文明の源流日記


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2008年1月24日(木)[01:32:14]  
 1994年7月18日に源流に足を踏み入れ、源流絵図塩山版を作成し、源流絵図の作成がきっかけになって小菅村と知り合い、2001年4月、小菅村が源流研究所を設立し、所長として源流研究所で働くことになった。早いもので今年で源流に足を踏み入れて14年が経過した。源流研究所が生まれてはや7年経った。人生10年で一仕事というから、源流研究所の所長として、この数年間で小菅村の活動に何らかの節目を飾らなければならない。お世話になった小菅村への恩返しである。一番の恩返しは何だろうか。源流研究所は、源流にこだわった村づくりを進める小菅村のシンクタンクとして生まれたものである。小菅村を源流で生きていける村にする。小菅村が単独で自立して生きていけるような村として発展していける道筋が明らかになり、これまでの特産品と共に新しい産業が生まれて村に賑わいがもどり、若者が働く仕事が生まれ、源流で安心して生きていけるようになる。村の将来像が明確に示され、歩くべき筋道に村民が納得し確信を持つことであろう。もちろん、村づくりの主人公は小菅村民である。こうした村づくりに特効薬はないが、小菅村には、源流を良くしたいという目標と意欲と熱意がある。いよいよ、源流の郷づくりの正念場を迎える。頑張るぞー。源流ファンのみなさん、応援をよろしくお願いしますよ。

2008年1月23日(水)[01:02:26]  
川崎市の上丸子小学校の総合学習の授業に呼ばれ、源流の話をした。対象は、小学校の五年生二クラス。授業時間は90分。講師は、鈴木真智子さん、大師干潟館の佐山まりこ3と私。一人が30分を担当する。生徒達は、よくも休憩無しに話を聞いたものです。私は、写真を使いながら、源流の森の働き、水の大切さ、自然の豊かさ、春や夏や秋、冬の季節の姿、源流体験などをコンパクトに話した。この小学校でも、校長先生が熱心にやるようになってから、多摩川学習が活発になったという。校長先生の役割は大との真智子さんの指摘。小菅村の源流体験に是非参加して欲しいとお願いした。生徒は素直で担任の先生がとても熱心・親切であった。それぞれの現場には、それぞれ頑張る人間が入ると心が温かくなった。
 角膜ヘルペスにより目の調子が悪いので、昼間外に出るのが辛い。曇っていればいいが、晴れた日は、まばゆくて溜まらない。瞳孔を開く目薬を射しているので、外の光がどっと目の中に入ってくる。さらに軟膏の目薬に苦しめられている。土曜日にまた診察がある。その日までは、出来るだけ安静にして回復させたい。

2008年1月21日(月)[03:09:12]  
夜、第9回全国源流シンポジウム実行委員会準備会に参加した。村内の様々な団体の代表が真冬の寒さの中参加し、シンポの会場、シンポの趣旨、シンポの内容、シンポの目的などに関して意見交換し、今回のシンポを通して上下流連携を盛んにし、木祖村の活性化を図ろうという意欲が溢れていた。午前は、日野百草薬の井原社長夫妻に招待されて、本社に出向いた。井原社長夫妻は、ユネスコ活動に取り組んでおられ、その文化振興に尽くされていた。会社も木曽の御岳信仰と共に栄えてきた歴史があり、御岳信仰の歴史にも造詣が深く、話は尽きなかった。午後は、沢頭先生と武居さんの案内で木曽郡を案内して頂いた。開田高原、三岳村の御岳神社、日義村の木曽義仲の菩提寺、中山道の宿場町の歴史などを教わった。沢頭先生の博学さには頭が下がる。歴史ばかりか生態系にも通じておられる。素晴らしい先生が源流シンポを盛り上げてくれることであろう。 

2008年1月20日(日)[03:08:24]  
午前10時から、長野県木祖村の沢がしら先生の主宰する自然同好会の新年の集いで講演した。題して「水木沢の魅力」。全国各地の源流の姿や人々の営み、源流絵図を作成した苦労話、木祖村の薮原祭のもてなし、街道文化、お六櫛のことなど木祖村の宝に触れ、今度の全国シンポでこの宝を流域に発信しようと訴えた。多くの参加者の中で特に女性の方から盛んな拍手を頂いた。目医者の野中先生、白樺平の北条さん、お六櫛保存会の北川さん、漁協の牛丸さんなど多くの友人を得た。 

2008年1月19日(土)[03:07:32]  
夜の源流大学の地元講師養成講座に参加。元気な地元の住民が多数参加した。宮林先生の挨拶の跡、石坂真悟くんが活動報告、その跡意見交換会に移った。意見交換会では、学生が頻繁に小菅に来るようになって、村が明るくなったとの声があがり、若い学生の来村に多くの住民が励まされている様子が伝わってきた。森林体験などに参加しての感想は、事前の打ち合わせ、体験の目的、日程などの取り組みが不十分であるとの批判が出された。それは、もっと良くしたいとの思いから出された意見であり、もっともな提言であった。午後は、小菅の木で小菅村役場の腰板張りの体験実習。一区画腰板張りに挑戦した。農大の学生が一生懸命腰板張りに取り組み姿を見て心強く思った。


2008年1月18日(金)[03:06:24]  
 第9回全国源流シンポジウムに向けて、木祖村の栗屋村長と国土交通省河川局河川環境課に協力要請にあがる。河川環境課では、小俣調整官と舟橋課長補佐が対応。小俣調整官は、今回の源流シンポを通して木曽川流域の上下流交流がより一層活発化するよう力を尽くしたいとの確約を頂いた。その跡、水資源部に回り水源地域対策課にの木村課長補佐らに挨拶、同じく水資源部計画課の水資源調査室の海野修司室長にあった。海野室長は、京浜河川事務所の所長時代に大変お世話になった。海野室長の話によると木曽川上流河川事務所の所長は、高野さんとのこと。高野所長も京浜河川事務所の所長の頃大変お世話になった。新しい情報を得て木曽川源流でのシンポが益々楽しみになった。


2008年1月17日(木)[02:40:23]  
源流研究所の会報である「源流の四季」が完成したので、中川徹君と流域の市区町村に配布に出かけた。早いもので今度の「源流の四季」で28号を数えることになった。四季なので年に四回の発行。源流研究所が活動を開始して、丸7年が経過したことになる。情報の発信は、研究所の活動の中で最も大切な活動の一つである。国立市、立川市、日野市、八王子市、昭島市、羽村市、瑞穂町、武蔵村山市、小平市、国分寺市、小金井市、三鷹市、武蔵野市へそれぞれ配布した。夜は、国分寺市の水と緑研究会の学習会の講師として源流の話をした。小倉先生、星野順子さん、佐山さん、神谷さん、石田さん、菅谷さん、高橋さんなどと懇談し楽しい一時をすごした。



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