文明の源流日記


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2005年1月2日(日)[15:22:29]  
多摩川源流大学構想をこの正月の休暇中に立ち上げなければならなくなり、様々な本や各地の取り組みを読みこなしている。新しいものを生み出すときには、大変な労力が必要となる。またその時にこそ、己の力量のなさをつくづく思い知らされる。自分はもっと想像力があったろうにと思えども、貧困なる頭脳からは新しい視点や角度を変えた見方などは、なかなか生まれない。歴史の本に触れたり、文学作品に日頃から接していることが,こうした時に、様々な構想や考えがそれこそ泉のように沸きあがるならどんなに嬉しいことだろう。産みの苦しみはいつまで続くのか。苦しかれば苦しいほど、やる気になるというこの楽天家は困ったものである。のうてんきなのが幸いしているのかもしれないが、求め続けていれば、新しいものに出会うだろう。
 引き続き源流絵図奥多摩版を紹介します。

源流絵図奥多摩版の21

   ● ゼンダナ淵
明治時代にゼンキチという釣り人が棚から落ちて亡くなった。周りが滑りやすく淵は深いので、釣り人にも恐れられている。

● ナグリ沢出会い淵
右岸から流れ落ちている名栗沢の出会いに、小さめの淵がある。この沢にも大きいカタのヤマメがいたという。このグリは、石を意味していることからこの沢は石の沢と思われる。


● ヒカリ石
日陰名栗沢出会いの下流にあり、大きな石が夜になると光るのでこう呼ばれている。この周辺は足場は悪いが釣り人達の絶好の釣り場になっていて、この呼び名は多くの人に知られている。

● ナカゴヤ沢出会い淵
左岸からナカゴヤが本流に出会う地点から少し下ったところに淵がある。

● 岩清水
いくつもの淵を通り抜けると、右岸の大きな岩の割れ目からこんこんと清水がわき出している。その清水の冷たさは年間を通して変わることなく、地中深くから湧きだしたものと思われる。

● 曲り尾根淵
この周辺は谷が深すぎて通過することは出来ない。日原の流れは突きだした尾根に沿って大きく湾曲し、その大曲りにこの淵はある。上段の淵と下段の淵に分かれていて、上段の淵は淵頭の滝から流れ込んだあぶくで真っ白になっており、それに比べて下段の淵は流れはやや穏やかで青々として不気味な印象を与える。


2005年1月1日(土)[15:08:58]  
 明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。どんなときにも小菅村と源流研究所を心に留めていただき、しかも繰り返し繰り返し小菅村を訪れていただき、本当に心から感謝いたします。
 源流は大変な転換期にありますが、源流の価値と役割はますます大きくなり、その可能性は必ずや広がっていくものと確信しています。今、源流の村が速い速度で消えていっています。平成の大合併はこれからも進でしょう。でも、国の形として、残すべきものは残すべきでしょう。世田谷など都心があって、府中や八王子があって、青梅市があって、奥多摩町があって、丹波山村と小菅村がある。多摩川流域の今の形はとても自然です。小菅村や丹波山村に、青梅市や大月市は似合わないと思います。源流域の資源を担う新しい担い手をみんなで支え、生み出していくべきでしょう。人口が少ないと言うことは、政治力はないということです。政治から見放され、社会の発展から外されても、源流は源流です。日本の誰かが守っていかなければ日本の山河が荒れてしまうでしょう。壊れてからでは遅いのです。今年は、この源流を支え守る仕組みを考える一年にしたいと思います。良いアイディアや提案、意見を下さい。
 今年もよろしくお願いします。
 引き続き、源流絵図奥多摩版を紹介します。

