文明の源流日記


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2006年11月28日(火)[23:32:54]  
 杉野君と石坂君の二人を奥多摩町、丹波山村に紹介する。奥多摩町では、村木助役、宇佐美企画財政課長が、丹波山村では、岡部村長、坂本総務観光課長がそれぞれ暖かく迎えてくださった。続いて、小菅村では、村長、役場の職員の方々、都水道局水源管理事務所の小菅出張所の木下所長、農協の支店長、それから小泉先生、廣瀬観光協会長、木下稔自然塾代表、奥秋一俊さんに挨拶した。小島さん、小管さんらまだまだ多くの方に紹介できなかったが、駆け足で挨拶回りした。
 挨拶しながら12月16日17日に予定している源流大学現地講師養成講座・ワークショップの成功に向けての源流の達人・マイスターの聞き取り調査を併せて実施した。それぞれから沢山の源流達人を紹介して頂いた。夜は、東京電力の矢野さん、丹治先生、山梨県の森林環境部森林整備課の柘植さんと青柳課長が懇親会を開いていたので合流する。この懇親会も源流へ新しいうねりが生まれているので明るく楽しい一時になった。源流大学のことと「源流の木で家を造る」活動が土、日と朝日新聞で連続で紹介されたので大きな確信にもなっていて、話は弾んだ。青柳課長も娘のはるかちゃんにベタ惚れのようで安心した。娘に父親は弱いものだ。みんな正直な人々なので顔の表情はその時々の活動の内容が素直に反映するのだ。軽井沢から丹治先生が駆けつけてくださった。丹治先生がいるだけで周囲の雰囲気が和んでくるのは誠に不思議である。丹治先生いつもいつも有難うございます。それにつけても徹君を含め三人の若者の活躍を期待する。


2006年11月27日(月)[23:03:56]  
 今日は、多摩川源流大学が設立されていよいよ運営委員会が出来てや役員体制も決まり、事務局も確立されたので、その活動を広めていくために事務局の杉野君と石坂君を各省庁や源流の市町村、小菅村の方々に紹介するいわば源流大学顔見せ興業に出かけた。二人と朝9時に霞ヶ関の国土交通省の玄関ロビーで待ち合わせて、河川環境課の久保田課長、小俣調整官に挨拶。久保田課長から心のこもった激励の言葉を戴いた。
 続いて、計画課の金尾さん、森本さん、国土計画局の庄司さん、環境省の岩下課長補佐、専門官、林野庁の北橋さんにそれぞれ二人を紹介する。源流大学に若いスタッフが生まれた。この力は凄いと感じた。挨拶に出向くと若い二人に視線が集中する。若者は未来への希望だとつくづく感じた。続いて、山梨県に向かい甲州市の総合政策課の古屋課長補佐に合う。続いて我が家でお茶を一服頂いて、真里さんも一緒に小菅村に向かう。夜は、杉野君と石坂君の源流大学就任祝いを源流振興課と源流研究所合同で民宿・山水館で行う。二人を青柳課長、長一さん、徹ちゃん、拓郎君、私と徹君、真里さんが囲んで楽しい楽しい一時を過ごした。二人の活躍を心から祈る。

2006年11月26日(日)[22:41:45]  
 多摩川リバーミュージアム・ホームページ「多摩川フォトさんぽ」の写真撮影に出かける。この活動には、やり甲斐を感じている。日頃から多摩川源流に大変お世話になっている。多摩川源流へ、いやいや多摩川へ何か恩返しをしたいと心の中でずっと思い続けていた。そのためには、多摩川がもっと多くの人々に認められてほしい、愛されてほしいという思いがあった。そこで多摩川と流域市民の距離がもっともっと近くなってほしいと思い、そういう願いを込めてとり多摩川源流域の写真をとり続けている。山梨県と東京都の県境にある小袖川付近の景色をまず撮影する。奥多摩湖に映る紅葉、鳩ノ巣渓谷、御岳渓谷へと足を運ぶ。これで甲州市一ノ瀬高橋、丹波山村、小菅村、奥多摩町、檜原村、青梅市のほぼ源流域の全体を歩いたことになる。自分の願いが叶ってほっとした。取り終えてから、北池袋の真緒ちゃんに会いに行く。暫く会っていないから忘れられていないだろうかと不安になるが、いつものあの満面の笑顔に今日も出会えて嬉しくて堪らない。可愛い真緒ちゃん。優しい真緒ちゃん。賢い真緒ちゃん。いつも笑顔を有難う。

