文明の源流日記


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2006年6月28日(水)[20:23:15]  
 「友、遠方よりきたる」朝日新聞の早坂さんが小菅村源流研究所に取材に見えられた。この春までは、青森県弘前市に勤務されていたので、こんなに早く再会できるとは夢にも思っていなかった。平成6年7年に一緒に多摩川源流を歩いた仲間である。多摩川源流で最も険しい一ノ瀬渓谷と大常木谷を早坂さん、雨宮先生と実踏調査ことは昨日のことのように覚えている。イヤー楽しかった、苦しかった、面白かった、怖かった。これぞ男の仕事と厳しい自然に挑戦した。苦楽を共にした仲間である。当時早坂さんは甲府支局のデスクを務めていて特集「多摩川源流をいく」を企画してくれ、多摩川源流を世に出してくれた方でもある。いやいや嬉しい出合であった。日本の過疎問題を取材するために小菅村にきたという。明日も小菅村の取材を続けるという。
 帰りに狸にあった。今年はよくシカにあう。奥多摩から一ノ瀬にシカが移動している。今年ほど頻繁にシカに出会う年はない。秩父多摩甲斐国立公園にシカの食害が広がっている。

2006年6月27日(火)[20:07:20]  
先日行った熊野川源流資源調査で大変な事実に出くわした。奈良県天川村のイノ瀬課長補佐から教わった「靡き八丁 神仏の顕現」という言い伝えである。天川村の大峰山は修験道の発祥の地であり、日本古来の自然信仰の聖地になっている。世界遺産に指定されて話題になった地域でもある。その地に「靡き八丁 神仏の顕現」という言い伝えが今も生きている。その内容は、修験道の聖地になっている山の尾根は、東西や南北に幅400bにわたって手つかずの森が保全されているという。
 第二回東京源流展の実行委員会が、法政大学で開催された。陣内先生、出口先生、森田先生、神谷先生、山道さん、恵先生、東京電力の矢野さん、丹治先生、国土交通省の栗原さん、塩路さん、佐藤ひさのぶさん、稲田さん、荒川の小松原さんなど多彩なメンバーが参加し、東京源流展のコンセプトや作業チームなどに関して議論した。おもしろい話があった。漁師の島・シカノ島で「山褒め祭り」が行われていているという。漁師は舟なしでは生活ができない。船は、山の木でできている。その山に感謝する祭りという。様々な角度から源流を見直していこうという意見が出された。多摩川源流からは「山と川と海の命のつながり」こそ大切と力説した。

2006年6月26日(月)[09:10:05]  
午前中、病院にいって診断してもらう。交通事故のため、むち打ち症状があるとのこと。これ以上からだががたがたになったら困る。がんばって直そう。診察終わってから源流の四季の最後の校正を行う。午後から、柳沢峠を越えて丹波山を抜け、奥多摩湖を通りかかる。梅雨というのに、東京の水瓶・奥多摩湖の水位は下がり続けている。このままいくと大変な水不足になるだろう。冬の雪が少なかったし、春の新緑にも俄雨程度であったことが影響している。利根川の水位も下がることだろう。水不足になると水源地のことが話題になる。人間は困らないと水の大切さが分からないのであろうか。それならいっそのこと、世界的な大干魃が襲ったら水源地の果たしている仕事の大切さが身に染みて分かるだろうに、なんて思ったりする。いずれにしろ源流の大切さをもっとアピールしなければ。
 奥多摩町の村木助役、宇佐美企画財政課長とあい、源流協議会の準備を行う。終了後源流研究所で7月の写真展の準備をする。日曜日から孫の真緒ちゃんが里帰りしている。日に日に成長する真緒ちゃんは、ほほえましい限りだ。

