文明の源流日記


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2006年8月30日(土)[07:41:47]  
富士講の歴史と文化を調べるため、富士吉田市に向かう。北口浅間神社の駐車場に車を止めて、富士講とゆかりの深い御師(おし)の家を探しに出かける。始めは間違った方向に歩いてしまい、歴史てきな町並みに出会うことが出来なかったが、地元の人に尋ねてようやく辿り着いた。通りから奥まったところに御師の家が並んでいた。屋敷の中を小川が流れ、落ち着いた佇まいの旧家であった。残念なことに訪ねた家の主人が留守のため、話を聞くことは出来なかったが、富士講との距離がぐっと近くなった。

2006年9月29日(金)[10:59:14]  
朝6時に目が覚めて「黎明祭開催にあたって」の続きをまとめていく。4時間かけてようやく少しまとまる。問題はここからどれだけ推敲きるかだ。午後、1時から早稲田大学の源流通貨の社会実験の打ち合わせ、3時からは朝日新聞の取材と忙しかった。小菅村の奥秋長一さんのお父さんが亡くなりになったのでお通夜に参列した。

  黎明祭開催にあたって  
 ところで、私たち日本人は、縄文の昔から森や川や海から沢山の恵みを受けて生きてきました。古人(いにしえびと)は、山や森に依存することなしには明日の生活がないことを体験を通して理解していたので畏敬の念を込めて自然を崇拝し、自然と共に生きてきたのです。今、地球温暖化など地球の未来に陰りが見られるだけに、自然の恵みに感謝し自然を崇拝し自然と共に生きる暮らしを守り続けてきた源流の文化と思想の重要性を再認識し、持続可能な環境循環型の社会の実現のために、源流の暮らしの知恵や自然の叡智に学ぶ機会を持ちたいと「多摩源流の森 黎明祭」を企画いたしました。また、この日は、「源流の木」を初めて切り出す記念すべき日でもあります。
 私たちは、源流に生きることに誇りを持ち続けたいと考え、源流にこだわり、源流を活かし源流の生活が謳歌できる村づくりに取り組んできました。どんなに過疎化が進んでも「源流に生きる誇り」を空洞化させてはならないと考えています。源流は流域の象徴であり、源流を軽んずれば源流に泣かされるのが歴史の教訓です。私たちは、次の世代を担う子どもたちのために、今何が出来るのかを真剣に考えていきたいと思っています。日本の将来と自然環境に関心を持っている多くの市民の皆さんが源流の水や森を守るために源流に熱い思いをお寄せ頂くことを心から希望します。
 


2006年9月28日(木)[10:55:35]  
 10月15日に開催する「多摩源流の森 黎明祭」の小菅村のメッセージをどんな内容にするか、一日中考えていた。昨晩懇親会で良く飲んで朝はボーとしていたのでなかなかまとまらず大変であったし、午前中は北池袋で仕事をしたので途中で真緒ちゃんが仕事の邪魔をするのでしばしば思考停止状態を繰り返し、一緒に散歩した井いやら仕事に集中したいやらこれまた大変であった。二重の苦しみに耐えながら、前半が少しまとまった。

  黎明祭開催にあたって 
 多摩川源流に位置する小菅村は、明治34年以来東京都による水源涵養林経営が開始されるなど首都東京と古くから密接に繋がっていました。その水源林は、手つかずの広葉樹の森とともに水道局の指導のもとに地元の人々が心血を注いで植樹し育ててきた百年のスギやヒノキが天に向かってすくすくと伸びながら、清浄な多摩川の水を育んできました。この百年の森を育ててきた多摩川源流・小菅村で、東京電力環境部の協力を得て、森林の持続的な保全や経営を目標に掲げた「源流の木で家を造る」取組みなど森林資源の循環と活用を柱とする「多摩川源流・百年の森づくり」を開始しました。

2006年9月27日(水)[10:54:21]  
 法政大学の主催する東京源流展の実行委員会が市ヶ谷公社で開かれたので参加した。神谷さん、鍔山先生、東京電力の矢野さん、丹治先生、国土地理院の熊谷さん、長山さん、東京農業大学の杉野さん、利根川交流センターの田中さんら20名が参加。当日の展示の企画やシンポジウムの内容検討が行われた。特に首都圏の歴史的な地図が国土地理院の協力で展示できそうで凄いインパクトを与える内容になりそうである。新宿の夜の懇親会は、神谷さん、鍔山先生、熊谷さん、長山さんと5名で楽しい一時を過ごした。国土地理院の方と親しくなれてよかった。
 源流展実行委員会の前に、朝日新聞の記者の取材を受けた。

2006年9月26日(火)[05:02:15]  
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、柳沢峠付近が急に涼しくなった。気温も一気に10前後まで下がり、涼しいというより寒いという感じすら覚える。真里さんと小菅に向かいながら今年は寒くなるのが早いねと会話した。栃の木はすでに紅葉が進み始めている。今年の秋は一気にやってきそうである。
 午後1時から伊豆市の視察団に森林再生の話をした。年間400万人の観光客を迎えているビッグシティが人口950名の小菅村を訪問してきたのである。不思議なことがおこるものである。森をよくしたいと考えてのことだという。午後3時30分から、長一さん、徹男さん、徹君と源流塾と黎明祭の打ち合わせをした。

2006年9月25日(月)[04:59:01]  
全国源流シンポジウムの周知と参加要請を兼ねて今回は色々な団体や個人に働きかけている。東京の市区町村に代表派遣のお願いをだしら、江東区から代表を派遣したいとの回答があった。ありがたいことである。今日は国土交通省関東整備局の河川環境課の富岡課長にお願いに上がった。これには、京浜河川事務所河川環境課の小栗係長も同行し、全国源流シンポに関東各地の河川管理者が参加するようお願いした。富岡課長は「趣旨はよく分かった。各地に働きかけたい」と回答。ルーツが小菅の奥秋管理課長にも会ってお願いした。それにしてもさいたま新都心は不便である。高速で行こうと思えば首都高速の大渋滞が待っているので、八王子で降りて昭島、所沢を抜けていったがどこもここも渋滞、渋滞で目的地まで3時間30分も係った。日曜日は、真緒ちゃんを甲府の小瀬スポーツ公園に連れて行った。靴を履いてよちよち歩きの真緒ちゃんが芝生の上を飽きるほど歩いた。会う人会う人に笑顔を振りまく真緒ちゃん。ジージになつくので抱っこすると重くて腰が痛くなりつつある。嬉しいやら辛いやら。


2006年9月22日(金)[10:18:23]  
地域再生に関する内閣府への申請書を仕上げて青柳課長に届ける。地域再生に関する国の取り組みも始まったばかりで、予算も特別の措置を講ずるとはいうものの、補助金の域を超えた特別なものはない。必ず地元負担金がつくので独自の予算のないところでは活用できないことになる。しかし、この間の活動を整理してみると全体の流れがよく分かる。常に活動を整理し成果を明らかにしていくことが大事だとつくづく思う。夜は源流百年の森づくり検討会に出席する。「源流の木で家を造る」取り組みへ参加者で知恵を出し合った。 


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