文明の源流日記


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2006年10月28日(土)[02:13:45]  
第7回全国源流シンポジウムが第7回全国源流シンポジウム実行委員会主催、小菅村、NPO法人全国源流ネットワーク、全国源流の郷協議会、多摩川源流大学共催、東京電力株式会社協賛で午前11時から小菅村で開催された。大会には、山梨県、多摩川源流協議会、岩井先生、国土交通省の久保田河川環境課長、東京都の高橋河川部長、奥多摩町ら多数の来賓が参加、宮林実行委員長が主催者の挨拶、地元廣瀬村長が歓迎の挨拶をした。
 NPO法人全国源流ネットワークからは、北海道・十勝川の千葉さん、北上川の内田さん、利根川の田中さん、千曲川の工藤さん、杉山さん、道志川の佐藤さん、紀ノ川吉野川の本間さん、江の川の小田さん、四万十川の山崎さん、樫村さん、五ヶ瀬川の土井さん、山中産、杉田さんらが参加した。全国源流の郷協議会からは、五ヶ瀬町の石井参事、島根・吉賀町の助役、天川村の梶原参事、いの瀬さん、木祖村の栗屋村長、岩原課長、道志村の大田村長 佐藤室長、小菅村の廣瀬村長が参加した。東京電力からは、矢野こうめいさんら山梨県の支社の方々も参加した。会場は、多摩川流域を始め、首都圏から大勢の市民が参加し、イスや資料が不足するなど250名を超える盛況ぶりであった。全国源流の郷サミットでは全国の源流の姿や地域の抱える課題が明らかになった。丹治先生の水の精・みづちの朗読は、素晴らしかった。水の大切さ、自然の素晴らしさを芸術を通してどれだけ多くの人に伝えていくことができるか、その実例をまざまざとみせていただいた。丹治先生有り難う。高橋先生の記念講演。宮林先生の基調提案は、「いまなぜ源流大学か」。源流の様々な課題を解決していく基本方向を力強く指し示す素晴らしい提案であった。相変わらず上手な山道さんのコーディネーターによるパネルディスカッション、元気がとりえの文明の「源流の魔力とパワーの不思議」、次期開催地の五ヶ瀬からの訴え、京浜の森所長の閉会の挨拶と続いた。
 夜は、廣瀬会長を核に観光協会あげての源流食によるおもてなしと懇談会。国土交通省の金尾さん、森本さん、小俣調整官、環境ジャーナリストの佐藤さん、川崎の鈴木真智子さん、梅吉親分、安元さん、ミサキさん、立川の景山さんなどなど数え切れないほどの顔 顔 顔。どうして、こんなに沢山の方が多摩川源流まで足を運んでくれたのか。参加者全員が真の意味で最高の宝であり財産である。文句なしに本当に感動した。一番嬉しかったのは、小菅村の職員が、一丸となって全国の仲間を迎えたこと。天川のいの瀬さんが、「こんなまとまった村見たことがない。」廣瀬村長の決断により、源流研究所ができて、東京農業大学と連携し、全国の仲間が広がり、源流がその姿を現し、力を徐々に付けてきた。全国シンポを通して源流の未来に光を見た。これからきっと源流は面白いと感じた。
文明は、いちずに 素朴に源流を歩き続ける。ただそれだけである。

2006年10月27日(木)[02:04:05]  
 水の精・みづちの丹治先生、矢野さん、川島さん、武藤さん、琴の奏者の中垣雅葉産、付き添いの方が、リハーサルにはいる。懇親会の会場づくりは、小菅小学校で始まる。午後4時からは、全国源流協議会の幹事会が、広瀬屋別館で開催される。天川のいの瀬さん、五ヶ瀬町の石井さん、山中さん、村中さん、早川の深沢さん、望月さん、木祖村の岩原さん、道志の佐藤さんらが出席。源流再生政策委員会の設置に関して協議し、趣旨と構成メンバーを確認する。高橋先生も委員会への参加を了承していただく。
 夕方、国土交通省の久保田課長、京浜河川事務所の森所長、山道産、倉持くんが早のりで小菅到着。夜の交流会は、楽しかった。


