文明の源流日記


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2004年9月30日(木)[00:37:45]  
 源流研究所で全国シンポに必要な資料を準備して東京に向かう。東京農業大学で資料の袋詰めを行う。所長、菅原先生、長倉さん、徹君、真里さん、学生。看板、立てかん、のぼり、会場設営、役割分担などなどを決めていく。宮林先生、菅原先生を始め、東京農業大学の全面的な協力体制に支えられて準備は進む。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。


● イモアライ滝
お花淵のすぐ上流にある。落差は3,4bの滝だが、3本、4本の流れが一個所に集まりモクモクと盛り上がっている。お互いにもみ合う姿からこの名が生まれたのであろう。イモアライ滝の左の肩に幅の広い水道がある。増水時には、この道も水に埋まるのであろう。

 ● お花淵
お花という人がここに飛び込んで亡くなったことからこう呼ばれている。左岸は高くて大きい岩があり、右岸は大きな石がゴロゴロしている。左の岩盤をなめながら激しい音を立て、左右にうねりながら流れる。ゴーロ同様素晴らしい眺めである。

   ● 平の沢出会い滝
左岸から滝が流れ込んでいる。この沢の筋に平らなところがあり、畑が作られていたことから平の沢と呼ばれた。


2004年9月29日(水)[00:35:49]  
高知県十和村から多摩川源流協議会の活動視察に17名の議員と職員が見えられる。あの天下の清流・四万十川の中流域に位置する村だという。少しづつ痛みつつある清流をどうして保全していくのか、流域の連携をどう確保していくのか、多摩川での経験に学びたいとのことであった。聞くところによれば、四万十川流域の8市町村で流域人口は8万名とか。充分相互の連携が取れているとはいえないと言う。四万十川という大きな財産を活かす戦略を是非考えて欲しいとアドバイスする。是非、四万十川に行ってみたい。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。

   ● バクチ岩
50mくらい登ったところに、昔バクチ小屋があり、人の出入りが多かったことからこの名が付いた。今はトシハシ場とも呼ぶ。ここの淵は幅が広くてゆっくりと流れる。淵頭は、早瀬で瀬音は強い。正面に稲村岩がそびえている。

● 弁天 
左岸に15mを越える大きな弁天岩があることから、この一帯を弁天と呼んだ。その岩の下に淵があるが、右岸の岩壁に激しく削られた凹凸が残されている。

2004年9月28日(火)[00:33:06]  
多摩川源流協議会が開かれた。塩山市、奥多摩町、丹波山村、小菅村で構成する協議会の総会であり、その事務局を源流研究所が担っている。昨年度の活動のまとめと今年度の事業計画と予算が審議され確定する。今年度は、昨年出された答申の具体化を視野に入れながら、中下流域との懇談会の開催、「鹿の食害調査と裸地化された山林の復元策」検討会の設置をきめる。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。

● 古ミノト橋
昔、巳ノ戸の集落(3〜4軒)に通じる橋がかかっていて、そのすぐ近くに大きな淵があった。洪水の度に埋まり、今は昔の面影はない。左岸からさほど離れていないところに大きな石があり、ここに橋が架けられていたという。

● キンザ淵 
     昔、キンザという名の男がこの淵に流され怪我をしたことから、           キンザ淵と呼ばれている。左岸に大きな岩があり、淵頭は滝のよ           うに激しく流れ込んでいる。ネズミ沢出会いにある。

● 六段の滝(無名滝)
右岸から流れ込んでいる。一段目は、落差が大きくて幅広の             布滝、二段目は2本滝、三段目は、幅は狭いが布滝、四段目             は、緩やかなV字谷、五段目は堀割になっていて姿は見えな             い、六段目は銚子滝。水量は少ないが、見栄えの良い滝であ             る。



2004年9月27日(月)[00:30:32]  
 朝9時から、小菅村の国土創発調査で何をやるのかについて青柳課長と奥秋リーダーと議論し、方向を出していく。源流再生にとって要をなす森林再生や源流景観の再生を柱にしながら、源流の資源を流域で活用する方策や源流資源マップ作りなどをまとめていく。午後からは、明日の多摩川源流協議会の準備を行う。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。

  ● ネッコ滝 
大きな木の根が岩にはさまり、雑木がたまって滝をつくっている。

● カナ小屋の大淵
ここで昔鉄を掘った。今でも赤さびた水がたまる。ここに大きな淵があり、よく魚が釣れた。

● ミノト橋 
「オタビショノ下」・・・天祖のたて岩さんが秩父の妙見山に旅に出るとき、ここで身支度をしたという。巳ノ戸に通じる橋。

● 鷹ノ巣出会い淵
鷹ノ巣(1736m)より流れ下る鷹ノ巣谷との出会いに大きな淵がある。昔鷹ノ巣沢に水車があり、村人がここでアワやヒエをついたという。

2004年9月26日(日)[00:28:37]  
昨日と今日で様々な本を読み、脳味噌をかき混ぜ心の充電をしてから、第5回全国源流シンポ寿有無の「源流からのメッセージ」の下書きに挑戦する。源流とは何か、今日本はどこに行こうとしているのか、将来に何を残したらいいのか、様々な思いが体中を駆けめぐる。考えれば考えるほど文章が難しくなる。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。

● 丸淵
大きな岩の近くに大きな淵があり、大物のヤマメのあがる場所だった。

     ●  鉄砲出し跡
日原川では、多くの材木が川を利用して下流に運ばれていた。            一本流しとか筒流しとか呼ばれていたが、水量が少ないときは            鉄砲出しが行われた。三ヶ所あるうちの一番下流。

 ● イヤゴヤ淵(岩小屋淵)
地元ではイヤゴヤと呼ばれている。昔、材木を流すための小屋をたてた大きな岩があった。今はガクレク岩と呼ばれ、岩登りに利用されている。日原山荘下にある。



2004年9月25日(土)[00:25:39]  
 山梨県立文学館で、NPO法人に関する研修会が開催されたので真里さんとと2人で参加する。東京からきた講師が市民活動のあり方を詳しく報告し、行政と市民の間に立って、両者をつなぎ融合させていくにはどんな活動が求められているのか分かりやすく解説した。NPO法人全国源流ネットワークの設立に向けて良い勉強になった。

2004年9月24日(金)[00:18:16]  
山梨県の森林環境部の水戦略会議に参加する。山梨大学の砂田先生、風間先生、山梨総合研究所の早川さん、私と4名と、県から広瀬課長補佐、島田さん、名取さんで山梨の森林と水を取り巻く現状とこれからの課題について議論する。色々勉強になった。

 奥多摩版実踏調査の続きを紹介する。 

● バケモノ淵
          岩や木に覆われた場所でいかにもバケモノでもでそうな程、暗くて          怖い淵。今は、釣り場になり昔の面影はない。

● サクガ淵
明治時代にサクエモンという人が飛び込んだところ。



      ● 小川出会い淵
           小川谷との出会いにある淵。本流と変わらないくらいの水量を持           つ小川谷は、奇岩、奇蹟を多く抱いている。


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