源流絵図奥多摩版の20

● 昔鉄砲出し跡
一番上流にあった鉄砲出しの跡。切り倒した材木を谷からひいて一定量        貯まると川をせき止めて小さな堰を作り水と一緒に材木を流した。

  ● コウオドメ滝
魚はこの滝より上流にはすんでいなかった。落差は5〜6メートルで、下のウオドメに比べてこぶりなのでこの名が付いた。

● カラマツ出会い淵
雲取山に登る登山道の橋がかかっている。カラマツ谷は大きな谷で、大小無数の滝が連続する。

● キンザ小屋淵
沢にワサビ田のための小屋がたてられたことからこの名がついた。キンザはたぶん人名であろう。

● オオウオドメ滝
20m位の落差の滝で、この滝を上れる魚はいなかったことからこの名前が付いた。今では白滝と呼ばれている。

● カジ小屋淵
左岸に岡部さんのところのいいワサビドウ(ワサビ畑)があった。そのワサビドウのシリに小屋があったことからこの名が付いたといわれているが、その小屋がなぜカジゴヤと呼ばれたのかは不明。


2005年12月28日(火)[14:38:20]  

仕事納めの日である。ラックの方々が来年3月のシンポの下見に見えられた。いろいろ打ち合わせをする。嬉しいことである。全国シンポをわざわざ小菅村で開催していただけるのである。真心を込めてお迎えしたいものである。仕事納めの村長の話は、身の引き締まる思いで聞いた。厳しい情勢であるが頑張らないと。
 皆さん、今年一年、源流日記を訪れていただいて有り難うございました。
 引き続き源流絵図奥多摩版を紹介します。
 
源流絵図奥多摩版の19
● 幻の六間ノ滝
日向谷出会いから数百メートル上流の熊穴の谷に、まぼろしの六間の滝がある。六間の滝とは六ヶ所の滝が連続する姿から生まれた名前という。大雨の時にだけ姿を現すまぼろしの滝。釣り名人の山崎進さんでさえ目撃したことはないという。山崎さんのお父さんは山のガイドをしており、遭難者を救助する活動の途中でこの滝を確認したという。

  ● 日向谷出会い
雲取の大滝から100mくらい上流に日向谷が流れ込んでくる。

● 雲取の大滝
雲取谷にある姿の美しい滝。落差はそんなに大きくないが、清流が布状になって流れ下る。広葉樹の森に滝音を響かせて、小鳥や鹿などを呼び寄せているかのように、心地ち良い風を巻き上げている。

 ● トチのクボ
日原川最上流部の大雲取り谷は、ブナやミズナラ、モミやツガなど落葉広葉樹と針葉樹の森が広がっている。沢筋には、サワグルミやシオジ、カツラなどが多い。この場所には大きなトチノキがくぼ地にいっぱいある。

 ● キリドウシ
切り通しは山道を作る際、立ちはだかる尾根の高見を垂直に近い角度で切り取ったか個所をキリドウシという。ここでは、水の力で山が削り取られた場所のことである。
● ゴンエイ出会い淵
淵自身はさほど大きくないが、近くにゴンエイワタッパ(千人尾根)があり、明治初期にここで軍隊が訓練をしたという。ワタッパとは渡り場のこと。

 ● ゼンベイ滝
ゼンベイさんが落ちて亡くなったことからこの名が付いた。手前の右岸が大きく崩壊している。

 ● 長沢出会い淵
左岸から長沢が流れ込んできている。長沢は谷全体に太陽がさし込み、明るい谷になっている。明るい谷のヤマメは丸々としていて、いい値で売れた。



2005年12月27日(月)[14:37:34]  
 源流研究所で、来年度の事業計画を考える。来年も忙しい年になりそうだ。続いて、多摩川源流大学関係の資料を中川徹君が集めてくれていたので目を通す。午後4時に金尾さんら合うために東京に向かう。これからの源流に何が求められるか、どんな道を探るべきなのかについていろいろアドバイスを頂く。大変参考になった。
引き続き源流絵図奥多摩版を紹介します。

