文明の源流日記


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2007年10月31日(水)[03:17:08]  
小平市の環境保全課が市民を募集して、多摩川源流をテーマにする環境学習に取り組み、小菅村にやってきた。午前中は、所長による源流学習会であった。多摩川と江戸、東京の係わり、源流と羽村の堰の歴史、東京都水源林のこと、小菅村の源流に拘ったムラづくりのこと、源流研究所の活動などを簡潔に話した。午後からは、源流探索。雄滝を巡りながら現地学習をした。参加者の生き生きとした表情から元気を頂いた。
 明日は、山梨県が主催するまちづくりフォーラムでパネラーを頼まれている。様々な団体が地域づくりに努力し、様々な成果を上げている中、小菅村の源流研究所がまちづくりの成果を上げている団体に選ばれたわけで、大変名誉なことである。

2007年10月29日(月)[02:05:49]  
 朝、諸塚村の林業視察に出かけた。諸塚は、林業先進地であるが、直接現場を見てみたいと出かけていった。集落が88箇所もあり、その集落を結ぶ道づくりに昔から取り組んだとのことで、この道が今では重要な役割を果たしてい。また、林業、シイタケ栽培、お茶、牛などの複合経営が営まれており、シイタケのほだ木を得るために昔から山にナラなどの雑木を育ててきたという。山の模様は、スギやヒノキと雑木がモザイク状に配置されていたが、この配置は、暮らしが産み出したものという。先進地の森づくりは、暮らしと共にあった。本当に感心した。午後の飛行機で熊本空港から羽田に戻った。


2007年10月28日(日)[02:04:29]  
シンポの二日目は、お見送り体験ツァー。全国シンポ自体が究極の源流体験と名をうち、様々な体験メニューが揃えられました。その目的は、地域生活文化や自然環境を活かした交流の仕組みづくりが欠かせないとの問題意識に支えられたもので、一つ一つのコースが実に丹念に調べ上げた土地の資源をガイドが分かりやすく話していく仕組みになっていた。私は、緑川源流のコースに参加した。地元の元さん達の素晴らしい案内ともてなし、緑川源流の幻想的な美しさ、心の温かさに心から満足した。午後2時から小菅村の青柳課長、撤ちゃん、拓ちゃんたちと高千穂の柱状摂理と天の岩戸を見に行き、その日は椎葉村の龍神館に泊まった。

2007年10月27日(土)[02:02:36]  
第8回全国源流シンポジウムが「源流の再生を目指して」をテーマに宮崎県五ヶ瀬町荒踊り会館で開会された。五ヶ瀬魅力発見隊、猪の解体、地元の民俗芸能、月尾先生の記念講演、小俣調整官の基調提言、パネルディスカッション、ワークショップ、ポスターセッション、神楽の披露、懇親会、次期開催地紹介と全国シンポのメニューは豊富で参加者を心からのもてなしで迎えてくれた。月尾先生の話は、これから生きていく上で示唆になることが沢山あった。小俣調整官は、源流の持つ重要性と源流再生の基本方向、流域の視点に立つ連携と協働のあり方を分かりやすく話された。また、パネラーの一人、尾前善則さんの話は凄かった。尾前善則さんは、狩猟儀礼作法伝承者でその話される言葉一つ一つが、重みと格調があった。人はこの様に生きてきた。人はこの様に自然と付き合ってきた。人はこの様に生き物たちと付き合ってきたと。渋沢さんは、何が源流にとって大切なのかをズバリ話されていた。山道さんが、いつものように、うまくコーディネートしてくれた。夜の懇親会の持て成しも半端ではなかった。あらゆる場面に、土井祐子の繊細かつ大胆なる感性と無限のひらめきが、刻まれていた。土井さん本当にご苦労さん。歴史に残る全国シンポと言えよう。土井さん、秋本さん、石井さんら地元の実行委員の方々に感謝したい。五ヶ瀬川流域、耳川流域、緑川流域が連携して、一つの物語を紡いでいった。宮崎、熊本に源流ネットワークが築かれていった。人と人が結びついた。初参加した、吉野・川上の佐野純子さんが「いろんなシンポに参加したけど、こんなに暖かいシンポは初めてだ。」と感想を語ってくれた。源流再生の輪が確実に広がった。


