文明の源流日記


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2006年3月30日(木)[12:01:25]  
 驚いたことに読売新聞に小菅村・多摩川源流研究所の紹介記事が大きく載った。ガソリンを入れに入ったら、お店のご夫婦がいきなり、「大きく載っていましたね。頑張っていますね」と大きな声で励まされた。家のお祖母ちゃんは、「すごいすごい」を連発していた。「挑戦新話」と題して小菅村と源流研究所の活躍ぶりが克明に書かれていた。何故源流研究所が誕生したのか、中村所長を所長に迎え入れたのはどんな理由からか、小菅村と源流研究所は何を目指しているか、森林再生に東京電力が加わった理由、宮林先生の談話、青柳課長の談話、東京電力の矢野さんの談話などなど。本当に有り難く嬉しかった。
 山梨県が今年度(平成17年度)事業で実施してくれた小菅村の自慢の森が広がる牛ノ寝の日向・巡視道整備事業の視察に出かけた。真里さんと2人で標高1250bの松姫峠に到着したら、雪がしんしんと降り始め、強い風が吹き荒れた。震えながら、松姫峠を出発して鶴寝山に登る。松鶴のブナにあいさつする。東西南北に広げた羽をまじまじとみつめるとその雄姿に改めて感心する。所要時間を記録しながら、少し下っていくと新しくできた日向道にぶつかった。カラマツ林の中を進む。良く間伐されていて気持ちがいい。見晴らしの良いこと、明るいことこのうえなし。日向道は暖かくていい。山沢入のヌタという地点まで足を伸ばす。これまでは、行った道をそのまま引き返すしかなかったが、これで車を松姫峠に置いてぐるりと周遊するコースが出来た。いろいろな木や花を調べて来訪者に伝えたい。午後に鶴峠で菅原先生に会う。菅原先生は、学生を連れて村有林のモデル事業の調査に来られていた。風花の舞うなか本当に有り難い。4月5日の件で打ち合わせを行う。その後、奥多摩・鳩ノ巣に借りた写真を返しにいく。夕方、奥秋一俊さんから水辺の楽校の件うまくいったとのこと。早速、国土交通省の森本補佐と京浜の土屋さんに御礼の電話を入れる。

2006年3月29日(水)[09:48:52]  
 朝5時に目が醒める。空を見上げたら満天の星が輝いていた。気温は低く風か強く冷たい。運営委員会の議案づくりに精を出した。7時45分に小菅に向けて出発したら、車にガソリンが入っていない。慌ててガソリンスタンドに駆け込み、タンクを満タンにして真里さんと一緒に出かけた。柳沢峠には雪が積もり、圧雪された雪がツルツル。昨日は暖かい日だったのに今日は真冬並の寒さである。冬と春の猛烈な鬩ぎ合いが当分は続くだろう。
 源流研究所で写真家の田村さんと落ち合い、小菅村の百年の木の調査に出かける。森林組合で木下景利さんにあって橋立の百年の木の位置を確認する。始めに、菅平の木下真成さんの山に向かう。通称、甲斐渡戸(ケーワド)の橋を渡り少し登っていくと見事なスギやヒノキに出会った。手入れが行き届き見事に成長した源流百年の木。このスギやヒノキであればどこに出しても通用する。続いて、田口の木下景利さんの山に行く。ここも、よく手入れが行き届いていて見事なスギやヒノキが林立していた。その後、橋立のコンニャク畑を見てから、棚沢のヒノキ山を調べにいく。ここは、昔東京の青山葬儀場が墓標をつくるために今から80年前にヒノキを植えたところである。広さは180fある。午後には、加藤組合長が、棚沢のヒノキと木下大吉さん所有のクジラ沢のスギとヒノキ山を案内してくれた。ここのヒノキは150年近く育っていると思われる。今日調べただけでも、なかなか見応えのある山に出会えた。小菅の方々が山にどう向き合ってきたかが偲ばれる場所であった。大吉さんの家造りのための皮むき、製材の現場を写真に撮った。棟上げは5月の終わりか、6月の初め頃だという。小菅の山の木で自分の家を造る物語を追いかけていきたい。

2006年3月28日(火)[23:46:26]  
 平成18年度の源流研究所の事業計画づくりに取りかかる。4月8日に源流研究所の運営委員会が開催され、そこで平成18度の事業計画が確定する。今年の一番大きな課題は、源流古道再生プロジェクトと源流の木ブランド化プロジェクト、そして第7回全国源流シンポジウム・小菅開催と多摩川源流大学構想である。前の二つは相互に関連しあっているが、それぞれに特徴がある。何しろ、源流の山々が元気になることが大切である。源流の木ブランド化プロジェクトプラン(案)づくりに取り組んで、一応出来上がった。まあまあのできである。まだ無駄な文章がまじっているが基本は出来上がった。源流古道再生プロジェクトは、矢野試案がある。そこで具体的に何をやっていくのかが課題である。あともう一つ、第7回全国源流シンポジウムと多摩川源流大学構想である。第7回全国源流シンポジウムの骨格は固まりつつある。多摩川源流大学構想は山道試案が出来つつある。午後は、早川町赤沢の歴史的伝統建造物を視察した。