2006年11月25日(土)[11:17:07]  
昨日多摩川源流の山々といっても標高1800b以上であるが、初冠雪した。柳沢峠を越えて花の木橋にさしかかったら正面に見える山々の頂上付近の尾根が白いではないか。くっきりと線を引いたようにある線から上が白くなっていた。このところ朝がめっきり冷えてきたので氷や霜柱はお目見えしていたが雪は初めてであった。
 今日は、読売・日本テレビ文化センター八王子主催の「多摩川の源流ハイキング」のご一行様をガイドとして牛ノ寝通りを案内した。一週間前の天気予報は土日は雨という予報だったので困っていたが、今日は素晴らしい天気に恵まれた。八王子文化センターから辻支局長、吉野所長、元気な吉村さんが参加、一般参加にはなんと島田真里さんの顔が見えるではないか。島田さん曰く「源流塾には来れないで済みません。今年は妙見五段とか源流古道とか、ハイキングとかもっぱら遊びが中心です。天気が良くて良かったですね」と激励された。我が妻が天川村で弥山に登った話をしたら源流日記で読みましたとのこと。島田さん、源流日記を読んで頂いて有難う。
 読売・日本テレビ文化センター八王子のご一行を松姫峠からガイドする。松姫峠の言い伝え、ホバリングのことから始めて、右前方に見える雲取山のこと、クロモジのこと、アブラチャンやクリ、ミズナラのこと、ブナとイヌブナのこと、熊棚のこと、ナツツバキのこと、リョウブのこと、ハリギリのこと、ヤマボウシのこと、ホウの木のこと、トチのこと、ハウチワカエデのこと、イノシシのことなどを歩きながらガイドする。みんな熱心に聞いてくれるのでやり甲斐があった。楽しい楽しい1日であった。読売・日本テレビ文化センター八王子のご一行の皆さん、来年も是非来てください。
 

2006年11月24日(金)[01:38:24]  
第7回全国源流シンポジウムの報告集の作成に取りかかる。当日のテープ起こしができあがったので、開会の挨拶、「森と水の王国」源流の郷サミット、丹治先生の「みづち」の朗読、高橋先生の記念講演、宮林先生の基調提案と原稿の一枚一枚を丁寧に読んでいく。丹治先生の「みづち」はいつ読んでも素晴らしい。高橋先生の講演は何度聞いても飽きることはない。宮林先生の基調提案は示唆に富んだ斬新なものであった。参加者も多かったが内容もとても濃いいものであった。いよいよ次はパネルディスカッションである。
 徹君は、小菅村の徹ちゃんと拓郎君それに源流大学事務局の慎悟君と4名で多摩川センターへ本と机、棚をもらいに出かけた。午後3時30分に白沢分校に戻ってきたので車から降ろすのを手伝った。車二台分で大変な量であった。運んでも運んでも終わらないほどの荷物にへとへとだった。これで事務室の備品はかなりそろった感がする。

2006年11月23日(木)[01:23:23]  
親戚の作家・水木が日本農民文学賞を受賞したので、その受賞作品「祝祭」の出版記念パーティが甲府市のベルクラシックで開催されたので真里とおばあちゃんと3人で親戚として参加する。山梨の文学に関係のある著名な方々が多数参加する盛大な催し物となった。兄の人徳によるものであろう。早坂さんも東京から駆けつけてくれた。
 今日は、私たちの33回目の結婚記念日である。結婚式は実行委員会を友人が作ってくれて会費制であった。参加する方々に出来るだけ負担をかけないようにという趣旨であった。妻の真里さんはウェディング姿で登場し、それはそれは綺麗であったが、白無垢の花嫁姿になることはなかった。お金がなかったこともあったし、親の世話になることを嫌ったこともあるが、今から思うと真里さんに済まないことをしたと深く反省をしている。ともあれ、結婚以来33年間、私には勿体ないぐらい素敵なお方であった。我がボランティア人生に一言の文句をはくこともなく、文明の最もやりたいことを真っ直ぐに進むことを支えてくれた。娘が二人いるが、心優しく育ってくれたのがなによりも私たちの自慢である。次女の沙緒里は結婚したが今でも家族団欒で旅行にも行くし食事にも行く。今では、孫にも恵まれ人生の中で最も幸せな時を過ごしている。家族に愛され家族を愛するという幸せはこの世で最もかけがいのないものである。これからも家族に限りない愛を注ぎたいし、すこしでも世の中のために役に立てばいいと思っている。

2006年11月22日(水)[01:04:36]  
また近所でお葬式がでたので自宅の勉強部屋で午前中、源流の四季・新春対談のテープ起こしをやる。丹治先生と「みづち」との出合い、「みづち」とは何を意味するのか、水に対するあるいは自然に対する丹治先生の思い、「みづち」が生まれた背景、日本人の自然観や感性、総合芸術としてのオペラ、美しい言葉の大切さ、美しい魂の大切さ、日本語の本当の美しさ、両親への思い、限りない愛、惜しみない愛、注ぐような愛、髪をとかされる愛、どんなときでも立返れるものとは、「みづち」への共感、共感しあえる人々との出合い、2000年からのメッセージ、文明との運命的な出合い、「みづち」へこめたもの、武将シゲトウの役割、人生とは何か、人類の仕事とは何か、命をバトンタッチする意味などなどテープを紐解いていけばいくほど、丹治先生の美しい言葉や美しい魂に触れることができて大変な元気を頂いた気分になれた。夕方には、信玄カメラに出向いて昨日のデジカメのデータをCDに納めた。


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