源流絵図奥多摩版の18
 少し登ると右岸に六段の滝が落ちてくる。一段目は銚子滝、二段目は掘り割り滝で姿を隠す。三段目はゆるやかなV字滝。四段目は幅はせまいが布滝。五段目は二本滝、六段目は高くて、幅広の布滝。滝全体がなかなか見応えがある滝である。六段の滝のすぐ上に無名淵(泡淵)がある。左岸に白くて大きな石を配し、淵頭の落ち込みは1b足らずだが、流れは早く、水量が多いので深く潜り込んで、一面を真っ白い泡状にする。
 しばらく進むとねずみ沢出合いに着く。流れは細いがワサビ田が両岸を埋めている。出合い付近は大きな石がごろごろしている。しばらく登るとキンザ淵に出合う。左岸に大きな石があり、淵頭が滝のように激しく流れ込む。キンザがここに落ちてケガをしたというが、この激しい流れならケガではすまないところだ。ねずみ沢出合いの上流にあたる。
 キンザ淵を過ぎて、左岸の岩をへつる登っていくと、川の真ん中にひときわ大きい石がある。昔ここにミノトへ渡る橋がかかり、深くて大きな淵があったという。洪水の度に埋まり、今では昔の面影はない。
 フルミノト橋から200〜300b遡ると右岸から鷹巣沢が流れ下る。この沢の出合い付近に水車があり、アワやヒエをついていたという。出合いのやや上流に出合い淵がある。左岸に大きな石をしたがえ、長さはさほどでもないが、幅も広い深い淵がある。


2005年12月25日(土)[14:35:32]  
朝9時30分に下西さん宅を訪問する。快く迎えていただく。下西さんと一緒に鶴谷さんの家を訪れ、三之公の地図の原盤を貸してもらい、複写することの許可を得る。実は、この地図は、明治12年に創られたものである。三之公の山の境界を確定するために、下西さんや鶴谷さんなど、三之公の関係者が7名集まり、地元の案内人とともに一週間かけて方向を確認しながら、詳細な林班図が作成されたという。そこには、ゴクモンダイラから始まる地形が克明に描写されている。利害関係を持つ関係者による地図なだけに、念には念を入れて正確な地図に仕立てられたものと推測される。これからつくる吉野川源流絵図の原型と言っていい。
 気持ちよく貸していただき、大和上市駅近くの写真屋さんでコピーをした。3時間近くかかったので、その吉野山の蔵王堂にいく。ここには不動明王が祭られているばかりか、役行者も祭られ、修験道の道場になっている。修験道とは「日本古来の山岳信仰に、神道や外来の仏教、道教、陰陽道などが混淆して成立した日本に固有の民俗信仰」との説明がなされていた。写真屋からコピーをもらい、下西さんにお礼を述べ奈良を後にした。 

2005年12月24日(金)[14:05:27]  
再び、天川村を訪れる。天川村役場を訪れる。観光課のいの瀬課長補佐とじっくり話をする。この天川村をこよなく愛する職員に出会えて心が温かくなる。全国的な源流再生の話をして、理解を求めた。樋口課長補佐、水口課長補佐とも交流する。この村には、年間80万人の観光客が訪れているという。この源流資源はすごい。もっともっと多くのことを学びたいと思った。
引き続き源流絵図奥多摩版を紹介します。