2006年3月27日(月)[02:54:42]  
 柳沢峠当たりの空気が徐々に温んできた。道路沿いの雪は殆どが姿を消してキブシが花を付けている。木々の枝が赤らみ始め、春が近いことを告げている。冬から春へ時が流れている。時の流れは気ままで一様ではなく行ったり来たりの繰り返しの中から春の温もりが確かなものへと変わっていく。
 源流研究所では、源流研究所の会報・源流の四季の初校とシカのパンフレットの出稿に追われた。午後1時に、稲城市の図書館長を務めている小菅村の加藤和秀幸さんが研究所を訪ねて、7月に稲城市の図書館がオープンするので源流写真展をやってもらえないかと依頼された。願ってもない話である。7月18日から6日間やることになった。その後、読売八王子センターの吉野所長と朝山さんがお見えになり、新任の挨拶と異動のあいさつをされた。吉野所長は山形出身の自然大好き派だそうだ。朝山さんは本部に行かれるようだ。今後の活躍を期待したい。午後4時から、役場で青柳課長、一俊さん、所長、徹君の4名で運営委員会の打ち合わせをおこなう。来年度の基本方向と予算、規約に関する認識を確かめ合う。サプライズあり。夜は、塩山の地元の組の総会。組長も無事に終わった。

2006年3月26日(日)[00:26:25]  
 柴原温泉には、4軒の温泉旅館があるが、今繁盛しているのは2軒である。その内の一軒にとまる。裏山から湧き出る鉱泉からの引き湯であるが、源泉付近では微かに硫黄の臭いが漂った。いいお湯であった。三峯神社に向かう。目的は、三峯神社から雲取りを越えて丹波山、小菅経由の冨士講のルートがあったかどうかの調査であった。三峯の出店の86歳の主人に話を聞いたが、山梨や東京都の往来はあったが、冨士講として雲取山を越えた話は聞いていないという。そこで、秩父の民俗資料館に立ち寄ることにして、大滝村、荒川村、両神村を経由して秩父に向かう。この3つの村は、荒川の源流域の村であるが平成の合併で消滅したところである。寂しい思いがする。ダムで水没した秩父の浦山資料博物館にむかう。そこに三峯神社や浅間神社の参拝者がいたことがしるされていたが、秩父の図書館にも立ち寄って資料を調べたが、浦山以外に冨士講の資料には出会わなかった。
 小菅を通る冨士講の集団は、その殆どが多摩川筋であろうこと、秩父のルートもあったがそれほどの賑わいはなかったことが判明した。本当に勉強になった。

2006年3月25日(土)[00:08:13]  
 小菅村の古道再生プロジェクトの予備調査に取りかかる。朝7時45分、中村文明と真里の2人で富士吉田に向けて出発する。目的は富士吉田市の民族博物館の堀内学芸員に会うためである。冨士講の調査・研究を手がけておられる方で、山梨県史の編纂委員も務めておられる実力派である。堀内氏から富士吉田市史研究第14号を頂く。そこに堀内論文「御師と冨士講」があり、関東の冨士講の歴史がのっている。そこに明治19年20年の小菅や丹波山の冨士講の歴史がのっている。また、多摩川沿いに留浦村を始め10個所の檀那所が会ったことが記されている。堀内氏からは、今後の調査に関する指針と新しい視点を教わった。冨士講の調査の初日としては、あまりにも大きな収穫であった。富士浅間神社に立ち寄ってその後秩父に向かう。秩父では柴原温泉に泊まる。


2006年3月24日(金)[13:40:48]  
 朝6時に目が醒める。源流振興課の拓郎君から頼まれていた挨拶文を急いで仕上げて、小菅村に送る。川崎のせせらぎ館の鈴木真智子さんから依頼されていた100字メッセージも仕上げて川崎に送る。多摩川源流協議会のシカの食害に関するパンフの企画を立てて、会長の挨拶づくりに取りかかる。全体構想にかかわる大切な文章なので繰り返し繰り返し推敲する。奥多摩町、甲州市、丹波山村、小菅村にそれぞれ送り目を通してもらう。パンフづくりは骨が折れる。読売新聞の宮井さんからたびたび問い合わせの電話がかかる。3月30日の山梨版には掲載されるという。どんな記事か楽しみだ。


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