2007年10月26日(金)[01:58:19]  
 全国シンポと全国源流の郷協議会の幹事会開催にむけて、青柳課長、撤ちゃん、拓ちゃん、撤君と私、真里さんで宮崎県五ヶ瀬町に向かう。熊本空港で天川の豕瀬さん、吉野川の坂口さん、佐野さん、道志の佐藤さん、山道さん、鈴木真智子さん、石田さん、熊沢さんら多くの参加者に会う。大半がお迎えツァーに参加する中、私たちは、五ヶ瀬町に向かい、幹事会に出席する。五ヶ瀬、小管、天川、道志、木祖村、椎葉村の幹事が参加し、国に対する要望書を提出することを確認する。都市と地方の格差是正が議論される中、地方再生の柱の一つに源流再生を位置づけさせるよう国に働きかけていくことになった。なかなか実り多い幹事会になった。夜は、地元実行委員会、全国源流ネット、全国源流の郷協議会との懇親会。青柳課長ら小菅村一行、木祖村の栗屋村長、沢頭先生ご一行、道志の佐藤さん、吉野川の坂口さん、佐野さん、天川の豕瀬さん、小俣調整官、舟橋課長補佐、渋沢さん、山道さん、多摩川の石田さん、鈴木真智子さん、安元さん、熊沢さん、荒川の山中さん、四万十の豊田さん、江の川の秋本さん、高津川の吉田、豊田、広兼さん、旭川の竹原軍団、地元の石井さん、土井さん、秋本さんら大勢が楽しい一時を過ごした。全国源流ネットの会員に多くの人が加盟してくれ、真里さんが大変喜んでいた。


2007年10月26日(金)[12:24:41]  
夜1時に寝たと思ったら、朝、5時30分に起こされて、羽田空港に向かった。羽田発、8時15分。青柳課長、徹ちゃん、拓ちゃん、徹君と合流して、五ヶ瀬町に向かう。熊本空港には、午前10時30分に到着する。昼飯を食っていると、吉野川の坂口さん、佐野さん、熊野川の豕瀬さん、道志村の佐藤さん、山道さん、鈴木真智子さん、石田さん、熊沢さんらと落ち合い、五ヶ瀬に向かった。五ヶ瀬では、土井さん、五ヶ瀬町役場の石井さん、実行委員長の秋本さんらに会う。午後4時30分から、全国源流協議会の幹事会、源流再生のガイドライン、国への要望書の提出の確認をした。夜は、国土交通省河川環境課の小俣調整官、舟橋課長補佐、九州整備局の浅田さんらや渋沢さん、四万十の豊田さん、旭川の竹原さん達と、地元との交流会が盛り上がった。

2007年10月25日(木)[12:23:24]  
朝一番に全国シンポの小菅村長挨拶の骨子をつくり、青柳課長に届けた。全国源流の郷協議会の幹事会のレジュメの準備に取りかかる。政策委員会のガイドラインに関する骨子をつくる。午前中、週末の全国源流シンポジウムの参加者名簿をつくり、現地実行委員会の土井祐子さんに送る。土井さんから、交通費に関する問い合わせもあり、四万十源流、高津川源流、吉野川源流、熊野川源流、荒川源流、多摩川流域に連絡を取り、一人一人の旅費を聞いていった。たまたま留守の人もいて、全員の確認を取るのに夕方までかかった。午後からは、湯西川ダム工事事務所の佐藤所長と京浜河川事務所の林副所長と柳沢河川環境課長、青柳課長、望月てっちゃん、拓ちゃんとリバーフロントの事務所で、源流再生の検討会を開く。源流の課題と解決策を福祉・医療・環境・産業・文化・暮らしなど多方面にわたって議論した。大変参考になった。夜遅く、北池袋に向かう。真緒真緒と悠真がジージを迎えて入れる。真緒真緒と一緒にお風呂にはいる。至福の時を過ごした。しかし、至福の後に佐藤さん達の検討会のまとめを夜の1時までやった。さすがに疲れた。 



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