文明の源流日記


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2004年2月27日(金)[18:24:53]  
「多摩川源流プロジェクト21」の答申の提出日である。東京から源流プロジェクト委員会の高橋裕委員長と山道省三委員が塩山市役所に出向き、多摩川源流協議会の三枝剛会長(塩山市長)に答申書を手渡し、この内容を尊重して事業化していただくよう要請した。また、奥多摩町でも記者発表を行った。
 三枝会長は「地球規模で環境を守る時代になっている。多摩川源流には、流域の市民共有の得がたい財産と言うべき森林がある。具体的な取り組みは小菅村の源流研究所が作業に入っているが、源流の良さを全国にも発信したい。答申の内容を尊重し多摩川の流域にも伝えたい」と発言。
 高橋委員長は、答申の全体の構成を説明し、世界の森林伐採の危機的状況、日本は森林王国と言われながら、日本特有の困難が横たわっていること、そうした中で、多摩川源流の森林は、重要な役割を持ちつつある。流域全体の共有の財産であり、流域全体、日本国民全体で守る時代である。多摩川は江戸時代から江戸や東京の発展を支えてきたし、江戸の大火の際は木材を供給した。明治時代に尾崎行雄が給水百年の計から、多摩川の源流域に水源林を造った。優れて先見の明があった。昭和32年には、水道専用の小河内ダムが作られたが、ダムのアキレス腱は土砂の堆積であるが、水源林などのお陰で、小河内ダムは土砂の流入が極めて少ない。水源林とダムがペアであることが大切である。こうした貴重な源流の資源を流域全体の共有財産として、恩恵を受けているみんなで守っていこうというのが答申の趣旨であると説明。さらに具体的な取り組みとしては、情報の発信、市民参加による人工林の「森林再生事業」、「源流体験など環境教育」、源流の資源の活用、源流共同体の構築と源流と流域との協調体制の確立などを詳しく説明した。
 塩山で三枝会長に提出し、奥多摩町で記者発表を行い、山梨県民にも、東京川崎など流域の市民にも、情報の発信を行った。この答申をうけて、多摩川源流協議会が、提案された内容の具体化にはいるが、いずれにしろ、多摩川源流の進むべき基本方向が示されたことの意義は大きい。

2004年2月26日(木)[17:45:30]  
 小菅川沿いに歩いていたら、フキノトウがあちこちから顔を覗かせ花を咲かせていた。暖冬の影響なのだろうか、いつもなら花は3月中旬なのに2月下旬に見ることができた。奥多摩調査の折り、お店でフキノトウを買い、天ぷらにして食べたが、あの独特の苦みというか、香りが何ともいえない。嫁さんが、フキ味噌を作ってくれたが、これが美味くて今も源流研究所に持ってきて、弁当の時食べている。季節を味わえるとは幸せなものである。
 源流研究所では、明日提出の「源流プロジェクト21」の答申の印刷と関係市町村への連絡、高橋先生、山道さんへの確認などを行う。そのあとは、井村主任研究員と「第1回全国源流フォーラム」の報告集作りに取りかかる。井村主任が、苦労の多いテープおこしを精力的に進めてくれており、そのお陰で当日の講師の先生方に原稿を送り、手を入れていただいた訂正の文章を返送していただき、編集を進めていった。
 当日の高橋先生、内山節先生、海野所長、恵先生の各氏の発言を読み返すと、これからの源流での活動の基本が見えるようで、改めて各講師陣の発言の内容の深さに驚かされた。また、各地の取り組みの報告も奈良、岡山、島根と送られてきている。今年度中には、この報告書を完成させたい。

2004年2月25日(水)[13:37:54]  
京浜河川事務所調査課の石田和也係長が、「流域に生きる −21世紀は水の世紀−」と題した下河辺淳さん、青山俊樹さん、定道成美さんの3名の鼎談を送ってくれたのでページをめくってみた。これが実に面白くためになりしかも刺激的である。元国土庁事務次官の下河辺さんの開口一番「水の行政というものがなっちゃいない」という発言から始まる。「人間の生活にとって水がすべてだ」「先ほど事務局の方が『21世紀は水の時代』と言ったのは間違いですね。縄文以来ずっと水の時代なのであって、20世紀に河川局のひとたちが忘れたから今、思い起こしただけで、人間にとっては、太古から永遠に水の時代なんですよ。」「江戸時代までの人と川との関係ということを切り捨てちゃって、西欧タイプの技術を河川行政に取り入れて100年、それがやっと終わる時がきたというのは記念すべき事ではないですか。」等と下河辺語録が続いていく。今後の勉強のためにまとめておきたい。 
 第5回全国源流シンポジウムに向けて、記念講演をお願いする倉本聰先生に源流研究所の会報と「源流絵図」を送ることになった。講師を依頼する簡単な手紙を書くことになった。「北の国から」の大ファンなので、心を込めて書きたい。倉本聰先生の心に届くと良いな。
 自然再生協議会の設立に向けて、公募した委員の方に確認の電話をかけていく。9名の方がボランティアで参加してくださる。多摩川源流観察会の石川副会長や雨宮事務局長も参加してくれる。

