアム
多摩川と語る会     
(行政機関)
山梨県大月林務環境部(森づくり推進課)
山梨県大月建設部(河川砂防管理課)
山梨県大月農務部(計画課)
国土交通省京浜河川事務所(河川環境課)
林野庁森林整備部(計画課)
環境省自然環境局



2003年11月26日(水)[16:45:23]  
明日は自然再生協議会の準備会があり、明後日は「源流の四季」の狛江市長との「新春さわやか対談」が予定されている。狛江の企画財政課・市民協働課の松原課長さんから「さわやか対談」の進め方と対談の骨子を知らせて欲しいとの連絡があり、狛江に関する様々な資料を読み込んでいく。狛江に関する情報を収集しているうちに、これまでとは違った狛江に対するイメージが浮かんでくる。狛江市一帯には、縄文式土器が出土していること、古墳時代には、狛江百塚と称せられるほど多くの古墳が村の有力者によって作られていること、狛江の和泉遺跡から出土した和泉式土器は関東地区では古墳時代の代表的な様式になっていること、現在も兜塚や亀塚として保存されていること、川崎の宿河原はせせらぎ館もあり有名であるが、狛江にも宿河原という地名があることなどが判明して楽しかった。 その宿河原の松坂仙蔵さんの話が面白い。明治大正の多摩川では「狛江の鮎漁は大変盛んだった。解禁の日は花火が打ち上げられ、狛江近郊から大勢の方が解禁日を楽しみにして泊まり客までいたこと、川に足を入れると鮎が足にぶつかってきたこと、鮎のたまっているところに行くと特有の臭いがした」という。一旦途絶えた鮎が最近復活したことを仙蔵さんが知ったらさぞかし喜んだことであろう。もちろん、多摩川古代カップいかだレースの取り組みこそ狛江のもつとも重要な先進的な活動であり、このいかだをとおして小菅との緊密な関係が結ばれていくわけであるが、市政20周年記念で多摩川を生かした取り組みとしていかだレースが計画されたこと、第5回記念に多摩川の源流・小菅村からの参加が図られたこと、第8回からスタンプラリーが開始され、第10回で郷土芸能大会まで発展してきていることなど全体の流れが掴めた。対談の骨子をまとめて、午後5時に松原課長さんに送る。いずれにしろ、狛江の表面だけでなく歴史や文化、多摩川との係わりなどもっともっと深く知ることの大切さを痛感した。

2003年11月25日(火)[20:03:02]  
次女の沙緒里の結婚式が23日、無事に終わってホッとしている。私たち夫婦の丁度結婚30周年の記念すべきその日に、二人が結婚してくれたことが本当に嬉しい。式の最後に「お父さん、お母さんへ」と題して沙緒里が声を詰まらせながら送ってくれたメッセージは私の一生の宝物になるだろう。
 「今日この日が迎えられたこと、本当に感謝しています。お父さんたちの時はとても質素な式だったというけれど、写真で見る2人はとても幸せそうでした。それからちょうど30年後の今日、私たちはこんなに盛大に、たくさんの方に祝福していただき、本当に幸せです。
 小さいとき、お父さんは自営業だったので、病気で学校を休んだ時はいつも看病してくれました。おいしいおかゆやうどんを作ってくれて、このまま病気が治らなければいいと思うほどでした。授業参観にも毎回来てくれて、私が振り向くといつも照れくさそうに手を振ってくれました。どんなに忙しくても私の行事には必ず駆けつけてくれ、私に寂しい思いをさせないように頑張ってくれていたんだなと、今、その優しさが胸にしみます。
(略) 26年間の思い出はとても言葉では言い尽くせませんが、家族の惜しみない愛情をたっぷり受けて育ったことが何より幸せでした。今日、私は結婚し、親元を離れますが私たちはこれからもずっと家族です。たまには甘えさせてください。これからは私たち2人が家族を幸せにする番です。たくさん親孝行をしたいので健康に気をつけて長生きしてください。 末田さおり 」
 沙緒里の話し始めからずっーとあふれ出る涙をどうすることも出来なかった。唯ひたすらに、幸せになってと祈り続けた。

 今日、源流研究所では、朝日新聞のインタビューが待っていた。朝日新聞大月通信部の竹田記者が午前10時に研究所を訪れ、先ほど開催された「多摩川源流プロジェクト21」の答申案にたいしてどんな経緯でこの答申がまとまったのか、答申の主な内容は何か、答申で最も強調していることは何か、源流研究所の役割は、多摩川源流の今後の課題と展望など矢継ぎ早に質問された。来週の火曜日にインタビュー記事として大きく載るとのこと、楽しみである。午後からは27日の「自然再生協議会」の準備に忙しかった。

2003年11月21日(金)[20:59:21]  
朝から、小菅の広報の原稿を書く。テーマは「欧州河川環境調査の旅・1」である。数回に分けて連載する。調査の目的は何か、調査団のメンバーは誰か、飛行機から見たものは何かをエッセイ風に記していく。特に川の蛇行に関する感想を掘り下げて書いていった。書き終えてから小菅村の佐藤さんにファクスで送る。
 午後から、今後に備えて少し学習にはいる。高橋先生の「地球の水が危ない」「河川にもっと自由を」、宇沢弘文の「地球温暖化を考える」の3冊の読書に取りかかる。高橋先生の「地球の水が危ない」は、今年の世界水フォーラムを前に世界の水を巡る状況と課題、問題点、そして将来展望を高橋先生の鋭い洞察力を駆使して展開されたものであるだけに、分かりやすいしためになる。少しずつ頭を賢くしていきたいものである。
 明日から上京する。次女の沙緒里ちゃんが11月23日に結婚する。嬉しくもあり寂しくもある。唯ひたすら幸せになってくれと祈る。

