文明の源流日記


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2005年2月15日(火)[08:36:18]  
 午後2時から、川崎市多摩区・せせらぎ館で多摩川流域懇談会が開催された。市民側から、長島、中村、倉持、鈴木の4名が、行政側が山口、辰野、高橋、鈴木氏らがそれぞれ参加し、2月17日の第17回多摩川流域セミナーの打ち合わせを行った。多摩川水系河川整備計画のフォローアップを辰野課長が、「これていいのか、整備計画」を浅川流域市民フォーラムの諏訪祥子さんがそれぞれ行うことを確認、グループワークのテーマとコーディネーターをそれぞれ確認していった。夜は、多摩川流域ネットワークの運営委員会に出席した。
引き続き源流絵図奥多摩版の内容を紹介する。 

源流絵図奥多摩版の43

●  クエモンの大淵
丸くて深く転がり石があったという。明治時代にクエモンがこの淵に         落ちたことから名前が生まれた。

イチザワ

 ●イチザワ出会い
左岸からイチザワが流れ込む。沢の奥行きは浅いため、水量は少ないが、上流部は開けており、ワサビつくりが盛んだった。
 
カロー沢

   ● カローの出会い
カロー谷を登り詰めると、見事な大滝がある。落差は60b。山崎進さん       が奥多摩町の職員を連れて、この滝に出向き滝上から巻き尺をたらし、そ       の長さを確認したという。由来は不明である。

● オオグロム 
大きな淵で右岸も左岸も通れなかった。林道工事で今はその面影           はないが、釣り人も気持ち悪がっていた場所だった。


2005年2月14日(月)[08:57:53]  
 源流再生・国土創発調査の大きな目的の一つが小菅村の源流再生モデルの実現にある。急激な過疎化・少子高齢化、財政危機、市町村合併のなかにあってその壁を乗り越えて自立型の小菅村をどのように構築していくか、これからの5年間が正念場だと言われている。こうした自立型の小菅村づくりをどのように進めていくか、村民の知恵と小菅村の資源をどのように生かしていくか。こうした目的で午前中に「源流景観形成ワークショップ」が、午後に「源流資源活用ワークショップ」が小菅村役場でそれぞれ行われた。午前中は法政大学・エコデザイン研究室が、午後は島根県中山間地域研究センター・特定非営利活動法人ひろしまねがそれぞれ指導に入ってきた。ワークショップには、村民35名近くが参加、小菅の魅力は何か、どこが気に入っているか、どんな自慢があるか、何が美味しいか、食材は何か、どんな資源がムラづくりに活用できるかなどなど沢山の意見・提案が出され、活発で有意義な意見交換会となった。
 引き続き源流絵図奥多摩版の内容を紹介する。

源流絵図奥多摩版の41
鳥居谷
    ● 鳥居谷出会い
右岸から鳥居谷が本流と出合うところに淵があった。鳥居谷には猟師が山鳥をとりによく通ったという。どこかの神社への鳥居があったのか、あるいは猟師の山鳥の標的にもってこいの場所であったのか。

犬麦谷
 ● 犬麦谷出会い淵
左岸から犬麦谷が流れ込み、伯母谷とも出合い、やや明るい小ぶりな淵        がある。犬麦谷には終戦後まで5〜6軒の家があった。日当たりのよい温       かい場所で炭焼きやワサビつくり、箸つくり等が営まれていた。犬麦とは、       植物の名前。

● キリ木小屋の大淵
大きくて深い淵で両岸に岩が迫っていたため、まかなければ通れない淵だ       った。

   ●  材木小屋の大淵
滝上谷出合いから150bくらい上流に大きな淵がある。淵から少          し離れた場所に作業小屋があった。その小屋を目印にして、この淵          の名が生まれた。


2005年2月11日(金)[03:21:14]  
 源流再生・国土創発調査の大きな目的の一つが小菅村の源流再生モデルの実現にある。急激な過疎化・少子高齢化、財政危機、市町村合併のなかにあってその壁を乗り越えて自立型の小菅村をどのように構築していくか、これからの5年間が正念場だと言われている。こうした自立型の小菅村づくりをどのように進めていくか、村民の知恵と小菅村の資源をどのように生かしていくか。こうした目的で午前中に「源流景観形成ワークショップ」が、午後に「源流資源活用ワークショップ」が小菅村役場でそれぞれ行われた。午前中は法政大学・エコデザイン研究室が、午後は島根県中山間地域研究センター・特定非営利活動法人ひろしまねがそれぞれ指導に入ってきた。ワークショップには、村民35名近くが参加、小菅の魅力は何か、どこが気に入っているか、どんな自慢があるか、何が美味しいか、食材は何か、どんな資源がムラづくりに活用できるかなどなど沢山の意見・提案が出され、活発で有意義な意見交換会となった。
 引き続き源流絵図奥多摩版の内容を紹介する。

