文明の源流日記


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2006年4月28日(金)[13:54:46]  
 肌寒い一日であった。午前と午後に取材や体験の下見の打ち合わせがあった。午前は、東京のメトロポリターナの編集局の取材を受けた。地下鉄に乗る若者向きの無料の本の中に水をテーマにした企画があり、多摩川源流を取り上げるとのこと。若い鎌田さんというライターが色々質問した。午後からは国立市のロータリークラブの源流視察の下見の打ち合わせ。三田会長、事務局の青木市会議員さんなど4名が研究所へ。その後、山梨県の広報公聴課の中野さんから山梨県の県知事との特別番組に出演して欲しいとの依頼が舞い込んできた。山本知事とオイスカの田中さんと所長の鼎談とのこと。森づくりがテーマ。いずれにしろ山梨における市民参加の森づくりの代表と認められて県知事との対談に選ばれたことは、源流研究所の活動を支えてくれた運営委員の方々、地元の方々、役場の職員、源流ファンクラブの皆さんの協力、東京電力の矢野さんや笛木さんらの支援等々多くの方々の支援の賜である。嬉しいニュースにビックリした。源流祭りの準備が進められている。重いものがもてないので役に立たないが、みんなと一緒にいすや机を運んだ。会場の村民スポーツ広場の周辺には、山吹の花が満開である。祭りの日まで花が咲いていればいいが。

2006年4月27日(木)[23:18:09]  
 塩山市が昨年の合併で甲州市に変わったが、まだ塩山市の方が馴染みやすい。これからは、旧塩山市は、甲州市塩山と呼ぶことになったが、やっぱり塩山のほうがいい。これまでは、多摩川の源流は塩山市一ノ瀬高橋と呼んでいたが甲州市塩山一ノ瀬高橋となる。甲州とは山梨全体を指す言葉である。甲州の中の一部分だけである塩山を甲州と呼ぶには、抵抗があるし、分かりづらい。それはともかく、これからも塩山の一ノ瀬高橋と呼びますから皆さんよろしく。
 柳沢峠を越えて丹波渓谷に入ると一斉に新芽が顔を覗かせている。薄雲の朝陽に照らされてきらきら光る様子は、神秘的で生命力に溢れている。源流研究所に着いたら、菅原先生と合流して、森林資源調査に出掛ける。橋立口、菅平、田口、獅子倉を見て回る。林縁にタチツボスミレやエイザンスミレが咲いていた。エイザンスミレの花言葉は「希望」であり、タチツボスミレは、「密かな愛」である。厳しい冬から解き放たれて暖かい春は、生き生きと生命力を盛り返した季節の喜びと希望に満ちていて、そしてまた新しい生命力を生み出すための恋が芽生えるのであろうか。なかなか素敵な花言葉である。
 午後は、村長、教育長、総務課長、住民課長、振興課長、出納室長など小菅村の首脳部と農大、東電、研究所との間で今年度事業に関する打ち合わせが行われた。多摩川源流大学の実現に向けての取り組み、「源流・百年の森づくり」や「森林認証」獲得に向けての取り組みなどが突っ込んで議論された。これまでの村づくりが様々な成果を生み、その成果のうえに小菅村の新しい村づくりが始動する。小菅村廣瀬村長の決断で源流研究所が設立されて5年経つが、廣瀬村長の決断には改めて感謝したい。さらに東京農業大学の宮林先生、菅原先生のご指導の賜物である。そしてまた、東京電力の矢野さん、笛木さんのご指導、ご協力のお陰である。感謝してもしきれない。感謝感謝。
 全国源流の郷協議会の総会に環境省、国土交通省、林野庁から挨拶をいただけそうである。今日の源流研究所のホームページへのアクセスが106名であった。嬉しいことに久々に3ケタになった。皆さん有り難う。

2006年4月26日(水)[13:34:07]  
 多摩川源流に確かに春が駆け上がっている。朝陽に映える新芽が眩しい輝きを放っている。日一日と濃さを増していく芽吹きについつい酔いしれてしまう。自然再生パビリオンの準備で、源流百年の木の撮影に走り回る。木下新晴さんに挨拶し今後の協力をお願いしたら、今川団地にも百年のヒノキがあるという。オマキ平、菅平、橋立向、今川団地をかけずり回る。歩けば歩くほど小菅村のスギやヒノキの姿が見えてくる。山吹が一斉に咲き始めた。真っ黄色の幸せを運ぶカラーについつい見とれてしまう。今日は良く歩いた。