源流絵図奥多摩版の17

 しばらく進むと平の沢出合いにぶつかる。左岸から滝が流れ込んでいる。この滝の上流部は平で畑も作られていたので、平の沢という。出合いだけを見るととても平の沢という名前は浮かばない。平の沢の上流部はやや開けた河原が続く。少し遡ると高い岩陰と大きな石がゴロゴロする谷にぶつかる。そこにお花淵がある。左岸は高くて大きい岩があり、右岸には大きな石がゴロゴロしている。日原川は左岸の岩盤をナメながら、激しい音をたてて、左右にうねりながら下る。下流のゴーロと同様、素晴らしい眺めである。
 右岸の大きい石をふうふう言いながら登り詰めていくと、芋洗い滝に出会う。お花淵の上流にあたるが、落差は3〜4b、3、4本の流れが一個所に集まり、流れがモクモクと盛り上がっている。お互いにもみあう姿からこの名が生まれたのであろうか。芋洗い滝の左側に水道がある。大水の時はこの道もうまるのであろう。
 少しなだらかな流れに出会う。左岸には渡ると河原にぽつんと石が突っ立ている。4〜5bの高さで頭でっかちで、足下に来るほど、流れに削られて細くなっている。ろうそくの炎のようだ。名前をつけるとすれば、ろうそく岩とでも呼ぼうか。そのかわらの左岸に大きな大きな岩があり、昔から弁天岩と呼ばれている。その下に淵がある。淵の右岸はでこぼこと激しく削られた跡が岩にくっきり残っている。少し登ると左岸にバクチ岩がある。河原から50b登ったところに、岩陰にバクチ小屋があったことからその名がついたという。バクチ岩下の口は幅が広くてゆっくりと流れている。深さは2〜3bくらい。淵頭は早瀬で瀬音は強い。稲村岩が正面間近に見える。


2005年12月23日(木)[13:54:06]  
奈良県熊野川源流の天川村にはいる。初めて見る熊野川の源流に胸をときめかす。村の総合案内所に立ち寄り、パンフレットをもらい、見所をきく。弁財天は日本三大名所だそうで是非行きなさいと言われ、御手洗渓谷、洞川(ドロ)も勧められた。まず、弁財天に向かう。途中に八幡神社があり、大きな杉の木が生い茂っている。歴史を感じさせるなかなかの境内であるが、この程度の大きさの巨木は当たり前の光景なのだそうで、取り立てての看板もなかった。弁財天は、1300年前からのものという。芸能の神様として、全国で評判といい、神楽の舞台が桁違いに優れていた。洞川の宿坊は、景観的にも、とても価値のある見事なもので、真里さんと2人で寒風が吹き荒れるなか宿坊を眺めながら歩く。その奥には、ゴロゴロ水があり、女人結界が存在する。大峰山には、修験道の聖地であり、月山、英彦山とともに日本三大霊場を形成しているが、何と言っても、ここが聖地であり、今も修験者が数多く訪れている。驚くことに、大峰山には今も女性は立ち入ることが許されていない。真里さんがその門まで行きたいというので、女人結界の門にたち、文明は中に入るが真里さんは門の外で中を寂しそうになかを眺めていた。ここには、4つの女人結界の門が今も残る。
 帰りにミタライ渓谷を歩く。素晴らしい渓谷であるが、悲しい歴史を背負った渓谷でもある。新緑の水の流れる姿は、神々しいばかりに輝いているだろう、ここは間違いないなしに神々の語らいの場にほかならない。
引き続き、多摩川源流絵図奥多摩版の紹介をします。

源流絵図奥多摩版の16

 昔大橋を過ぎて、対岸に渡ると砂と小石の河原が広がる。特に右岸は2から3bの高さまで堆積した河原が広がり昨年から今年にかけての台風による浸食の後が2〜3bの高さのところに見受けられる。申し合わせたように両岸から岩が迫り出す場所が訪れ、暫く行くとアミハリ洞に着く。川岸の深くえぐられた岩に網をしかけ、魚を追い込んで捕った場所であることから、この名が付いた。蛇行する流れは転々とエゴの淵をつくる。エゴはアミハリの絶好のポイントだった。
 アミハリ洞を過ぎて、2、3回徒渉を繰り返すと、馬回しナギに着く。右岸にぶつかった流れは跳ね返されて、逆流する形でゆっくりと回っている。昔この辺りで、死んだ馬が捨てられたという。この淵で流れることなく、何度も回されていたのであろうか。この淵だけが、上流に向かって流れる大きな渦巻きを持っている。




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