文明の源流日記


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2008年2月29日(金)[08:35:48]  
 昨日、今日と多摩川源流自然再生協議会の全体構想と実施計画づくりに没頭した。小菅村の青柳課長から、委員からの提案・意見をもらい、一つ一つを検討して、取り入れられるものはひとつひとつ計画に反映する仕事をまかされ、その仕事に取り組んだ。長作観音を学ぶ会の開催要項も頼まれたので、教育委員会の守重正秀さんと相談して準備した。

2008年2月27日(水)[08:28:33]  

 今年、木曽川の源流で行われる第9回全国源流シンポジウムの第1回現地実行委員会が開催され、木祖村から出席を要請されたので参加した。それはビックリであった。河口の名古屋市水道局、国土交通省中部地方整備局、木曽川上流河川事務所、日進市、一宮市、親善大使の岩田さん、地元の商工会、自然同好会、漁協などなど50名近い人々が顔をそろえた。栗屋村長が全国へ木曽川源流の素晴らしさを発信しようと挨拶し、役員を選出、会長に沢頭先生、副会長に栗屋村長と私が選出された。事務局から開催要項の説明があり、内容を了承し、全体で意見交換し、上下流連携の全国のモデルを作ろうと意気盛んであった。

2008年2月26日(火)[06:57:11]  
自然再生協議会の各部会の集まりを3月15日にやる方向で宮林先生と調整しているが、青柳課長はオッケーだが宮林先生が多忙すぎて連絡が取れない。ともあれ、全体構想・実施計画に委員からの意見を反映ざる作業に取りかかっている。
 今年で源流研究所は、7周年を迎える。源流絵図を作り、それが契機で源流研究所の所長に迎えられ、情報の発信、上下流交流をやり、森林再生プロジェクトに取り組み、国土施策創発調査をやり源流大学構想と源流の郷協議会の立ち上げをやり、自然再生協議会を立ちあげ、東京農業大学のお陰で源流大学ができた。あと三年すると源流研究所設立10周年になる。10周年記念の取り組みとして、講談・小菅村物語を作る計画を進めている。当初は、小菅村物語で行く予定であったが、中川徹君が是非講談にして欲しいというので、講談を作ることにした。今源流の郷・小菅村の文化や歴史がとても面白い。全国源流シンポの講演のテーマを渋沢さんと相談、パネリストとして、国土交通省河川局河川環境課の小俣調整官から中嶋章雅河川環境課長の推薦があった。有り難いことである。

2001年2月25日(月)[09:17:35]  
昨年9月の古観音遺跡の発掘調査では、長作の神楽入りの現場から平安時代の土器が発見されるなど、長作観音に関する新しい成果が生まれた。小菅村教育委員会と源流研究所の主催で調査報告会を予定しており、その打合せ会の要項を考えた。調査報告会を行い、それを足がかりに長作観音堂を学ぶ会のようなサークルが生まれると言い。今日も寒く、柳沢峠は、マイナス10度であった。TRMの「たまがわ散歩」の取材で、丹波山村鴨沢、奥多摩湖、月夜見を回った。快晴の元、雲取山、鷹巣山、飛龍山など源流の山々がくっきりと浮かび上がり、雄大な景色を写真に収めることが出来、爽やかな気分になれた。
自然再生協議会の全体構想、実施計画に関する委員からの意見・要望がいくつも届いていて整理に取りかかった。
 

2008年2月22日(金)[09:16:21]  
小菅村の「元気プロジェクト」構想を作り上げるために、内閣府の「地方再生戦略」に関する要項に目を通し、どこがポイントかをつかむ。またこれまでの小菅村の国土施策創発調査の報告書や自然再生の全体構想・実施計画などの取り組みを振り返り、プロジェクトのイメージを膨らませていった。 

2008年2月21日(木)[09:14:59]  
昨日と今日の二日間かけて、農大の黒沢君、蔵本君とともに、巨樹・巨木を中心とする源流資源調査を実施した。場所は、牛の寝の山沢入りのヌタからオオマテエにかけての一帯であった。今年は数回雪が降ったため、深いところでは、40aを越え奥まで入っていくことが大変であった。しかし苦労した甲斐があって、初日、巨樹一本、巨木20本、今日、巨樹一本、巨木8本をそれぞれ確認することが出来た。オオマテエ一帯では、巨木が集中して存在し、保存状態も良好であった。樹種は、ブナ、ミズナラ、トチ、クリであった。このペースで行くと、小菅村で150本を越える巨樹・巨木が確認できそうだ。
深い雪の中を5時間、6時間歩くと足はくたくたであった。60歳を越えると疲れがたまるようで、若い人のペースに着いていくのが辛かった。


2008年2月18日(月)[23:07:04]  
 朝、8時30分に木祖村に着いた。マイナス15度の世界。寒いというより体が凍った。第9回全国源流シンポの成功に向けて、木祖村の栗屋村長、沢頭先生、担当の東さんと一緒に上下流連携の仕組み作りのために、木曽川上流河川事務所の高野所長に面談した。高野所長は、京浜河川事務所の時、熱心に源流に出かけ、上下流連携を推進。木曽川は、227`もある中部地方一番の河川。木曽川、揖斐川、長良川のいわゆる木曽三川が濃尾平野を形づくり、尾張名古屋を支えてきた。源流は、下流の発展に大きく貢献したが、県境の壁、直轄の壁があり、源流から河口を視野に入れた取り組みはこれからというところが全国では多い。高野所長は、全国シンポの実行委員会に加わり、担当を参加させると確約。大きな一歩が踏み出された。要請活動には、木祖村交流大使の岩田さんも同行、存在感をしめして頂いた。それにしても、木曽谷は長くて大きいと実感した。

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