2006年4月25日(火)[14:04:33]  
 昨日はポカポカ日和なのに今日は肌寒い日になった。5月4日の多摩源流まつりの自然再生パビリオンの展示パネル作成の準備に追われる。森林再生は、「源流の百年の木」にスポットを当てた。文化部会は、部会長の小泉先生の了解を頂いて、この村の文化のベースになっている神社を紹介することになる。小菅村は、鎌倉・室町の時代から甲州と武蔵・相模の国との交通と交易の交差点に当たり、経済と文化の栄えたところであり、小さい村に12個所の神社が存在するのでそれを紹介することになった。朝から、諏訪神社、や弓神社、熊野神社、八幡神社、御岳神社、小森神社などと次々に巡り写真に納めていった。タチツボスミレ、エイザンスミレ、アケボノスミレ、ニリンソウ、エンレイソウなど春の花々があちこちで顔を覗かせてくれた。取り終えて春日居町のシンゲンカメラにパネルを注文できてホッとした。

2006年4月24日(月)[07:36:47]  
 朝7時20分に自宅を出発し、柳沢峠に向かう。峠の温度は11度。今年、朝の気温が初めてフタ桁になる。油断はならないがようやく春がかけ足で源流に上りつつある。ミツバツツジから山吹へと移るのであろう。源流百年の木を求めて古家前助役の「おせんばあさんの持参山」を見に行く。山と山の境界に見事にヒノキがそびえていた。前助役のおばあさんが橋立から嫁いできたとき持参した山という。名前がいいし呼び名がいい。「おせん婆さんの持参山」に登る途中にタチツボスミレとイカリソウが咲いていた。特にイカリソウの色が良かった。前助役の紹介で青柳こう勇先生に会いに行く。百年の木は弱っていて他に出せるものではないと遠慮されたが、実は冨士講の地元の講師がこう勇先生であった。昔、牛の寝通りが国道であったこと、狩り場の山の神に交易所が合ったこと、塩山から海の物が小菅から山の物が運ばれたという。江戸時代は小永田が経済の中心であったこと、ここに生活用品を売る店があって、丹波山、小河内、西原、ゆずり原方面から生活物資を求めて人が集まったこと、相模との交流も深かったことなどなど興味のある話を沢山していただいた。源流古道再生プロジェクトの有力なブレーンが出現した。足で歩くといろいろな人に出会えるものである。青柳こう勇先生に出会えて良かった。体はまだふらふらとした感じである。一旦体調不良に陥ると回復が遅い。ボツボツやるしかない。

2006年4月22日(土)[07:08:38]  
 講演会の朝、午前中は寂地峡視察から開始する。錦川の源流域、大昔は高津川の源流でもあったところを視察する。宇佐神社の900年の大杉をみてから寂地峡に入る。五竜の滝は見事であった。深谷川の上流の長瀬狭のナメ岩は見事であった。午後三時からの講演会には会場いっぱいの町民が駆けつけてくれた。匹見の河野さん、田代さん、益田市・アンダンテの篠原さん、吉田さん、広兼さん、渡辺さん、漁協の佐々木さんたちも駆けつけてくれた。鍔山先生の講演は「竜とドラゴン」をテーマに実に面白かったし、ためになった。夜の懇親会で吉賀町の政策企画課長の本廣順保(よりやす)さんと親しくなる。源流を守るために力を合わせることを誓った。

2006年4月21日(金)[06:49:35]  
 朝5時40分に起きて羽田空港に向かう。鍔山先生と待ち合わせ広島空港に飛ぶ。広島では、吉中さんが待っていてくれ、あいさつを交わす。その後、河川争奪の現場視察に出かける。吉賀町役場から柿木村の愛宕神社の千年杉に合い、続いて高津川支流の津和野川の上流域、山口県阿東町の長門峡にいく。火山の爆発で大きな湖ができて長門峡を形成しながら萩へ流れた河川争奪。津和野に向かって延々と下り坂が続くが、川は前から流れてくる。何とも不思議な光景に出会う。ここは間違いなしに河川争奪と思うがそうとは世間からは認められていない。早く日の目に当たるといい。運転手の高尻の師井さんも目から鱗が落ちたと感心されていた。鍔山先生も感心していた。


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