文明の源流日記


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2007年5月31日(木)[09:54:17]  
五月最後の日である。早い早い月日の経つのが早い。もっとゆっくり源流の新緑を楽しみたいのに、「光陰矢のごとし」である。朝8時30分に甲州市の総合政策課に出向き、源流域のシカ対策について打合せを行う。三窪高原のツツジの食害対策を源流協議会で5月8日に実施したが、甲州市の働きかけで早速山梨県が予算を付けてくれることになるという。源流協議会にも調査を依頼したいとのことであった。
 今、熊野川源流資源調査に取り組んでいるが、助成金が届いたので小菅村役場にたちより、中村文明の人件費を小菅村に渡したら、青柳課長が大喜びであった。源流研究所は、村のシンクタンクであり、小菅村の政策集団・頭脳である。同じ源流でも源流研究所が動くときは、活動を評価してもらうことが大切である。大きな仕事が出来てほっとした。最近、糖尿病の薬が効きすぎるのか、低血糖のため、頭がふらふらする。ぼっーとすることが多い。困ったことである。それでも、「源流の四季」の原稿を懸命に書いている。原稿の出稿は6月5日で、待ったなしである。自らにムチを打ち打ち、心にカツを入れて「源流の四季」の原稿を書いている。

2007年5月30日(水)[01:13:10]  
午前6時に目が覚める。またまた源流研究所の会報「源流の四季」を新しく発行する時期になった。今回の「源流の四季」には、何を載せていくか、色々思案する。今源流で何が起きているか、流域の市民に何を伝えたいか。はやいもので創立以来第26号を数えることになった。今年4月から6月上旬までの期間の動きを流域の市民に発信することになるが、ざっとどんな出来事があったかを調べてみる。川崎市・シャボンダマシンポジウム、大橋式高密度路網視察、平成19年度源流協議会総会、源流まつり、源流茶会、源流パビリオン、三窪高原シカの食害対策、小菅村・東京学芸大学協定、JTの森づくり、源流大学コンソーシアム検討会、源流学講義開始、大田区・区民大学講義、平成19年度多摩川源流研究所運営委員会、源流大学開校式、平成19年度全国源流の郷協議会総会、多摩川流域懇談会拡大運営委員会などなど大変話題は多い。午後からは、東京農業大学へ出向き宮林先生の時の源流学講座の写真の出来映えが良くなかったので、菅原先生の講義を取りに行く。農大がはしかで休講中なので学生の出席はなく一般の生徒だけのこぢんまりした講義なので写真は取らなかった。残念であった。甲州市から、シカの食害対策の件で連絡が来た。明日相談することになった。

2007年5月29日(火)[11:13:34]  
 「ご存じですか 〜くらしナビ最前線〜」源流を活かした新しい村づくりをテーマに日本テレビが取材に入ってきた。出演者は中村所長と源流大学地元講師の佐藤明徳さん。源流で取材をと提案し、青柳課長も同行して雄滝へ案内する。まず源流の森の役割についてコメント。シオジの森で森林の持つ水源涵養機能の大切さを話し、森と川の繋がりを説明する。後は、レポーターの日本テレビアナウンサー山本真純さん(なかなかの美人)の質問に答えて源流研究所の仕事は何か、源流大学では、学生に何を教えるのか、どんな体験があるのかなどに簡潔に応える。後は佐藤さんが森林体験を行い、源流大学の学生に具体的な間伐や農作業を通して地元の技を教えたいと語っていた。放送日は、6月24日午前11時25分から11時30分までの5分間。日本テレビ系全国31局ネット。是非見てください。小菅村と源流研究所の取り組みが全国へ放送されることになる。大変名誉なことである。提供は内閣府。小菅村が地域再生に認可されたことが背景にある。これは、源流大学を進めている東京農業大学の宮林先生のアドバイスから、小菅村の青柳課長と相談して計画書をつくり提出したもの。それがこういう形で評価されるとは思いもよらなかった。宮林先生有難う。小菅村・源流研究所が全国に発信されるよ。

2007年5月28日(月)[06:32:57]  
 朝6時30分に自宅を出発して、小菅村の鶴寝山(標高1368b)の松鶴のブナに会いに行く。柳沢峠では、新緑の彼方に浮かぶ富士山を愛でながら鶴寝山からの富士山も今日はバッチリ取るぞーと頑張って頂上に着くと、対岸の大峰は雲に隠れ富士山の姿を見ることは出来なかった。でも、新緑は素晴らしかった。鶴寝山のブナの新緑は一段と輝きを増していて、これまで見た中で最も印象に残る新緑であった。曇りから薄日まで色々な表情を見せてくれた。鶴寝山を西に下るとミズナラやブナの大木が連なるゾーンが広がる。爽やかな風が漂う広々とした空間は何とも言えない。沢山の写真を撮り、白糸の滝、雄滝に周り、記録を取る。多摩川流域リバーミュージアムの「多摩川フォトさんぽ」に最新の情報を送るのも、源流研究所の大切な仕事の一つ。今日は良い写真が撮れた。徹君は、どうも頑張りすぎて風邪を引いたようだ。ひるから休養を取った。

