文明の源流日記


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2005年10月4日(火)[14:46:16]  
多摩川源流研究所の会報・「源流の四季」が完成したので、領域の市町村に配布する。朝7時30分に上野原駅で中川徹君と待ち合わせる。環状8号線を南西に下り川崎市に向かう。川崎市では、多摩川施策担当の萩原課長に台車を貸して欲しいと電話したら、「自分ところの職員を派遣するから待っていろ」と返答があり、職員の方がわざわざ駐車場まで取りに来てくれた。会報の配布に全面的に協力をしていただいて感謝である。多摩川の源流への想いの深い市町村は、「源流の四季」への思いも強く、そうでないところは「源流の四季」への思いもなく、担当は変わるは部数は減ると散々である。世田谷区の対応があっさりしているのが残念である。それに引き替え狛江市は小川さんという強烈な小菅村ファンがいて、火傷するほど熱い対応をしていただける。有り難いことだ。それにしても、中川徹君はよく働く。コツコツと丁寧に仕事をしてくれた。

2005年10月3日(月)[14:32:57]  
 甲府市水道局の幹部の方2人が源流研究所にお見えになった。用件は、11月7日に予定されている甲府市の水源林シンポジウムの打ち合わせである。甲府市も今から90年も前に水源の森として不抜の森となった水道水源林を甲府・荒川の上流部に持っていて、この森を今後市民と共に保全したいとの意図でシンポを計画している。多摩川源流の具体的な話を聞きたいとのことであった。話によると1600fの自然度の高い水源の森があるという。是非見てみたいものである。

2005年10月2日(日)[14:23:46]  
 東京電力の環境活動の広報誌創刊号に、多摩川源流の活動が紹介された。これからもこの会報は継続していくものと思われるが、その創刊号に取り上げられ、活動が評価されたことは、我が人生の記念碑の一つである。その第2号に原稿を書いて欲しいと依頼され、今日一日本を読み、源流に関する記事を書いていた。

2005年10月1日(土)[14:44:17]  
 多摩川流域懇談会主催の多摩川セミナーが昭島市で開催された。「美味しい鮎・泳げる川」の復活を目指すもので、流域の市民が大勢参加した。最初の計画では、多摩川の上流のアユと下流のアユを食べ比べようと言うものであったが、投網で鮎を捕ってもらったが、今は時期でないとのことで、宮城県のアユによる試食になった。現地では、アユやき担当として奮闘する。熱い一日だったので炭で鮎を焼くのが大変だった。火力が強すぎて、アユが焦げてしまい生焼けのものが出てしまい、参加者に迷惑をかけた。申し訳ないことをした。その後、下水処理場の見学、水質水量のセミナー、意見交換が行われた。多摩川セミナーが少しずつ輪が広がっているのが、頼もしい。

2005年9月9日(金)[17:04:47]  
源流研究所の会報・源流の四季の原稿を必死になって書いている。ものを書くということは、書こうと思う対象について事実関係を丹念に調べなければならない。今回の一番のテーマは、森林再生プロジェクトに東京電力が関心を示し、共に汗をかきますと宣言したことであるあの天下の東京電力に関する記事である。人口千人足らずの小菅村と源流研究所を評価して地域における自然環境保全のモデルケースとして全力で汗をかきますと乗り込んできたことである。「東京電力が自然再生協議会に参加」との大きな見出しが源流の四季に躍っている。いくら感謝しても感謝しきれない。特に、矢野康明というもの凄い方が小菅村を惚れた。源流研究所を惚れた。東京電力がせっかく小菅村に光を立ててくれた。この千載一遇のチャンスを文明は逃がさない決意である。
 孫の真緒ちゃんは、今日もとても元気である。目白の聖母病院で記念写真を撮ってあげた。可愛い可愛い真緒ちゃんは、私の宝である。

2005年9月8日(木)[18:58:28]  
源流日記9月号



9月8日(木)
 この日の来るのをどんなに待ち望んだことか。愛娘・沙緒里の赤ちゃんが無事に誕生した。今日午前3時6分、3110グラムの丸まるとふくよかな顔をした女児だった。生まれる前から名前は決まっていた。お父さんの名前が末田真、お母さんの名前が沙緒里。お父さんの真とお母さんの緒を由来とする真緒(まお)という掛けがえのない名前が。午前2時58分、目白にある聖母病院から出産間近との緊急の電話連絡が真君の携帯にかかった。真君と文明おじいちゃんと真里おばあちゃんは、急いで病院に駆けつける。3時25分に病院に着く。暫くして看護師が真緒ちゃんが無事に誕生したことを伝えてくれた。母子共に健康との知らせ。あの可愛い沙緒里ちゃんが母親になった瞬間であった。ただただ神様、仏様に心から感謝した。どんな言葉にも置き換えることのできない心からの喜びが体中に充満し、世の中に存在するあらゆるものに心からの喜びを伝えたかった。
 唯ひたすらに真っ直ぐに生きてきたし、これからも真っ直ぐに生きていきたい。仕事に忙殺されながらも、あまり顧みる時間が少なかった家族であったが、家族は私の宝物であった。妻の真里は余りにも出来すぎた方であり、私の自由奔放な生き様を有りの侭受け入れてくださった。長女の亜希はそれはそれは本の好きな娘であった。ドリトル先生が最も尊敬する人と小学生の時語っていた。ドードーの話もとっくに承知していた。今は東京大学医学部の4回生。良い医者になって欲しいと願っている。
 午前4時過ぎに沙緒里と真緒ちゃんに面会した。元気な2人を前に、ただただ嬉しくて涙、涙、涙の連続であり、こんな幸せを運んでくれた沙緒里と真緒ちゃんに永遠の幸せを満身の気持ちを込めて不動明王にひたすら祈った。神のご加護がどこまでも届くようにひたすら祈った。夜が明けたので、一旦帰り、午後に真緒ちゃんに会いに行った。真緒ちゃんは新生児室にいた。小さな口をしきりに開けて、空気を一杯吸い込み母乳をもっともっと欲しいと叫んでおり、その生命力の逞しさに驚いた。この子はきっと元気で健康な子どもに育つに違いないと確信した。いつまで見ていても少しも飽きがこないのが不思議だった。口をパクパクし続けている真緒を優しいおじいちゃんの眼差しが注がれ続けていた。面会が正式に許された午後4時過ぎにワゴンに乗った真緒ちゃんがお母さんのもとにやってきた。可愛い真緒ちゃんと心の中で幾度も幾度も叫び続けた。この日は、私の人生で忘れることの出来ない日となった。

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