文明の源流日記


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2004年11月20日(土)[03:12:30]  
 明日から我が故郷・宮崎の源流資源調査に出かける。昔から焼き畑農業でも有名であった椎葉村に出かけることになった。耳川の源流域で昔ながらの生活や暮らしが残っているという。村の広さはかなりありそうで、いろんな場所に行きたいが、うれしいことに甥が椎葉村で教師をしているので、案内をしてくれるとのことであった。どんな源流の暮らしが待っているか、どんな川の姿をしているか、どんな源流景観に出会えるか興味しんしんである。

2004年11月19日(金)[03:02:21]  
京浜河川事務所の山口調整官と山口技官が国土施策創発調査の打ち合わせで小菅村を訪ねられた。今度施策創発のなかに小菅村における多自然型川づくりを取り入れたいと思い京浜河川事務所に相談したところ、いずれにしても現場を視察したいとの申し入れがあり、この日の実現となった。小菅村役場での打ち合わせには、青柳課長と所長、中川研究員が出席した。山口調整官の話によると日本の源流域における多自然型川づくりの事例はほとんどないとのことであった。とにかく現場を見ようと言うことになり、小雨の中を対象地の宮川を視察する。河床の幅は約10bでそのなかを2メートル前後の川が蛇行しながら流れている。源流域であっても郷に近いこの川は両面がコンクリートで固められていて変化に乏しい魅力に欠ける川に変貌している。ここに源流らしさ、川らしさを取り戻そうとの計画である。山口調整官は、宮川を熱心に視察し、「これはなかなか面白い。若い技術者に図面をかかせて鍛えていくのも良いし、河床に広がる岩盤はそのまま生かし、その場所を広場にしたいね」とかいろいろアイデアが沸いているとの印象を受けた。
 この事業の狙いは何か、地元とどう合意形成を図るのかなどなどこれからの課題も多いが、いずれにしろ今度の国土施策創発調査でこの計画に挑むことになった。山口調整官のサイドで先ず今後の段取りの素案を検討したいとのことであった。また、「多摩川マイスター」に関しては大変結構な取り組みだと思うので、検討したいとのことで、白馬への先進地視察は一緒に行きたいとのことであった。夕方、青柳課長、奥秋リーダー、所長、中川研究員で日本財団への森林再生プロジェクトの事業内容の検討を行った。また、12月11日の多摩川流域セミナーの日程や準備に関して打ち合わせを行った。

2004年11月18日(木)[00:26:58]  
「みんなで創ろう元気な源流を 国土施策創発調査研修会」を役場の2階会議室で実施した。「源流再生・流域単位国土の管理と保全に関する調査」事業に小菅村村民の理解と協力を広げていこうと企画したもの。夜の会議の時間は雨がしとしとと降り村民の出足が悪いかなと思っていたら、会場が一杯に溢れる盛況ぶりに驚いた。廣瀬村長の挨拶の後、環境省自然計画局の佐藤寿延課長補佐、林野庁の河野計画官、青柳振興課長、中村所長がそれぞれ分担してこの取り組みの概要を報告した。司会は奥秋一俊さん。これだけの参加者が一堂に会したことがまず大成功といえるだろう。佐藤さんは話が上手だ。研修会が終わってからの亀井屋での懇親会も楽しかった。気持ちが晴れ晴れとなり、これから頑張ろうという元気を村民から貰った。

2004年11月17日(水)[00:13:36]  
源流研究所の会報で新春特別対談を企画している。今回は、京浜河川事務所の海野修司所長との対談で横浜市鶴見区にある事務所に出かける。鶴見駅で中川君と待ち合わせ、京浜事務所で土屋係長とまず打ち合わせをする。
 京浜河川事務所の所長室で対談を開始する。始めに海野所長の子どもの頃の川や自然との出会いや思い出を聞いた。今年は台風が10個も日本列島に上陸し89名もの尊い命が失われるなど大変大きな災害に見舞われたこと、海野所長は小さいときから親や祖母達から伊勢湾台風について家の二階まで浸水したこと、大勢の人が亡くなったことなどたくさん聞かされたことなどこんな文化が日本にはあったこと、また幼いころ近く祖母の実家で魚取りをして鮒を何十匹もとって甘露煮にして食べたことや大きなボラを釣って、持って帰る途中で田んぼのあぜ道で転んで魚を逃がしたこと、その魚をまた捕まえるのに苦労したことなどを生き生きと語られた。面白く楽しい企画ものになりそうである。対談終了後、土屋係長と「多摩川マイスター」について協議する。多摩川流域ネットワークで議論して今年度の取り組みとして多摩川マイスタープロジェクトを立ち上げたこと、源流研究所と協力してこの事業に取り組むことなどを話し、京浜河川事務所に協力をお願いした。

2004年11月16日(火)[04:46:08]  
 川崎市の登戸の近くにあるせせらぎ館で多摩川流域懇談会運営委員会に出席する。京浜河川事務所から山口調整官、竜野調査課長、東京都から鈴木さん、川崎市、稲城市からそれぞれ担当者が、多摩川流域ネットワークから長島代表、中村、倉持副代表、鈴木事務局担当が参加した。議題は、第15回 第16回多摩川流域セミナーの内容と進め方、それぞれの参加状況、それから来年2月の流域セミナーの内容について意見交換した。所長は、小菅村のセミナーへの参加を呼びかけた。それぞれがいろんな意見を出し合い議論がまとまり次回の日程を確認して終了した。
 夜は、多摩川流域ネットワークの運営委員会を開催した。長島、中村、倉持、鈴木、石田、竹本、井田、長谷川、安元の各氏と浅川の諏訪さんが参加した。運営委員会では、流域懇談会運営委員会の確認事項を報告し、ネットワークの総会に向けて今後どんな課題があるかを出し合った。今年のこれからの課題として、こんなことをやりたいと言うことをみんなで出し合った。会員を増やすこと、広報関係の取り組みを強めること、TRM事業について多摩川セミナーで取り上げること、水質・水量、生き物懇談会などの研究事業への協力、多摩川マイスタープロジェクトへの取り組み等を出し合い、確認する。文明所長は、源流研究所を中心に多摩川マイスタープロジェクトに取り組むことになった。嬉しかったのは、狛江の水辺の楽校が、すでに「狛江マイスター」づくりに取り組んでいて、綺麗なパンフレットができあがっていたことである。2年間かけて是非完成させていきたいものである。

