文明の源流日記


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2007年9月30日(日)[05:26:50]  
午前中は、東京電力の支援する源流百年の森づくりに参加する。朝早くスポーツドクターの清水先生も参加して、源流の森や暮らし、文化などの全体を活用して、メタボの解消など人間の心身とも健康になるメニューづくりを検討した。昔から地元で工夫されてきた健康食の聞き取り、ノカンゾウ、ノビル、ワサビ、クワノハなど身近な薬草を利用した薬膳料理の研究など話題は豊富で興味をひいた。
 午後は、日野市役所で開かれた「水の小さな循環、大きな循環」をテーマにする浅川学習会のファシリテーターとして第二分科会に参加した。全体の講演は、高橋裕先生、挨拶は、京浜の鈴木所長。コーディーネーターは小倉先生、山道さん、日野市清流課の小笠さんも参加した。会場には、源流古道に参加した麓さん、宮崎さんも駆けつけ、源流を励ましてくれた。京浜の柳沢課長、小栗係長、浅川の主、諏訪さんも姿を見せていた。私は、いつどもどこでも源流のこと、小菅村のことを声を大きくして訴えている。私が気に入っている「水は命。森は源。川は絆」の源流からのメッセージと源流資源の循環の重要性を訴えてきた。いつも熱が入りすぎて時間がオーバーしてしまい、迷惑をかけている。もうすぐ60の山を越えるというのに、他人の迷惑を顧みず、謙虚さと学習が足りない。困ったものだ。

2007年9月29日(土)[21:48:20]  
昨晩の素晴らしい光景を洗い流すかのように、朝から雨がしとしと降っていた。それでも源流古道の旅を続けなければならない訳で、大菩薩峠を7時45分にでた。介山荘の益田さん一家に心からの感謝を述べ、大菩薩峠で記念撮影をして峠を後にした。8時30分に、大菩薩嶺に着く。この山は、日本百名山の一つ。展望は利かないが、この嶺に立つと不思議に背筋がピンとする。そこから原生林の見応えのある林の中を通ることになるが、長々と下り坂が続き、足への負担が大きいのが大変である。途中、台風9号の災害の爪痕が各地に広がっていた、参加者はその規模の大きさ、被害の深刻さに驚いていた。ともあれ10時10分に丸川峠に着く。
 雨で昼飯を食べるところがないので、丸川峠の山小屋で食べさせてもらう。10時50分に丸川峠を出た。寺尾峠に11時25分に着く。そこでダケカンバの木の皮の威力を確かめた。昔猟師たちは、雪原の中で煮炊きをするのにこの木の皮を利用した。雨の中でも勢い良く燃える光景に参加者は、先人の知恵に感嘆の声を上げていた。天庭峠を過ぎ11時50分に六本木峠に到着した。もうここまでくれば柳沢峠も至近距離である。みんなの顔に安堵感が漲る。そうはいっても最後まで気は抜けない。
 午後1時50分に全員が無事に到着した。歩くのは辛く、へこたれそうになることもあったが、本当に楽しい源流古道の旅であった。参加者を代表して、麓さん夫婦に感想をいただいた。ご主人は、「あの夕焼けは一生の思い出です。今後も続けられるかどうか分かりませんが検討したい」と。奥さんは、「本当に思い出に残る言い旅でした。今後も是非続けたい。」と話された。東京農業大学から参加し、縁の下から支えてくれた黒沢秀基君と蔵本君にみんなで感謝の拍手を送った。嶋崎真吾さんにも本当に助けられた。皆さん本当に有り難うございました。
 柳沢峠には、奥秋リーダーと私の菩薩様が迎えに来ていただいた。そこから小菅村に向かい、東京電力の支援する源流百年の森づくりの会議に参加した。東京農業大学の川野先生、上岡先生、東電の矢野さん、丹治先生、ものづくり文明の南さん、小菅村の小泉先生、小菅村役場の青柳課長、佐藤課長、源流大学の杉野君、私と真里さん、徹君が参加した。源流を健康づくりに活用するプロジェクトを真剣に議論した。懇親会は、本当に楽しかった。席上、杉野君から「ブンメイさんの話をしりたい。是非本を出してくれ」と催促された。2人で検討することになった。有り難いことだ。体はくたくたであったが、心は充実感に満たされていたので、なんとかおつきあいを務めることが出来た。