源流絵図奥多摩版の41
鳥居谷
    ● 鳥居谷出会い
右岸から鳥居谷が本流と出合うところに淵があった。鳥居谷には猟師が山鳥をとりによく通ったという。どこかの神社への鳥居があったのか、あるいは猟師の山鳥の標的にもってこいの場所であったのか。

犬麦谷
 ● 犬麦谷出会い淵
左岸から犬麦谷が流れ込み、伯母谷とも出合い、やや明るい小ぶりな淵        がある。犬麦谷には終戦後まで5〜6軒の家があった。日当たりのよい温       かい場所で炭焼きやワサビつくり、箸つくり等が営まれていた。犬麦とは、       植物の名前。

● キリ木小屋の大淵
大きくて深い淵で両岸に岩が迫っていたため、まかなければ通れない淵だ       った。

   ●  材木小屋の大淵
滝上谷出合いから150bくらい上流に大きな淵がある。淵から少          し離れた場所に作業小屋があった。その小屋を目印にして、この淵          の名が生まれた。


2005年2月10日(木)[23:18:42]  
小菅村の青柳課長、奥秋主査、中村所長、中川研究員と菅原先生や国土地理関係者などと環境省の玄関で待ち合わせて、飯野ホールに向かい国土創発調査に関する取り組みの相談を行う。林野庁の森林再生モデル事業は、ボランティアと専門家による取り組みが確定してすでに募集が進んでいる。もう一つの森林資源調査をどのように取り組むか相談する。菅原先生から取り組みの概要が示されたので、その内容を整理していく。
 今川森林団地を対象に情報のデジタル化を目指す。 1)5000分の1の森林基本図を作成する。所有者毎の林小班を作る。 2)所有者毎の森林調査簿を作成する。所有者・境界線・樹種・樹齢・土壌・地形・管理などの資源データを入力する。 3)森林診断を行う。診断の基準は森林の健全度による。収量比較・最多密度・適正密度を明らかにする。 4)森林診断に基づく処方箋を所有者と相談して作成する。どこから作業を始めるか、道から近いとこはどこかなどの作業手順を確認する。作業道をどう整備するか、などの計画を立てていく。 5)この計画に基づく作業と管理の経過をデータベース化し、施行前、施行後の内容を更新していく。こうした取り組みを「森林再生資源データベース化」事業として推進する。ことなどを確認した。取り組みの課題が明確になりホッとした。
 午後からは、環境省の23回の第4会議室で、国土創発調査の打ち合わせを行った。林野庁の取り組みの内容、環境省関係のアジア航測の取り組みを検討し、地元の取り組みにどう生かせるかを協議した。打ち合わせの終わった後、毎日新聞の滝川編集員、高知の岸上さんらと懇談する。滝川さんは、1992年に川に関する特集を企画するなど川への関心と理解の深い方で日本各地の川を見続けておられた。島根の江の川で猿回しにあった話がでて、それが私の親友の村崎修二だったのには驚いた。世間は狭いものである。3月の島根の「源流再生シンポ」の記事を書いてくれるとのことであった。
 


2005年2月9日(水)[22:40:22]  
 源流研究所で中川徹君と小菅における国土創発調査の中心的な取り組みである東京農業大学による「住民意向調査」について協議する。宮林先生から「住民意向調査」の調査項目が送られてきたのでその内容を検討する。この「住民意向調査」は、小菅村の住民が畑や山林を今どのように管理しているのか、広さはどの程度か、栽培品目は何か、山林の手入れはどの程度行われているのか、山林は管理しているのか、貸し付けているのか、手入れができていなければ管理を多の方に任せるつもりかなど、畑や山林の現状が正確に把握される内容になっている。2人で検討した結果、もう少し調査項目を簡潔にした方がいい個所が何ヶ所か有り、徹君の方でそれをまとめて役場の奥秋一俊さんと相談して確認し、宮林先生に伝えるようにとお願いした。
 引き続き源流絵図奥多摩版の内容を紹介する。

源流絵図奥多摩版の40

●三叉の大淵
三叉とは、大京谷、酉谷(中沢)、悪谷の三つの谷を意味するが、この三つ      の谷の合流地点に近いことからこの名前が付いた。この大淵は、小川谷で一      番大きな淵であることからこの名が生まれた。

●小さい淵が連続する
魚止めの滝から三叉の大淵までの約300bにわたって、小さな滝と         淵が連なり、美しい景観を見せる。

   ●魚止めの滝(ウオドメの滝)
       落差は5b、滝壺は比較的小さい。登りあげてきたヤマメはこの淵に留ま       り絶好の釣り場だったという。

      ● シケン小屋淵
           この淵の近くに作業小屋があった。ワサビ田で働く人々の休憩小           屋にもなり、箸割りの作業やキリンボウの作業、コウラ割りの作           業など、周辺の木材を利用した仕事場があった。多少水がでても           大丈夫な位置につくられていた。その近くの淵にこの名がついた。



