文明の源流日記


2001年12月||2002年1月||2002年2月||2002年3月||2002年4月||2002年5月||2002年6月||2002年7月||2002年8月||2002年9月||2002年10月||2002年11月||2002年12月||2003年1月||2003年2月||2003年3月||2003年4月||2003年5月||2003年6月||2003年7月||2003年8月||2003年9月||2003年10月||2003年11月||2003年12月||2004年1月||2004年2月||2004年3月||2004年4月||2004年5月||2004年6月||2004年7月||2004年8月||2004年9月||2004年10月||2004年11月||2004年12月||2005年1月||2005年2月||2005年7月||2005年10月||2005年11月||2006年1月||2006年2月||2006年3月||2006年4月||2006年5月||2006年6月||2006年7月||2006年8月||2006年9月||2006年10月||2006年11月||2006年12月||2007年1月||2007年2月||2007年3月||2007年4月||2007年5月||2007年6月||2007年7月||2007年8月||2007年9月||2007年10月||2007年11月||2007年12月||2008年1月||2008年2月||2008年3月||2008年4月||2008年5月||2008年6月||2008年7月||2008年8月||2008年9月||2008年10月||2009年1月||2009年7月||2009年8月||2009年9月||2009年10月||2009年11月||2009年12月||2011年1月||2011年2月||2011年3月||2011年4月||2011年5月||2011年6月||2011年7月||2011年8月||2011年9月||2011年10月||2011年11月||2011年12月||2012年1月||2012年2月||2012年3月||2012年4月||2012年5月||2012年6月||2012年7月||2012年8月

2003年12月23日(火)[17:33:30]  
朝8時に伯母谷川源流の実踏調査に出かける。数日前の雪が深く、膝まで埋まり途中で前に進むことが出来なかった。この地方は寒いけれど雪は多くないと聞いていたので、意外であった。中村真里が助手で着いてきたが、靴が雪で埋まり大変であった。この川の源頭は、普賢岳。伯母谷覗きもこの上流である。一月の中旬はアイスクライミングの練習場にもなる。この谷の集落を訪問する。伯母谷は、過疎化が進み、以前の三分の一近くになっているとか。奥の地域は空き家が多かった。午後からは、モクモク館で辻谷さんから吉野林業の現状と課題についていろいろ教えをこうた。

2003年12月22日(月)[17:21:44]  
奈良県川上村・吉野川源流調査に向けて出発。高原地区の民宿に泊まる。

2003年12月21日(日)[15:10:57]  
午前11時からお姉さんの葬儀が式場でしめやかに執り行われた。お姉さんへの別れの言葉が心に残った。友人代表や同僚のお別れの言葉の中に、お姉さんの生前の人柄と生き方への暖かい共感と感謝が控えめな言葉の中に溢れ、みんなの涙を誘った。38年間の教職につかれたお姉さん、たくさんの教え子から慕われたお姉さん。お姉さんは、私たち兄弟の誇りであった。あらためてお姉さんのご冥福を祈った。宮崎では、冠婚葬祭の時にだけ、多くの親戚と友人に会える。午後7時過ぎの飛行機で羽田に向かった。

2003年12月20日(土)[15:01:18]  
羽田を9時40分に発ち、宮崎空港に11時30分に到着。有沢の兄が迎えに来てくれる。真里さんと3人で、セレモニーホールに向かう。長男の和明兄にお悔やみを述べ、お布団に横たわった房子姉さんに会う。和明兄の話によれば、先輩の先生方との会食中突然うずくまり、そのまま帰らぬ人になったという。おだやかな表情のお姉さんを見ていると今にも起きてくるのではないかと錯覚するほどであった。幼いときから、お世話になりっぱなしであったが、何の恩返しもできないまま永久のお別れになってしまった。無力な自分に嫌気がさしたが、くよくよしても仕方がないので、お姉さんに安らかにお眠り下さいと心を込めてお祈りした。


2003年12月19日(金)[14:57:24]  
 「源流の四季」の初校に取りかかる。原稿の段階でなおしていた箇所が訂正されないまま印刷されたため、なおしに時間がかかる。午後3時すぎに宮崎の兄から、房子お姉さんの訃報の知らせが届いた。11月23日の沙緒里の結婚式にはわざわざ宮崎から出席してくれたお姉さんが突然心臓麻痺で亡くなったという。急遽宮崎に帰ることになる。井村さんに、インターネットで航空券を予約してもらい、宮崎に帰ることになった。一旦自宅に帰り、準備をして、飛行機の便が早いため、山梨を出て東京の沙緒里の家に泊めてもらう。