2004年11月15日(月)[04:14:16]  
第5回全国源流シンポジウムの報告集の原稿の出稿の日がやってきた。割付や写真の整理、一面のレイアウト、奥付などを片づけていく。11時にサンニチ印刷の五味さんが自宅に原稿を取りに来る。何とか間に合って良かった。12月11日の第15回多摩川流域セミナーの開催日には間に合いようだ。それにしても少し忙しすぎる。仕事を片づけても片づけても、仕事が沸いている。砂漠の泉・オアシスなら大歓迎なのであろうが、止むことのない仕事には少々食傷気味である。どこかでキリを付けたいと頑張るが、次から次から企画ものがついてくる。文章化する作業は、体力がいる。知力がいる。心の充電が入る。少し心にゆとりが欲しい。そんな毎日である。 
源流研究所で、第15回流域セミナーの案内状を発送する。流域の市民へ330通を所長と中川徹君、中村真里さんでせっせと封筒に入れてセロテープで封をする作業をやり終える。

 明日、川崎市のせせらぎ館でやられる多摩川流域懇談会運営委員会のレジメを準備する。

 森林再生の参加者のアンケートを紹介する。

□緑のボランティアも回を重ねて技術も上がった。天候も良く今年最後のボランティア隊として成果があったと思います。12回目、事務局のご努力を感謝します。事故防止について、集合時、詳細に説明をすべきと思います。事故を起こすと事業の推進上、影響が大きいと思います。

□少人数だったので作業をしやすく指導も行き届いていて良かったと思います。一度、倒れてくる木の下敷きになった人がいたので、かかり木の対処方法でもっと安全な方法があれば知りたいです。

□昨年度以来のひさしぶりの参加で楽しかったです。山仕事で汗を流すって気持ちがいいですね。今年は今回で終わりですが、来年からも出来る限り参加させていただきたいと思うので、よろしくお願いします。収穫祭にて乱れた生活が一気に直った気がします。(笑)作業に入る前に安全確認等の説明がなかったかと思います。何度か危ないなと思ったことがあったので、ちゃんと行った方がいいと思いました。

□真っ暗な森が明るくなり、座位も山積みになり、やりがいと少し達成感がありました。倒すのは大変でしたが、事故無くできみんなで力を合わせて楽しい汗をかきました。ありがとうございました。夫と二人で参加しましたが、班を分けられてしまい、ちょっと悲しかったです。お世話になりました。

2004年11月14日(日)[04:04:41]  
森林再生プロジェクト・緑のボランティア活動二日目。今年の9月に、間伐の作業の技術の向上と効率化を図る目的でチェンソー教室を開き、講習を受けていただいたが、今回もチェンソーによるステップアップ間伐体験を実施した。これは、地元の木下景利さんの山の提供と技術指導の両面の提供があり、実施できたわけである。今川にある40年〜50年のヒノキをチェンソーで間伐する。チェンソーのエンジンを始動し、受け口をいれ、追い口をつけると大きな木が傾き始める。たいていは、枝が他の木に掛かりすんなりとは倒れてくれない。ロープで引っ張り、根本を抱いて移動させたりと切るときよりも倒すときの方が何倍も労力を必要とする。枝からはずれ、大きな木が倒れるときは、どすんと地上に落下する。地響きがする。すごい迫力であり、これはまたすごく危険でもある。年間、間伐による怪我や事故が絶えないとの情報もうなずける。常連の新井さんや東京農業大学の三人の美女(上田敦子さん、小関彩子さん、和泉亜季さん)も二日間、チェンソーのステップアップ間伐体験に挑んだ。真剣な眼差しで間伐に取り組む乙女達の姿は、実に我々を励まされる。心に中に温もりが生まれ、未来への力が生まれてくる。汗をかきながら、チェンソーによる間伐に熱心に取り組んでいる姿を全国の国民に見て欲しいとつくづく思う。今回の間伐は、温泉場の近くでもあり、源流景観づくりの視点からも大変重要な取り組みとなるであろう。この2年間、熱心に参加された流域の市民のみなさんに心から感謝したい。

 参加者の感想・アンケートを紹介する。

□昨年参加したときよりも作業が楽に出来たように思う。木が無くなり木々の間から空が見えるようになると心地よい気分になる。これからも参加していきたい。土曜日の朝、奥多摩の駅で小菅村の人に声をかけられ何をしに行くのか聞かれ「森林ボランティアだ」というと、うちの山も伐採して欲しいといわれた。村の方々からボランティアの間伐でも良くできたといわれるようになれたらと思う。昼休み散策路を歩いていたら村の人と話をした。気軽に会話が出来る雰囲気がいい。

□森林の中にて、やはり土と森は呼吸している。初対面の方でも、共通の話題があり、有意義。晩秋、実りの秋、冬越しの準備を山里にて実感。



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