2006年6月24日(土)[09:04:06]  
 第22回多摩川流域セミナーが開催された。朝8時45分にスタッフは集合だったので、大田区の蒲田駅までいって東急多摩川線に乗り、矢口渡で降りて多摩川大橋にいく。長島先生、真智子さん、安元さん、石田さん、熊沢さん、京浜の森所長、山田副所長、斉田課長ら大勢が顔を見せる。午前中は、矢口渡、緊急船着き場、水制広場、スーパー堤防などを見学、午後から「西六郷の治水の歴史」をまなぶ。多摩川は暴れ川でこれまで幾度も川筋を変えてきた。西六郷は、明治43年の洪水で破堤し大きな被害を被った。人々の築堤の歴史により多摩川は徐々に安定した川に生まれ変わる。今日は総合司会を務めたが、現地観察会は楽しい。80名を超える参加者があった。夜は、源流大学検討会に参加する。宮林先生、菅原先生、山道さん、渋沢さん、神谷さん、青柳課長、矢野さん、木俣君、徹君が参加する。夜の懇親会は楽しかった。



2001年6月23日(金)[09:01:18]  
午後1時に上野原駅で矢野さん、笛木さん、丹治先生と待ち合わせ、上野原に関する歴史と文化、特に神社や古道に関する調査を行う。教育委員会に立ち寄って話を聞いて、資料をもらい、鷲神社、一宮神社、二宮神社を見て回る。どの神社にも驚くほどの巨樹巨木が生い茂り歴史を感じさせた。夜は、源流百年の森づくり検討会で今後の進め方を議論する。何をどのように具体的に行うのかいよいよ問われることになる。交通事故の後遺症で、右肘、肩、首がやたら張る。特に肘は痛くなりだした。


2005年6月22日(木)[11:27:27]  
 「吉野川源流絵図」が完成したので、支援して頂いた日本財団に事業完了報告書を作成し提出した。振り返り見れば、2002年5月に「森と水の源流館」のオープニングに呼ばれて吉野に入ったのが、最初であった。清冽な本沢川の流れと南朝の歴史、国の成り立ちを忍ばせる集落の位置、黒石谷の厳しさ、琵琶の滝の見事さ、大台ヶ原の景観などに惹かれた。坂口さんの指導、中平寛司さんとの出合、下西昌昭さんとの出合、鶴谷さん、辻谷さん、源流館の研究者たちとの出合等々、忘れられない方々への感謝の気持ちを込めて報告書を書き上げていった。高原の民辻松造さん夫婦には、長い間お世話になった。我ながらよくやったものである。多摩川源流絵図の三部作とあわせて四冊目が完成したことになる。これから源流絵図を何冊作ることができるか。熊野川源流絵図作成には取りかかった。五冊目までは、確定している。源流文化の粋を極めていけるよう精進したい。
 午後からは、源流の四季の校正、百年の森づくり検討会の資料づくりと忙しい。徹君が緑推の助成金の申請書を作ったので、少し手直しをした。徹君の成長ぶりも著しい。若い人の成長は早い。

2006年6月21日(水)[11:07:44]  
 世田谷区の二子玉川にある高島屋の支援による「ラブリバー多摩川写真展」のオープニングが行われた。写真展の審査委員を務めている関係で開会式に招待された。審査委員長は、鍔山先生で、私と浅野さん、森京浜河川事務所長、ラブリバーの池田会長ら。今年で三回目を迎えるが、川と人間、川と生き物の関係に視点を当てたはっとさせられる写真がなんと多いことか。多摩川が流域の多くの市民に親しまれていることを裏付けている。開会式で審査委員として優秀作品の方々に賞状を手渡す仕事があり、その際、司会者から一言とのすすめがあり、多摩川源流の話をする。鍔山先生の講評はさすがであった。午後、真緒ちゃんにお別れをする。日々成長する孫の顔は私の心に元気を運んでくれる。頭を真横に傾けて「可愛い、可愛い」のポーズをとってくれる。音楽がなり出すと体でリズムを取り始め、体をくねくねさせる。その仕草の一つ一つに拍手する。本当に孫は宝だ。
 夜に塩山に着くと、近くの小川に蛍が飛んでいた。今年始めてみる蛍であった。家に着いてから、我が家の前を流れている文殊川をのぞくと蛍が一匹飛んでいた。この辺では、夏至に蛍が飛ぶ。


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