2007年5月26日(土)[06:19:25]  
朝早く目が覚めたので、午前6時30分に源流資源調査に出かけた。行きたいと願望しながら時間の確保ができなかったのでようやく後山川・三条谷調査に出向いた。柳沢峠から、甲州市落合、オイラン淵、泉水谷出合い、丹波山村、親川からお祭に出向き、そこから後山林道を北上し、林道終点の青岩谷に到着する。車を降りて登山道を歩き始めると目映いばかりの新緑が谷全体に漂っていた。三条大滝、カツラの巨樹、銚子滝、カツラとシオジの三姉妹を過ぎると三条小屋に着く。一服して、道を歩き始める。この一帯は、秩父多摩甲斐国立公園で最も自然殿高い天然林・原生林が広がるところで雲取山の西側斜面に位置する。今は通行止めになっているが、資源価値の高い青岩鍾乳洞がある。巡視道や登山道を歩き回る。溜息が出るほどの緑のシャワーが降り注ぐ。年輪を重ねたカツラ、シオジ、サワグルミ、ブナ、イヌブナ、ミズナラ、栂、樅などの巨樹・巨木が数`に渡って林立するのである。小菅村の牛ノ寝通りも凄いがここのほうが規模が大きいかもしれない。飽きることのない風景が次から次へとやってくる。標高1200bから1600bまで広がるこの森は多摩川の宝である。源流から沢山元気をもらった。今日は、よみうりの木村さん一行が第14回の源流探索に入ってきて、徹君がガイドした。大菩薩を塩山側からアプローチし、峠から小菅に抜けるコース。木村さん、繰り返し繰り返し、源流に足を運んでくれて有り難う。これからもよろしく。

2007年5月25日(金)[05:50:43]  
多摩川流域懇談会の運営委員会が川崎市のせせらぎ館で開催された。この日は運営委員会に先立って、午前9時に川崎駅に集合し多摩川八景の現地視察が実施された。懇談会のメンバーが殆ど参加し、最初に多摩川の河口に出向いた。雨が降りしきる中、大師橋と首都高速が走る所に集まり、長島先生の説明を聞いた。多摩川八景は、昭和59年に選定された多摩川の顔である。その場に立つと右岸には広々とした芦原が広がり、芦原の沖には中州が浮かび、対岸には大田の漁港に幾つもの漁船が係留されている。その下流は羽田空港、その対岸は京浜工業地帯の工場群が連なっている。日本を代表する工業地帯に多くの自然の残る多摩川が貫流しているのである。雨の河口は不思議なほど静かであった。
 続いて左岸の多摩川台公園にのぼる。大田区田園調布にあるこの公園付近は、都内最大の古墳が連なり特に亀甲山古墳は有名である。緑に包まれたこの一帯は貴重な都民の休息の場にもなっている。大きく蛇行する多摩川は、成長した木々に遮られてその全貌を確認することは出来ないが、それでもとても印象に残る箇所であった。その後二子玉川の兵庫島をバスで抜け、多摩大橋付近の河原、羽村の玉川上水をまわり、川崎市のせせらぎ館に到着した。午後3時からは、多摩川流域懇談会で流域セミナーの運営に関して意見交換した。夜は、TBネットの運営委員会に出席、終わったのは、午後8時45分、そこから山梨塩山まで帰った。

2007年5月24日(木)[14:34:55]  
多摩市の白石さんのお通夜に参列した。多摩市一ノ宮真明寺で執り行われた白石家のお通夜には、沢山の参列者があった。参列者の中には小学生や中学生の顔も見られた。それは白石さんが多摩市の青少年育成事業のリーダーとして、スキーや源流体験に熱心に取り組んでいたからで、白石さんの人柄を映し出すものであった。多摩市の市長さんも早くからお通夜に駆けつけ、おおくの市民と懇談し、白石さんの功績をたたえ、冥福を祈っておられた。多摩市長は所長のところにも挨拶に見えられ、源流体験を是非継続し成功させましょうと言葉をかけられた。白石さんの意志を受け継いで源流体験を大きく発展させていきたい。お通夜には、多摩川流域ネットワークから鈴木真智子さん、安元順さんも参列、源流研究所の徹君も参列した。4名で白石さんのことを長く話し合っていた。午後から源流研究所に相模市の長谷川課長、岩田さんがお見えになり、7月の講演会の打ち合わせをした。とうきゅう環境浄化財団の最終の申請書を提出した。


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