2004年2月24日(火)[10:16:12]  
午前中は、雑誌の対談に関する打ち合わせを行う。山梨県下の有力の会社が社会的貢献として雑誌を発行し、県内の様々な情報を県内外に発信している。その30号記念に、その会社の社長との対談にセレクトされたというわけである。今、地球環境に関する関心は大いに高まっている。そうした流れが源流研究所の存在と取り組みを押し上げてくれているようである。しっかり準備して対談に望みたい。
 午後から、小菅村役場で佐藤室長と奥秋さんと村有林の契約問題、源流ファンクラブの運営問題、森林再生プロジェクト事業の来年度の取り組みなどに関して打ち合わせを行う。また、来年度に小菅村のわさびに関する現状調査と課題、「わさび振興プロジェクト」の取り組みなどに関する検討を行った。
 「森林再生プロジェクト事業」に関するボランティア募集の呼びかけパンフ試案を作成した。いよいよ来年度事業が始動する。源流でしかできないこと、源流だから出来ることに誠実に取り組んでいきたい。その意味で、親子を対象にした源流体験教室と杉やヒノキの間伐や枝打ちに取り組み健全な森づくりを進める「森林再生プロジェクト」には特別な想いがある。以下ボランティア募集のパンフ試案を紹介すする。

                         日本財団助成事業 
緑のボランティア募集!
多 摩 川 源 流

●民有林(スギ・ヒノキ)の荒廃にストップを●

 多摩川源流に広がる民有林の多くは、木材の大量輸入による木材価格の低迷により、間伐などの手入れが行き届かず、森林の荒廃が進んでいます。私たちは、これにストップをかけようと「森林再生プロジェクト事業」を始めました。
 皆さんご承知のように、森林は木を育て、水を貯え、空気をきれいにしたりと、私たちの暮らしや命と密接に関わっています。森林を育てることは、川と海とふるさとを守ることです。

●広がるボランティアの輪に確信と希望!●

 私たちは、昨年、この民有林の深刻な状態を改善していくために、東京農業大学の専門家の指導で「森林診断白書」を作成して、地元森林組合の支援とボランティアの協力を得ながら、間伐や枝打ちなどの「森林再生プロジェクト事業」を実施しました。
 自然を愛する多くの流域の市民の皆さんが、ボランティアとして参加し、源流の森に新しい光を注ぎ、森林再生への力強い第一歩を踏み出しました。広がるボランティアの輪に地元では、新たな希望と確信が生まれつつあります。今年も是非、「森林再生プロジェクト事業」のボランティアに応募下さい。あなたの「優しさ」を待っています。 

□主   催 小菅村役場・多摩川源流研究所
□協   力 北都留森林組合小菅支部・東京農業大学森林政策学・造林学研究室
□場   所    小菅村内の民有林他

2004年2月23日(月)[10:12:32]  
 先週の土曜日は、「高橋裕先生の喜寿を祝う会」が、厳粛な中にもアットホームな雰囲気の中で開かれた。祝う会では、参加者一同、高橋先生の喜寿をお祝いし、先生の今後の健康とご活躍をお祈りした。大変な盛り上がりのなかあっという間に時は過ぎ、参加者のみんなが充実した一時を過ごすことが出来た。帰りに高橋先生ご夫妻に感謝の言葉をいただき感激した。昨年欧州河川環境視察のため、ライン川にいった広島の小山さん、北海道の八巻さん、岐阜・大垣市の三宅先生など遠くからわざわざ参加した方々もおり、再会を祝してあちこちで歓談の輪が広がった。鍔山先生、田中喜美子さん、建設コンサルタントの松本さん、文明の4名が幹事役を買って出て、この会の運営を行ったが、高橋先生をはじめ、参加者全員から喜ばれてホッとした。
 源流研究所では、「源流絵図」奥多摩版、「吉野川源流絵図」のまとめ、「多摩川源流プロジェクト委員会」答申とパンフの最終的な整理、自然再生協議会の設立に向けての準備等いろいろ仕事をこなしていった。自然再生の取り組みに関しては、埼玉大滝村の吉田さん達が、来週小菅に視察に見えるという。いよいよ忙しい季節を迎えることになる。 


