文明の源流日記


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2007年7月28日(火)[00:32:11]  
 源流百年の森作りの打ち合わせを小菅村役場で続行した。10月21日に予定している黎明祭の検討、11月17日18日に予定しているブナの母樹の保存活動、12月1日2日のシシクラ山の共生林の森づくりの検討を行った。黎明祭の中心テーマは、森林再生基盤整備である大橋式路網整備完成の竣工式と渡り初め。路網を活用しての「木だし」。地元の神楽の奉納。大橋式路網は、拡水工法にみられる水源涵養機能の向上を特徴とする。これまでは、林道といえば、山地の崩壊を引き起こしたりしてあまり評判は良くなかった。この方式は、尾根筋に幹線を敷設し、幹線から水平に路網を設置する。そのことで山地保全にも貢献することになり、それが実証され、その科学的データが裏付けされれば、これは大変なことになる。スギやヒノキの森が息を吹き返すことになる。全国の源流へ朗報が轟くことになる。山梨県で、大橋先生の指導による路網は初めてである。これを実証し、科学し、その成果を村内に広めていく事が大切である。牛ノ寝の「松鶴のブナ」の保存がいよいよ現実化してきた。松鶴のブナの命名者としては、これほどの喜びはない。このブナは、牛ノ寝の自然の豊かさのシンボルである。このことを通して牛ノ寝への関心と期待が広まることであろう。

2007年8月27日(月)[00:30:54]  
産官学民連携による源流百年の森づくりの打ち合わせを小菅村役場で行った。参加者は、東京電力の矢野さん、丹治先生、笹生政俊さん、源流大学の杉野さん、青柳課長、中村所長、中川徹君。笹生さんは、マーケティングのプロで全体のコンセプト、新しい森林経営モデルの検討、森林の価値の客観化数値化、実現手法としての路網の検討など多面的な分析に基づく検討を行った。午後3時からは、源流大学連携事業で、上岡先生、川野先生が健康づくりで小菅に来られていたので、みんなそろって牛ノ寝を歩いてもらった。スポーツドクターの清水先生にも牛ノ寝を歩いて頂いた。牛ノ寝の感想として、「この森は生きている」「気持ちの森である」「凄いところが残っている」等々たくさんの感想が生まれつつあり、牛ノ寝の科学的評価がすすむといい。今、牛ノ寝の歴史、文化の聞き取りを行っており、牛ノ寝全体の価値が明らかになると凄いことになるだろう。


2007年8月25日(土)[00:29:22]  
小菅村の長作地区にある御鷹神社へ源流資源調査に出かける。この御鷹神社の鎮守の森は、小菅村の中で最も優れた鎮守の森である。小菅村には、12の神社があり、それぞれに鎮守の森がある。鎮守の森の巨木、巨樹などに注目して、大成の小森神社、余沢の御岳神社、川池のヤギュウ神社、諏訪神社の調査を行い、今回は、御鷹神社を対象に調査した。モミ、ケヤキの巨樹、モミ、ケヤキ、トチの巨木が鎮守の森を埋め尽くしていた。どこにどんな大きさの巨木があるかがはっきり見えてきた。ただ、ヤブ蚊が大量に発生していて、体にまつわりついてきて、大変であった。この調査には、真里さんと沙緒里も加わり、小菅の資源調査に役立った。

2007年8月24日(金)[00:04:13]  
小永田の薬屋の屋号を持つ家と膏薬屋の屋号を持つを訪ねて聞き取り調査をした。古菅靖さん、和子さんの家をまず訪ねる。靖さんのお父さん・館さん、お祖父ちゃん・岩市さんの話を聞く。実は、靖さんのお祖父ちゃん・岩市さんが薬草で薬をつくり売り歩いていたという。また、膏薬屋は、舩木ナミエさんの家がそうだった。ご主人は亡くなられたといい、ご主人のお祖父ちゃん・文平さんが膏薬をつくっていたことが判明した。小菅村に薬屋、膏薬屋が実在したのだ。青柳勇先生を訪ねたらいろいろ教えて頂いたので今後の大きな足がかりができた。冨士講の話もたくさん聞くことができた。村長のアドバイスに感謝感謝。



2007年8月23日(木)[00:02:42]  
 廣瀬村長に会って、小菅村で明治から大正にかけて行われていた薬草の仕事について聞き取りした。村長の話だと、小永田に薬屋という屋号の家があったこと、また膏薬屋という屋号の家があったことを教えてもらった。これを手がかりに、小菅における薬草利用の経過を調べていきたい。東京電力の矢野さんから若者向けの月刊誌に環境問題のコーナーがあり、取材の申し入れがあるので、自然再生協議会の取り組み、東京電力と源流再生、源流の魅力の紹介などを矢野さんと組んでやって欲しいとの依頼があり、編集者と一緒に牛ノ寝や雄滝を歩きながら源流再生・森林再生の話をした。

2007年8月22日(水)[00:01:22]  
 源流古道再生プロジェクトの企画を掘り下げるため、小菅村の歴史の勉強、大菩薩峠の歴史を調査する。現在の甲州街道は、江戸時代になって整備されたものであるが、それまでの、甲州と武蔵の国、相模の国との往来は、大菩薩越えが主要な道であったのでないか。古甲州街道の役割を果たしていたのではないか。甲斐国史にのっている甲州と武蔵との交易路は大菩薩峠が大きな役割を果たしていたのではないか。大菩薩峠の果たした役割をもっともっと解明していきたい。
 源流日記が滞ったので、まとめて整理した。日記も毎日毎日付けてこそ値打ちがあると分かっていても、ついつい多忙にかまけて手抜きをしてしまう。困ったものである。しかし、源流日記をつけると決意したからには、有言実行あるのみである。今何が大切なのか、何を伝えたいのか、自分の考えを素直に出した来意だけである。日記がたまると気分が優れない。何かをやり忘れた想いが体のどこかに貯まっていて、熟睡できない。一気に進んでほっとした。

2007年8月21日(火)[01:01:24]  
多摩川と笛吹川、多摩川と荒川などの分水はいずれも高き稜線をなしている。その尾根道は、歴史的な古道であったり、深い森林に覆われたりする大切なゾーンであるが、ここはまた生き物たちのケモノ道でもある。その尾根道がシカの食害で生態系のバランスが崩れようとしている。この尾根をどのように守っていくか。いよいよその真価がとわれようとしている。時間は掛かろうとも、シカと人間の共生できる豊かな森づくりを進めなければならない。
 多摩川源流協議会の田辺会長、岡部丹波山村長(代理坂本副村長)、廣瀬小菅村長(代理奥秋教育長)は、シカの食害防止対策に関する要望を横内山梨県知事に行った。午後、山梨県庁を訪れた田辺会長らは、知事室で横内知事に面談した。田辺会長は、「シカによる食害が深刻化し、源流域の森林、山野草、農作物、山地保全などに大きな被害がでていて、放置できない事態である。秩父多摩甲斐国立公園全体にとっても由々しい事態を迎えている。県の対策を強化して頂くと共に、関東知事会でも取り上げて頂き近隣の都県とも連携し国にシカの食害対策の設置をお願いしたい。」と挨拶し、要望書を手渡した。続いて、中村源流協議会事務局長が、甲州市、奥多摩町、丹波山村、小菅村のシカの食害の実態を説明した。横内知事は、「県としての予算も増加し対策を強めたい。また近隣の都県と連携して、この問題に取り組みたい。」「関東知事会でも取り上げ国に働きかけていきたい」とシカの食害対策に積極的にに取り組むことを表明した。この取り組みは、夜のテレビニュースでも取り上げられた。 


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