2007年9月28日(金)[21:46:52]  
源流古道水源林体験の旅にいよいよ出発した。今回、源流大学事務局の杉野君が、源流古道の旅に強力なスタッフを派遣してくれた。農大の黒沢君と蔵本君の2人で、本当に有り難かった。松姫峠に8時20分に到着し、出発式を執り行う。私から「源流古道水源林体験の旅がついに開始されました。今日はAコースでありますが、AはBに繋がり、BはCに繋がります。これから3年かけて、松姫峠から大菩薩峠、大菩薩嶺、丸川峠、寺尾峠、天庭峠、六本木峠、柳沢峠、板橋峠、倉掛山、笠取山、唐松尾山、将監峠、竜喰山、飛竜山、北天のタル、狼平、雲取山、鴨沢までを巡る壮大な旅です。今日は怪我をしないよう明るく楽しく古道を歩きましょう」と挨拶した。準備体操を終えて、8時40分に松姫峠を出た。鶴寝山から、松鶴のブナへ。私は、「松鶴のブナは、多摩川と相模川の源流の尾根に根を張っている源流の森のシンボルである。ただ、根の周辺に土の浅いところがあり、多くの見物者が訪れると根が圧迫され母樹が弱ってしまう。そこで、源流古道再生プロジェクトの一環として、11月17日、18日にブナの母樹を守るための防護柵を設置します。この活動に是非参加して下さい」と訴えた。
 続いて、栗ダツ、山沢入りのヌタ、棚倉、庄助地蔵、狩場の山の神、牛の寝、カヤノオ、玉蝶出合い、長峰分岐、石丸峠、大菩薩峠へと歩き、午後4時10分に介山荘に到着した。すこぶる足が重かった。10日前の熊野川源流調査の疲れが抜け切れていなかったせいで、特に玉蝶出会いからの急坂はこたえた。私を励ますために、ファイトファイトと声を張り上げが、そのことがみんなの励みになったと喜ばれた。つくづく年には勝てないと思ったが、しかしここで弱気になれないと心に言い聞かせた。泣き言は禁物と歯をくいしばる。
 途中、私と嶋崎真吾さんから色々解説しながら歩いた。真吾さんは、小菅村の猟師として有名な方で、私の源流絵図作成にかかわってくれ、大いに助けていただいた方、今回参加していただいて、心強かった。大菩薩峠にある介山荘は改築記念のオープンの日で、益田さん親子から大歓待された。益田さん曰く、「小菅村と多摩川源流研究所のみなさんに初めて利用していただいて、介山荘も喜んでいます。本当に有り難うございました」と感謝の言葉を贈られた。感謝したいのは、私たちの方である。
 夕食の前の夕焼けが素晴らしかった。西の空が黄金色に染まり、南北に延びた雲が層を成して漂い、雲間のコバルトブルーの空とのコントラストがこの世のものとは思えないような神秘的で幻想的な妖しい程の美しさだった。参加者は、その光景をくいるように眺めていた。私は、一瞬これは西方の極楽浄土だと思った。こんな体験をさせていただき、源流の神々に心から感謝した。懇親会が、それはそれは盛り上がった。私は、ビールを飲み過ぎて良く覚えていないが、参加者から「小菅村とブンメイ讃歌」を沢山聞かされて、心が温まった。またまた菩薩様の話と孫の真緒真緒や悠真の話をしてしまった。みんな嬉しそうにジージの話に付き合って下さった。それは、とても充実した生き甲斐のある一時であった。真吾さん、黒沢君、蔵本君と部屋に戻ってからも話が弾んだ。改築された介山荘は、持てなしの心に溢れており、心地よい睡眠をとらせていただいた。