2004年2月20日(金)[14:30:13]  
田舎には組の当番がある。今年は、粟塚稲荷大明神の当番である。仕事は、稲荷の社の前に大きな幟を立てること、草むしりなどの清掃、灯籠の紙の張り替え、ろうそくの取り替え、注連縄の張り替えなどである。地区ごとの当番が6名あつまって行うわけであるが、親分の近藤さん、田中さん、広瀬さん、三枝さん、田辺さんともいずれも性格円満で楽しく仕事を終えることが出来た。
 午後からは、川崎市のせせらぎ館に向かう。夜7時から、流域の市民が集まって流域の連携のあり方や市民運動の進め方を真剣に話し合った。世話役の石田さんを始め、川崎の井田さん、長島さん、鈴木真智子さん、世田谷の鷲見さん、中流域の横山先生、大沢さん、山道さん、倉持さん、昭島の長谷川先生などたくさん集まった。前回もいろんな意見がでたが、河口から源流まで、広く意見を集められる多摩川の流域を網羅した組織を作りあげていこうという意見が多く出された。特に源流に関しては、源流から河口まで多摩川に関する多くの市民・住民に働きかけて「多摩川流域ネットワーク」をつくるよう提案した。行政とのパートナーシップを組む組織に関しては、多摩川流域懇談会を中心に多摩川は早くから取り組み、緩やかな合意形成の場を確保してきた経験がある。また市民の声を河川整備計画に反映させるために、多摩川セミナーを開催するなど様々なアクションが取り組まれてきた。今後、河川計画を河川管理者が実施に移していく長い取り組みが続くが、見直しや監視など求めていく必要がある。と同時に、流域の市民は市民で独自に連携を強め、交流を進めていく必要がある。そのために多摩川流域ネットワークの設立が望まれる。

2004年2月19日(木)[09:36:50]  
日本の子供たちを川に親しませようと各地で「子どもの水辺」づくりが進められている。「子どもの水辺」東京連絡会議が、文部科学省、国土交通省、環境省、東京都、河川環境管理財団などの主催で、代々木オリンピック記念青少年総合センターで開催された。第一分科会のコーディネーターを頼まれたので、午前11時に会場に出向く。荒川の佐藤さん、隅田川の藤原さん、昭島水辺の楽校の西山さん、みずとみどり研究会の小倉先生、狛江水辺の楽校の竹本さん、鶴見川流域ネットワークの平山さんの7名のコーディネータと顔を合わす。鶴見川の平山さんと隣り合わせになったので、自己紹介をしあい親しくなる。
 第一分科会は、荒川水系上流・多摩川水系上流の参加者対象。コーディネーター補佐が、旧知の国土交通省河川環境課の森本課長補佐だつたので助かった。この分科会への参加者は多く45名を超える盛況ぶり。参加者の内訳は、市民団体、教育関係者、河川管理者など。自己紹介で45分経過する。そこで出された学校と地域における総合的教育としての環境教育の進め方に関して議論を深めていく。学校の中だけでは限界がある中、どうすれば生き生きとした環境学習が進められるか、その各地の事例を出してもらい、学校と地域と教育委員会と河川管理者と専門家との連携、情報の共有にかんする課題を深めあう。
 また、子供たちが川で遊ぶ際の安全管理に関する意見、提言も多かった。もし重大な事故が一回でも起きれば、二度と川に近づけなくなる、フェンスが張ってあり、川に降りられない、学校では川で泳ぐなと指導している、川にトイレがないなどなど様々な現状が報告された。あらかじめ、着衣のままで川につからせる授業をやる、安全管理を図りつつも、子どもに自分の安全は自分で守る取り組みをさせていく、小さな危険を体験させる、指導者が川を良く知るなどなど今後の活動に向けた方策もたくさん示された。また、清瀬の市民団体の生き生きとした取り組みが報告され、注目された。あっという間に90分が過ぎてしまった。
 閉会集会で国土交通省の金尾調整官が、1)子供たちを川に誘うには、魅力的な川づくりが課題であり、フェンスの問題、トイレのことなど課題を一つ一つ改善すること、2)安全の問題に関しては、慎重な取り組みが求められていること、父母の理解と協力もいることなど課題が多く出されたこと、3)総合学習への支援。どこに相談したらいいのか、誰が支援してくれるのか、人材バンク、情報の共有、流域センターの活用など学校と地域との連携。4)川を巡る関係者の連携が深まった。活動の継続と蓄積、関係者の顔が見える機会が持てたこと。こうした機会を持っていきたいとまとめられた。
 夜の懇親会が楽しかった。河川環境管理財団の吉野英夫さん。昨年の広島でも随分お世話になったが、集会の成功に笑顔が溢れていた。子どもの水辺サポートセンター所長の山本雅史さん。困ったことに「源流絵図」お渡ししていなかったので、当日渡したら、「絵図を見てすごいと思って涙が出ました」と嬉しい答えが返ってきた。稲城の先生、同じく財団の細見さん、菅原さん、毎日新聞の谷さんらに挨拶。鈴木真智子さん、梶谷有華さんと乾杯。そこへ、鶴見川流域ネットワークの親分・岸先生が登場。すっかり意気投合する。真智子さんも岸先生も文明も昭和22年生まれ。そこに吉野さんもそうだとの情報が来る。真智子さんを会長とした「22の会」が発足する。今後、多摩川と鶴見川の連携を強めていくことになった。環境省の佐藤補佐、国土交通省の金尾さんらと親しく話をした。


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