2006年10月26日(木)[02:01:15]  
 全国源流シンポの当日のシナリオの作成。後半部分を朝から一気にやり終える。そして、全国源流の郷幹事会に向けて、源流再生政策委員会の設置に関する企画書を作る。なかなかいい委員会になりそうである。そのあと、森と水の王国・源流の郷サミットの進め方を作成する。午後からは、青柳課長、奥秋リーダー、望月徹男さん、木下拓郎君、徹君らと、会場設営。中央公民館の三回に椅子を並べていく。看板も届き、準備が着々と進む。


2006年10月25日(水)[01:57:53]  
 全国源流シンポの準備で大忙し。当日のシナリオの作成に取りかかる。開会行事、全国源流サミット、午後からの水の精・みづち、記念講演、基調提案、パネルディスカッション、源流の魔力とパワーの不思議、次回開催地紹介、閉会行事と順を追って、担当者とその名前のふりがなを一つ一つ確認しながら、進めていった。ようやく半分がしやがる。
 午後からは、多摩川流域リバーミュウジアムの写真館の打ち合わせを新橋で、山田えりこさんとやり、写真を選びコメントを付けていった。夜は、新宿で渋沢寿一さんに会い、源流再生プロジェクトの基本方向を議論した。この席には、末田真くんも同席した。いろいろと示唆に富んだアドバイスを頂いた。そして楽しい一時であった。


2006年10月24日(火)[01:14:49]  
エフエム富士の電話インタビューがある。全国源流シンポジウムの紹介をしてくれた。いつどこで、何の目的で何をどのようにやるのか、5分間のインタビュー。無難に終わる。午後3時からは、全国源流シンポの交流会の最後の打ち合わせ。廣瀬会長、亀井指導員、廣瀬屋の女将さん、亀井屋の女将さん、青柳課長、徹ちゃん、長一リーダー、拓郎君、徹君と所長。懇親会のメニューが決まる。マスの握り、ヤマメの稚魚の唐揚げ、イワナの刺身、ヤマメの塩焼き、ケンチン汁、サシコン、手打ちそば、イワナの骨酒、ジャガイモのシォーユ煮、おにぎり、サラダ。村の関係者で打ち合わせの後、シンポの任務分担と日程確認を行う。7時過ぎまでわいわいと頑張った。みんなが心を一つにして、源流シンポの受け入れ態勢を整えている。こんな意気込みが多くの人に伝われば、源流は必ず蘇る。参加者の定員もほぼ満員になりそうで嬉しい悲鳴を上げている。

2006年10月23日(月)[01:10:59]  
朝、6時に目が覚める。社団法人 全国森林レクリエーション協会の月刊誌に原稿を依頼されていたので、執筆する。多摩川源流を一番象徴するものは「最初の一滴」と都水源林。両方は書けないので「最初の一滴」に関するエッセイ風の原稿を仕上げる。仕事が一つ減るとほっとする。午後3時からは、小菅村の観光パンフ作成委員会の打ち合わせに参加する。参加者は廣瀬会長、亀井副会長、亀井雄次指導員、黒川総支配人、小菅村の徹ちゃん、所長とサンニチ印刷の五味さん。なかなかいいパンフができあがりそうだ。


2006年10月21日(土)[01:07:19]  
 午後4時30分から、法政大学の人間環境科の小島先生のゼミに招待されて、「多摩川源流の価値と可能性」と題する講義を行った。法統に素直で熱心な24名の学生が参加した。みんな前向きで一生懸命に取り組む姿勢がありありと感じられ講義をしていて楽しかった。小島先生の誠実さと若さ、情熱は並大抵のものではない。今後もよろしくと言われた。講義の後、神楽坂のマロウドで交流会。飯山市の富倉の幻のそばを食べたが、なんとオヤマボクチがつなぎに利用されていた。細くて腰があるそば。美味しかった。真緒ちゃんも応援に駆けつけ、法政大学まで来てくれた。広いキャンパスや広いロビーが気に入ったようで愛嬌を振りまきながらそこら中を走り回っていた。


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