文明の源流日記


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2008年12月28日(金)[08:01:15]  
 我が家の家族で、実家のあった場所に出向き、ご両親に花を手向けてきた。実家は、それこそ完全に燃え尽き、焼け落ちていてたので、祭壇が設けられた場所に行って、合掌した。安らかにお眠り下さいとお祈りした。元気なうちにもっと会いに来ていたら良かったと悔やまれた。長野に気楽に訪問できるところがなくなった。親しくしていた親戚がいなくなった。寂しい限りである。世の中何が起こるか分からないと痛感した。一日一日を大事にするしかないとつくづく感じた。冷たい北風がいつになくこたえた。


2008年12月27日(木)[07:48:12]  
 納棺、出棺、火葬へと進む、午後から、告別式が行われた。沢山の方々がお焼香にお見えになり、ご両親の人望の厚さが偲ばれた。受付の手伝いをやったり、真緒ちゃんと悠真の世話をしたりと色々忙しかった。あっという間に、時間が過ぎてお葬式は終わった。正樹さんは、気丈に立ち振る舞い、取り乱すことはなかったが、心中どんなに悔しかったか、どんなに無念であったか。

2008年12月26日(火)[07:47:04]  
 午後から通夜が執り行われた。正樹さんの高校時代の同級生が、一生懸命手伝って下さり、大変助かった。地域が異なれば風俗・週間も変わるもので、お斎のことを色々教えてもらった。山梨では、初七日を告別式の日にやるが、こちらではお斎(おとき)をやる。どなたにおときに出席してもらうか、事前に連絡することになる。我が家からは、私と真里、亜希、沙緒里、奈良の小川のお父さん、お母さん、隆広さんが参加することになる。真君は、通夜にお焼香に来てくれた。弘子叔母もたいそう心配してくれて、長野のお母さんが日本看護協会の名誉会員に推進されていたので、各方面に手配してくれた。


2008年12月25日(月)[07:44:27]  
 「源流の四季」の最終稿が待っていたので、一旦山梨まで帰り、校正を終え、責了は、青柳課長と徹君にお願いして、長野に向かう。親戚中が落胆し、驚き、失望し、落胆している。家がなくなると言うことの厳しさを実感した。DNA鑑定が終わり、仏さんを引き取らなければならないのに、仏さんが戻るところがない。みんなが集まるところがない。家を失うと言うことは、生活できないということを意味するのだと言うことが、しみじみ伝わってくる。それにしても、お父さん、お母さんに直接お会いして有り難うございましたと感謝が伝えられないのが無念でならない。


2008年12月24日(月)[07:43:19]  
 午前2時に妹の恵美さんからрェあり、長野の実家が火事で全焼し、ご両親が亡くなったと声が聞こえてきた。信じられないことが起きてしまった。すぐに真里さんに知らせ、2人で長野に向かう。更埴インターで正樹さん待ち合わせ長野市の実家に向かう。家は全焼だった。ご両親の亡くなられた場所に佇んで、ただただ合掌するのみであった。遺体の損傷が激しく、確認に手間取り、信州大学で解剖に賦されることになった。遺体に会うことは出来なかった。長野のお父さん、お母さんには、大変お世話になり、私の好きなおやきを良く山梨まで送ってもらったものである。お母さんは、保健師の仕事に長年携われていて、底抜けに明るく、積極的で、活発で、親切であった。正樹さん、恵美さんにかける言葉はなく、通夜や告別式の準備の相談に乗ることぐらいしか出来なかった。只、そばについていて、役に立てればいいと思った。


2008年12月21日(金)[07:42:09]  
 マスコミの取材で、日経に出かける。いろんな取材があり、小菅村における源流再生の取り組みを紹介しているが、広く多くの市民に源流の現状と課題を理解して貰い、源流情報を広げる大切な機会となる。今回は、源流百年の森づくりの取り組み、源流絵図、源流研究所、源流体験、森林再生プロジェクト、流域ネットワークの取り組みなどを話した。

2008年12月20日(木)[06:57:53]  
 東京農業大学で源流大学運営委員会が開催された。東京農業大学から大澤学長、宮林先生、杉本課長、杉野さん、石坂さんら、小菅村から廣瀬村長、奥秋教育長、青柳課長、小泉先生、私と山道さん、山林会の原さんらが出席、これまでの活動の報告と今後の取り組みを協議し、源流大学コンソーシアムに取り組むことを確認した。


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