2005年2月8日(火)[22:09:32]  
丹波山村役場で源流協議会の助役会が開催された。助役会には、広瀬塩山市助役、村木奥多摩長助役、橋詰丹波山村総務課長、青柳小菅村源流振興課長、源流研究所の中村所長らが出席した。助役会では、平成17年度事業としてどんな事業に取り組むかが議題となった。源流における一番の関心事は、源流域の活性化を図るにはどうすればいいのか、その有力な手段である交流人口の拡大をどうはかっていくかにある。事務局から提案された源流大学構想について協議した。助役会では源流大学構想に関して「趣旨や構想は結構であるが、運営の主体はどこが担うのか、国からの財政的な明確な保証は受けられるのか」などの意見や要望が出された。
 市町村財政が厳しい中、新規事業に関しては財政的な裏付けのないものは実施が難しいこと、上下流連携のシンボルプロジェクトとして源流大学構想を推進するためには、流域の市民と関係市町村を束ねて理解と協力を得ることが必要であり、流域協議会(京浜河川事務所)がその中心に座って欲しいこと、国の明確な財政的支援体勢がほしいなど具体的な要望が示された。
 丹波山村の総務課長は「各市町村の間に源流大学に関して温度差がある。切実なのは丹波山村と小菅村だろう。源流大学を進めるにしても現在の負担金以上の支出は無理であり、はっきりした国の支援の形が必要である。流域協議会へこの構想を提案するにしても源流協議会が一致した行動をとることが求められる」との認識をしめした。
 源流協議会では、源流大学構想に関する京浜河川事務所の考えを確かめた上で幹事会でこの問題を協議することを確認した。
 引き続き奥多摩版の内容を紹介する。

源流絵図奥多摩版の39
□ 小川谷の滝や淵の名称と由来

  
 ●酉谷出会い 
小川谷の最上流部に位置する。トリはトオリ通じており、昔、            修験者はここから秩父に抜けたという。右岸からコツ谷が合流            する。今から10年ほど前まで、ここにワサビドーがあったと            いう。

●キエモン小屋 
酉谷出会いと三又(ミマタ)の大淵の間に、キエモンのワサビ田が          あり、ワサビ田や山作業のために小屋が建てられていた。

●悪谷出会い
出合いから150b近く両岸が絶壁の谷が続く。滝有り淵有りの悪場         から、この名前が付いた。別名は割谷(ワレタニ)。大地が真っ二つ         に割れたような地形からそう呼ばれた。

● 大京谷(上滝、下滝)
地元では、大京谷と呼ばれている。大小無数の滝が続くことから、滝         谷とも呼ばれる。下滝は、落差15b、上滝は落差50bの見事な滝         である。


2005年2月7日(月)[15:32:02]  
吉野川源流資源調査は、大いなる成果を上げて終えることができた。源流の村が抱く資源には、いろいろなものがあるが、川上村の資源の大きさには驚かされる。特に吉野杉の存在の大きさ、歴史の深さ、原生林を村が購入し次の世代に引き継ごうという姿勢の真っ直ぐさ、巨大なダム事業の中にあっても将来をにらみ源流の行く末をしっかりと見定めようとしているその確かな歴史を見る目など、川上村ならではの姿に小菅村の青柳課長、奥秋一俊さん、中川徹君達と一緒してその価値が共有できて本当に良かった。今後小菅村の村づくりに必ず役に立つときが来ると思う。
 4日には、山道さんも参加して吉野川の上下流交流連携の現状と課題、今後の展望などについて、和歌山市役所の方々や市民の方々と意見交換し、引き続いて吉野林業の歴史と現状、今抱えている課題、今後の林業の方向などに関して森林組合の方々や若き経営者たちと交流を深めた。5日は南朝の朝拝式を見学する。548年延々と続けられているというこの式に立ち会うことができた。南北朝の時代にタイムスリップした厳粛な雰囲気がなんとも不思議であった。続いて丹生川川上神社の上社、丹生川川上神社の中社と訪問する。中社の蛇を形取った注連縄と女神のエロスに満ちた神秘的な流れ、夢淵という名の不思議な形の淵などなど興味は尽きなかった。山道さんや立田さんを近鉄八木駅までお送りして、三輪明神・大神神社に向かう。ミタライの蛇の形の蛇口。これぞ蛇口という形を目撃する。巨木の巳の杉への信仰心の深さ、巳の杉の不思議な甌穴に大蛇が宿るという伝説、神社の中の神社という大神神社、神殿は三輪山そのものというが、あれもこれも不思議な世界で満ちている。奈良で日本文化の有り様を教えられた感がする。
 今日は、宮崎の綾町に仕事で出かける市民団体の方が訪問してきて懇談した。明日の源流協議会の準備をする。



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