文明の源流日記


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2006年1月30日(月)[11:14:28]  

 土曜日は全国水環境交流会の研修会に参加した。多自然型川づくりを全国的にどう推進するか、国土交通省の関治水課長の話題提供を受けて議論した。大変参考になり元気をもらった。なかでも、宮崎の土井裕子さん、三重の川上さんら会えたことが嬉しかった。東北の高橋真理子さん、横浜の磯さん、荒川学会の三井元子さんらからいろいろ追求を受けたじたじ。森清和さんのお嬢さんにお会いできてゆっくり話が出来て良かった。一度源流へお呼びしたい。夜の懇親会がこれまた、ためになった。
 日曜日は、全国シンポの助成金の申請書かきに追われる。東京で仕事をしたので、疲れたら孫の真緒ちゃんと遊び、一生懸命申請書を作った。出来あがったので夜に郵送した。
昼間の暖かいときに、真緒ちゃんを連れて忍ずが池に散歩に出かけた。うちの真緒ちゃんが出会った赤ちゃんのなかで一番可愛くて元気だった。
 今日は、セブンイレブンみどりの基金に対する「源流絵図」の作成の助成金の申請書づくりであった。熊野川源流絵図、高津川源流絵図、四万十川源流絵図の三部作をこの三年でやるというモデル事業への挑戦。狭き門なのでなかなかかな。でも頑張ってみる。皆さん、応援して下され。セブンイレブンに行ったら、いくらでもいいから、みどりの基金に入れて下され。回り回って文明が喜ぶことになるのでよろしくね。


2006年1月27日(金)[01:59:12]  
池袋から塩山の自宅に寄ってから源流研究所に向かう。源流研究所では、第七回全国源流シンポジウムの助成金の申請書づくりに精を出す。源流研究所の上下流連携と源流大学モデル事業に関しては中川徹君が担当して作る。2001年に開始した源流シンポもあっという間に七回目を迎えた。源流の価値と魅力、源流の郷づくり、源流のネットワークづくりが大いに進むことを願いつつこれからもがんばる。今年は、多摩川源流で開催する。源流ファンの皆さん、是非参加して下され。
 夜は、奥多摩町でねねんぼう、奥多摩キャンプ場、山のふるさと村、源流源流研究所が集まって、奥多摩エリアの自然体験・ネットワークづくりの準備に取りかかろうとの話し合いが行われた。奥多摩の木の家の原島しょうわさんに初めてあった。すごいバイタリティ。あの元気と情報網の凄さにあやかりたいあやかりたい。

2006年1月26日(木)[01:36:00]  
 今日、東京で東京新聞のインタビューがあるので昨晩、北池袋の沙緒里の家に泊まる。もちろん、目的は孫の真緒ちゃんに会うこと。一緒にお風呂にはいる。なんと可愛いことか。あの赤ちゃん特有のもちもちした肌。プチプチした赤ちゃんの体。一人では何もできない無力の赤ちゃんが、無限のエネルギーを体に秘め、ジージにそのエネルギーを吹き込んでくる。ああーなんと可愛いい真緒ちゃん。
 午前10時に池袋の芸術劇場の前で東京新聞の須佐かおり記者と中村綾子リポーターに会い、インタビューを受ける。目的は、農大のフィールドスタディを東京新聞で大きく宣伝するとか。たくさんいる講師の中で、宣伝マンの一人に選ばれたとか。光栄なことだ。源流のすばらしさや源流絵図のことを話したらあっという間に1時間半がすぎて終了。夜は、鍔山先生に誘われて宮村忠先生の率いる日本河川調査会の学習会に参加。場所は江東区の森下文化センター。参考になるいい話を聞いた。玉川上水の取り入れ口はなぜ羽村なのかとの問題提起はいろいろ考えさせられて面白かった。その後、鍔山先生と赤坂見附で先生の友人に会う。日大の内藤禎二先生と四国香川の満濃池近くの大きなお寺の住職の渡辺淳先生。どちらも川への思いが熱かった。四国にきたら是非寄ってくれとのことであった。赤坂見附の遊心亭は料理がうまい。この日も鍔山先生のおごり。鍔山先生ご馳走様でした。