2001年9月27日(木)[22:54:43]  
 源流古道水源林体験の旅Aコースが始まる。常連さんがサポートするために、島田真里さん、二平さん、村木源三さん、青木さん、鈴木さん、小美野さん、ひしかたさん、麓さんなどが小菅にやってきた。みんなが源流ファン。小菅ファン。嬉しかった。午後は三つ子山探索、徹君が名ガイドし、農大の黒沢君、蔵本君も頼りになりそう。ともあれ、昼も夜の交流会も盛り上がった。明日から松姫峠から鶴寝山、山沢入り、棚倉、しょなめ、狩場、榧の尾、玉蝶、天狗の頭、石丸峠、熊沢山、大菩薩峠と歩く。今年がAコース。来年がBコース。再来年がCコース。参加者は口々にこのコースは他では得難いコースと褒めてくれる。源流とは川の源、水の源、日本文化の源、日本人の魂の源。多くの人に愛されて、多くの理解者が生まれて、源流研究所にとってこんなに嬉しいことはない。皆さんのために、一生懸命頑張ってきます。是非、平地で暮らしの方々、応援していて下さい。
 ところで、大橋式路網の元祖、大橋先生が村有林のある鶴峠の路網づくりに指導に見えられた。宮林先生、菅原先生、丹治先生、榎本さん、藤原さん、青柳課長、奥秋リーダーも同行。大橋先生の熱心さには本当に驚かされる。 
孫の真緒真緒から、「ジージ」「ジージ」と携帯から応援のメッセージが届く。心が燃える。心が震える。可愛い真緒真緒の声に。小さな命はジージの命。本当に有り難いことです。

2001年9月26日(水)[23:59:51]  
一ヶ月程前から、左手の中指が痛くなり、二週間前から自由に曲げられなくなってきたので、今日塩山市民病院に行った。雨宮先生は、「バネ指です。手術すれば直りますが、また出てくることもあります」とのこと。中指の掌の平に塊があり、筋の往来を妨げる障害物ができている。これを手術で除去するという。局部麻酔による短時間の手術である。これは遺伝性のもので、娘二人にもバネ指があり、三歳の時二人とも手術した。今頃になって私に出てきたわけで、困ったものである。来週の火曜日に手術になった。
 午後から小菅村役場で、青柳課長、奥秋リーダー、私と徹君で、源流古道の旅、よみうり文化センターの源流散策、黎明祭、ホンダの企業の森、大橋式路網設置、全国源流シンポ、源流再生政策委員会など当面する取り組みの打ち合わせを行った。         様々な課題があるなか、全国各地の源流再生をどう進めていくか、その政策立案と実現をどう図っていくかを検討する政策委員会開催に関して、委員会の座長の高橋先生に連絡を取り、11月29日午後に開くことになった。この取り組みは、今後の源流のあり方を問うものであるだけに、力をつくしたい。

2007年9月25日(火)[12:46:51]  
「源流の四季」の最終校正をやってから、長作の古観音の発掘現場を訪ねる。この発掘は、山梨県教育委員会・県埋蔵文化財センターが「県内中世寺院分布調査」の一環として実施されているものである。長作には、国の重要文化財の観音堂があり、この観音堂は地元では、神楽入という沢の上流部にあり、そこには古観音という地名も残されていた。そこで、山梨県埋蔵文化財センターが発掘調査に取り組んだもの。5日間に渡って行われた発掘調査では、寛永通宝や平安時代の土器などが発見されて、発掘責任者の埋蔵文化財センターの石神孝子主任は「収穫の多い発掘調査だった」と述べられていた。今回の出土品を調査研究した報告書が楽しみである。私の目の前で、平安土器が発見されたときは、本当に驚いたし、嬉しかった。長作の言い伝えが現実に存在したこと、そこから平安時代の出土品が発見された意味は大きい。長作観音の時代背景に新たな深みと広がりが確認されたことになり、長作の魅力と価値の探求に弾みがつくになるだろう。

2007年9月22日(土)[15:43:26]  
今、多摩川源流にシカの食害が広がっている。ドウダンツツジの巨木、レンゲツツジが大きな打撃を受けていて、さらにヤナギランが姿を消し、マツムシソウが目にとまらなくなっている。こんな厳しい状態を多くの流域の市民に知って欲しい。こんな期待に応えて、多摩川流域ネットワークの長島代表、安元副代表、中山夫妻、熊澤親子さんらがシカの食害観察にやってきた。小島さんの協力を得て私達が案内する。奥多摩駅に迎えに行き、水根、小袖、三窪高原を案内する。いくとこいくとこで参加者は驚きの声を上げていた。真実が広まることを心から願っている。多摩川流域ネットワークの皆さん、ありがとうございました。


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