2003年12月18日(木)[10:48:30]  
午前中「源流の四季」の組み替えに取りかかる。6面〜7面に第1回源流フォーラムの特集を組んでいるが、4名の講師の発言要旨を載せる予定でいたが、高橋先生と内山先生の分を載せていたら、紙面がなくなりあとの2人を次号扱いにしていたが、、やっぱり4名とも紹介しなければと考え、組み替えの原稿を作成した。内容のある発言を20行から30行でまとめることは難しいが、何とか無難にまとめることができた。
 午後から奥多摩の倉沢の実踏調査にはいる。奥多摩の調査の特徴は、地元に精通した人々の話をしっかり聞けたこと、その方が高齢者のため、現場に一緒に出向けないことである。倉沢には、不動滝、シチヶ淵、安穏淵、尼ヶ淵、六本淵、箱淵、山王大淵、源五郎滝、ウオドメの滝、地蔵滝が横たわっていて、それぞれについて坂和連さんから由来もしっかり聞いてあるが、どの淵がどこにあるかはだいたいの検討しか分からなかった。電話をかけてもっと詳しく聞きたいが連絡が取れない。仕方なく、自分で歩いて探してみることにした。
 不動滝は、本流との合流近くと聞いていたので直ぐに確認できたし、源五郎滝は、林道沿いにあって確かめやすい場所だったので、残りのシチヶ淵、安穏淵、尼ヶ淵、六本淵、箱淵、山王大淵をそれぞれどう見極めていくかであった。安穏淵と六本淵、山王大淵に注目した。安穏とは、穏やかなさまや安らかなさまを表している。どの淵が一番心を穏やかにしてくれるのか、淵としての形が良く、その場にいるだけで心が安らぐところである。倉沢を登ったり下ったりして、何かを感じた場所があった。林道から30b急な斜面を下ったところに理想的な淵がそこにあった。青々とした淵と切り立った岸壁。淵に落ち込む滝の姿も美しく、滝の正面に立つとしぶきが優しく降り注ぎ、滝の落ちる音に耳を傾けると、すべての雑念が消え失せていく。心が安らぐ淵はこれに違いないと心の中で確信した。 その上流に右岸が5から6bの切り立った岩が70から80b連続する景観的に恵まれた場所があった。連続した右岸の岩盤に沿って小さい淵、大きい淵が連なっていた。六本淵はここだ。一番上の大きな淵だけを見ていても駄目だ、全体を見てこと正確な判断ができるのかと教えられる。鳴瀬橋の上流にいかにも近寄りがたい神々しい淵が横たわっていた。山王大淵は、この淵のことだろうと推測した。それぞれが当たって居るんどうかはこれからの楽しみであるが、少しだけ、古人の自然観というか感覚に触れたような気がした。この日も良く歩いた。昨日の後遺症で体中が痛い。特に足は悲惨である。こればっかりは時間を待つしかない。

2003年12月17日(水)[09:25:53]  
源流調査は、私の性にあっている。先日の小菅村の牛ノ寝のオオトチの調査といい、奥多摩町の日原の小川谷の実踏調査といい、新しい発見、新しい出会いがある。その対象が自然であろうと、地名や民俗であろうと一向に構わない。源流に会えることが大事であり、岩や石や大木や水や風に出会えることが一番であって対象は何であってもあっても少しも構わない。
 唯ひたすらに源流にあうこと、そこに身を置くことが快いのである。今日は、奥多摩の日原川に足を伸ばした。日原は戸望から始まる。戸望は、一度足を踏み入れれば、強烈な印象を受け、決して記憶から消えることはない。石灰岩の山をなしているため、周辺はドンドン採掘されているが、この場所だけは神聖にして冒してはならない場所である。巨大な竜の住処としてあり存在し続けるであろうし、またそう保存しなければならない。
 辿り着くのに時間がかかる。家から2時間車を走らせる。下車して歩いて1時間かかる。早道をしょうと思い、トンネルを過ぎて登竜橋から降りたら、途中は絶壁で、引き返し、少し上流から下降したがそこもガレバで足が震えたが、辿り着くまで苦労する。
 登望の中に身を置くと心が清められる。あらゆるものを忘れさせてくれる。巨大な竜の体内にいるがごとく、大自然の営みに自らの呼吸を合わせたくなる。些細なことでくよくよするのはやめよう。悠々たる時の流れよ、我が心に悠久の風を吹かしてくれと自然に心が叫び始める。渇ききった心の隅から、安らぎと潤いがにじみ出してくる。心の中がほのぼのとしてくる。不思議な空間と時間に酔いしれる。誰が名付けたのか、この戸望。何度でも足を運びたくなる。
 戸望からセベヤ出会い、風穴の大淵、ウリの木淵、メメズギャーラ、タル沢出会い、ゴーロ、イゼーモン淵、登竜の滝、ナガシ河原、昔大橋、アミハリ洞、馬回しナギ、タイラの沢出会い、お花淵、イモ洗い滝、弁天、バクチ岩、アワ淵、ネズミ沢出会い、キンザ淵、フルミノト橋、鷹ノ巣沢出会いと延々7時間歩いた。まだ数回しか歩いていない。あと5回ぐらいここを歩くとすべての地点が、映像として心の中に描写される。我が竜喰谷のように。そこまで行かないと源流に足を運んだと言うことにならない。昔の人は、何十回と足を運んでいる。古人が、そこで何を感じたのかを知るには、少なくともその場に居合わせ、そこの空気を共有することが前提となろう。心の中に清々しい風が吹き抜けた一日であった。


トップページへ戻る