2006年1月25日(水)[01:42:39]  
 午前9時30分に田辺甲州市長に会う。甲州市のまちづくり政策委員会の構想とメンバー、勝沼のワイン振興策、田辺市長のホームページの内容について確認する。この市長面談には石川さんも同行する。終わったら、真里さんと一緒に源流研究所に向かう。相変わらず、柳沢峠の風は冷たかった。午後三時から、小菅の観光協会、小菅の湯、ゆうゆうクラブ、源流研究所、100パーセント自然塾などのメンバーが集まり、小菅の観光の振興策を検討する。学芸大学の黒澤君に実態調査を依頼する。それぞれの取り組みの実態をつかみ、どんな人がどんなことをやっているか、今後どんなことができるかなどを調査して、今後ネットワークを組んで取り組むことを確認した。また、今年度から源流探訪の旅などを観光協会と共催し100パーセント自然塾と協力して実施しょうと話し合われた。何よりも人材育成が肝要であり、源流ガイド、源流インストラクターをどんどん作っていきたい。

2006年1月24日(火)[06:13:40]  
 この冬一番の寒波が襲来した。朝6時に目が覚めたが、寒すぎて事務所の二階で仕事する気持ちが起こらない。それでは早めに源流研究所に行って原稿を書こうと6時45分、自宅を出発する。柳沢峠の気温はマイナス13度。この冬一番の寒さだった。車から外に出てマイナス二桁を体感する。寒風が体に吹き付ける。途端に上着から下着まで一瞬にして冷気が迫る。これが真冬の源流の風だ。大寒の真っ最中に訪れたこの冬一番の冷気、それにしても昔の人は一番寒い時を大寒と呼ぶから凄い。やっと「国民と森林」の原稿が書き上がった。小菅村の青柳振興課長の協力を受けてようやく完成した。午後4時からは、石川さんが自宅にきて、田辺篤甲州市長の政策・宣伝に関する打ち合わせを行った。いよいよ魅力いっぱいの甲州市の街づくりが動き出すぞ。多摩川源流の聖地・水干は甲州市にある。この市の発展が源流の行方に大きな影響を持つ。文明としても力が入る。

2006年1月23日(月)[12:42:51]  
 朝から「国民と森林」の原稿を書いたが、何度書いてもまとまりがない。この間源流研究所が取り組んだ森林再生プロジェクトの活動をまとめているが、何か物足りないのだ。もっといい切り口はないのか、もっとシャープに書けないのかいろいろやるが効果なし。途中で2月4日に予定されている源流大学構想検討会の案内状を書いてメールで源流研究所に送り、徹君に発送してくれと指示を出す。平行して、滞っていた源流日記を書いてやっと今日の日記を今日書けるようになった。夜になっても、「国民と森林」の原稿に挑戦している。まだまだ勉強が足りないと言うことか。

2006年1月20日(金)[12:32:45]  
 一旦緩んだ気温がまたまた盛り返し、寒波が再び勢力を盛り返してきた。柳沢の気温はマイナス9度まで下がっている。空気が澄んで富士山がくっきりと姿を現している。泉水谷出会いの様子や牛金淵下流の様子を写真に納める。今川峠からの丹波山村の姿も写真に納める。
 午前中に菅原先生と鶴峠の村有林を調査する。唐松林をどう健全な森に変えていくか、さょうさをもとに午後青柳課長達と打ち合わせを行った。日本たばこがそこで企業の森づくりを開始するので、いろいろ企画案を作ることになった。夜は、小菅村観光協会の新年会に招待された。村長からいろいろアドバイスを受け、源流のあり方を協議した。厳しい情勢の中、なんなで頑張ろうと励まし合った。



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