2003年11月20日(木)[20:10:34]  
朝から「源流日記」の整理に取りかかる。「欧州河川環境調査」の旅の日記と毎日の日記とやり始めたら大変。特に欧州の日記は、メモを確かめながら正確に記録していかなければならないので、なかなか時間がかかった。ドイツに関する解説を読んでいて感じたことだが、ドイツという国は、国造りにも川づくりにも哲学がある。文化や歴史、伝統を頑なに守ろうとしている。みんなが良いと感じるものは、みんなで育てていこうという社会的な合意があるのだろうか。特に景観は、社会全体の財産との意識が強く、これを守り育てようという強い意志が感じられる。
 午前11時頃に、川崎の水辺の楽校の取り組みの取材のため、川崎市多摩区の宿河原にあるせせらぎ館に向けて出発する。「源流の四季」に、流域の情報をドンドン反映させたいのであるが、やはり直接取材してこそ、魂が籠もる。山梨県民の日で学校が休みだったので、真里さんも同行する。あいにくの雨になり、水辺の楽校がやられた狛江市の河原には行けなかったが、鈴木真智子さんから記録や写真を頂く。夕方せせらぎ館で交流会がやられていたので飛び込みでこれに出席する。交流会には、多摩川と語る会の田中喜美子さん、鈴木真智子さん、佐々木梅吉さん、梶谷有華さん、農業大学の進士学長、京浜河川事務所の吉田課長、川崎市の本木課長、親父の会の北島さん、などなど顔見知りの面々が集っていた。川崎信用金庫の榊原さんに出会い、信用金庫の本店で「多摩川源流写真展」をやることになった。どこでどんな出会いが待っているか分からない。 鈴木真智子さんの漫談が実に面白く、腹を抱えて笑った。楽しい一時を過ごした。

2003年11月19日(水)[18:11:55]  
第4回「多摩川源流プロジェクト委員会」を迎えた。開催地は、塩山市。小前10時に塩山駅北口に集合して、放光寺、恵林寺を訪ね、ころ柿の里である松里の風景を楽しむ。午後1時から、およっちょいプラザでプロジェクト委員会が開催された。三枝市長の挨拶、
高橋裕委員長の挨拶のあと、事務局の源流研の所長が答申案を提案する。当日の出席者は、高橋委員長、宮林先生、三島先生、山道さん、渋沢さん、京浜河川事務所の海野所長、山梨県の根津課長補佐、川崎市の本木課長、塩山市の広瀬助役、雨宮課長補佐、奥多摩町の加藤課長補佐、宮島主任、丹波山村の橋詰総務課長、小菅村の佐藤室長、源流研究所の所長、主任研究員である。
 答申案に基づいて各委員から、活発な意見、提案が出され、答申案が充実されていった。高橋委員長から、今日示された答申案に対して、各委員から11月中を目途に、意見・提案を事務局まで提出していただくこと、それを受けて、高橋委員長と数名の委員、事務局で答申をまとめていくこと、その案をすべての委員に送付し確認を求めること、確定したら1月中に会長に答申すること、などが確認された。これまでになく活発な議論が展開された。内容のある答申が出来上がりそうである。
 答申の短縮版は、時間の関係で議論できなかったが、A4版で4枚までの簡潔で分かりやすいものにしていくことになった。これがまた大変である。流域の市民が読んで心から納得するものにしていくことが大切であると確認された。

2003年11月18日(火)[07:37:23]  
今朝の柳沢峠の気温はマイナス3度。いよいよ本格的な寒さが、源流の山々に忍び寄っている。この時期になると、空気が乾燥し、きりっと引き締まった大気のせいか、空気が澄んでいて冷たい風の向こうに、山頂に雪を頂いた美しい富士山が顔を覗かせる。
 爽やかな気分で源流研究所に到着するとどーんと仕事が待っている。まず、「源流日記」の管理が大変である。この間の「欧州河川環境調査」は11日間の視察旅行であったが、失われた11日間を回復するのは、容易ではない。ヨーロッパから帰国してから、仕事が待っているので、その仕事をやり終えること、特に自然再生法に基づく事業、「源流プロジェクト委員会」の答申執筆、今年12月の源流フォーラム、来年10月の全国源流シンポジウム、「源流の四季」新年号の準備、奈良県・吉野村の源流資源調査、多摩川源流絵図奥多摩版の整理、執筆などの課題に取り組むこと、毎日の「源流日記」を付けること、さらに「欧州河川環境調査」中の活動を整理し「日記」にまとめていくこと。
 考えてみると、「源流日記」は源流研究所の活動記録とブンメイの心の奇跡なのかもしれない。何回も、もうやめよう、疲れた、続けて意味があるだろうかと悩み悩み、それでも続けてこれたのは、自分が源流に対して何が出来るのか、その姿勢は本物なのか、どんな取り組みをしているのか、その内容は何か、などしっかり記録していれば、自己点検し、自らの反省材料になるだろうとの一点からである。いつまで続けられるか見物であるが、「源流日記」への執念が消え失せたら、ブンメイは源流から潔く消え去るべきなのだろう。
 明日の「源流プロジェクト委員会」の準備と12月の「第1回全国源流フォーラム」の参加者確認にいろいろ忙しかった。フォーラムには、島根県高津川から、廣兼さん、吉田さん、田代さんが参加したいとのこと、多摩川源流観察会から雨宮清貴先生他2名が参加するとのこと。現在40名近くの申し込みがある。嬉しい限り、有り難いことである。


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