文明の源流日記


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2008年9月30日(火)[08:05:54]  
第9回全国源流シンポジウムの反省会が木祖村で開催された。参加してみると100名を越える方々が参加し、みんながいい顔をされ、元気に迎えて下さった。木祖村の人々にとってもこれからの木祖村の発展に大いに役に立つ、村ぐるみの取り組みとして全国シンポが成功したことをみんなが喜んで居られた。澤頭先生、栗屋村長、唐沢副村長のネットワークの素晴らしさ、久保田課長や東さんなど事務方の頑張り、郷土料理、郷土芸能を支えた方々、エクスカーションを支えた方々、それぞれが素晴らしいハーモニィーを奏でていた。歴史に残る全国シンポになったことが地元と一緒に喜べて嬉しかった。真里さんも元気な姿を見せてくれた。

2008年9月29日(月)[07:56:38]  
27日は、「いい川いい川づくりワークショップ」のテーブル選考員を依頼されたので、入江さんやみどりさんたちと意見交換しながら、楽しく選考した。夜は恒例の懇親会、金尾さんが多摩川源流を歩きたいとの希望を持っているとのことで、来年のいい季節に竜喰谷へ行くことになった。28日は、鍔山先生と調布市のたづくりに写真展の打ち合わせにいった。いろいろ手続きがあり、済ませてきた。横浜市から電話が来て、11月に講演を依頼された。木祖村で会った横浜市の都市経営局都市経営戦略担当理事の信時さんからの推薦で決まったという。張り切って頑張ろう。夜は、源流元気再生運営執行部会議が開かれ、盛会であった。それぞれの研究室が気合いを入れて頑張ることになった。

2008年9月26日(金)[05:18:30]  
忙しい日々が続いているが、月日は容赦なく過ぎ去る。柳沢峠の気温が一気に下がり、14度を示すようになっている。まだ紅葉は進んでいないが、夏から秋への大きな流れが確実に進んでいる。空気の冷たさが季節を知らせている。甲州市からも山梨県からも源流域のシカの食害と食害防止対策に関する依頼が舞い込み、人手不足の下り、てんてこ舞いしている。夕方東京に向かい、「いい川いい川づくり」ワークショップの前夜祭に参加するため、代々木の青少年オリンピックセンターに向かった。山道さんと久々のご対面であった。山道さんの川のネットワークは凄い。会場では全国の川の恵みをたっぷり味わった。

2008年9月25日(木)[02:30:55]  
「源流の四季」の校正の日がやってきたので、真里さんと協力して初稿をやり終えた。源流大学の存続要望、源流元気再生プロジェクト運営委員会、源流体験特集、第9回全国源流シンポジウム、第28回多摩川流域シンポジウム、大橋式路網現地研修会、多摩川写真二人展、多摩川流域懇談会10周年シンポジウムをしっかりと校正した。伝えたいことがたくさんあるので記事の量が多く、削除するのに時間がかかった。午後からは、川崎市多摩区のせせらぎ館で多摩川流域懇談会が開かれたので参加した。市民側は長島先生、中村所長、安元さん、鈴木真智子さん、行政側は京浜の林副所長、工藤調査課長、柳沢河川環境課長、高橋係長、東京都、川崎市、調布市の代表がそれぞれ参加し、多摩川流域懇談会10周年祈念シンポの打合せを行った。夜は、多摩川流域ネットワークの運営委員会に参加した。長島先生、中村所長、安元さん、鈴木真智子さん、中山さん、長谷川さん、長谷山さんが顔を出した。市民学会の件を協議した。おわって、玄海で懇親会を開いた。

2008年9月24日(水)[02:29:07]  
柳沢峠周辺の気温が14度まで下がり、少しづつ秋の気配を感じるようになってきた。朝8時40分から役場で源流元気再生プロジェクトの打合せを行う。佐藤課長、中村所長、望月徹男さん、木下拓郎君、中川徹君。12日の源流元気再生プロジェクトの運営委員会で決められた事業を具体的にどう推進していくかが課題であり、5つの研究室のメンバーと体制、活動日程、予算などを議論した。A、木づかい研究室、B、源流産業開発研究室、C、源流健康づくり研究室、D、源流森林再生研究室、E、源流文化研究室に、源流振興課と源流研究所で役割分担を決めた。Aは中村所長、Bは佐藤課長と中川徹君、Cは望月徹男さん、Dは中村所長、Eは木下拓郎君が担当する。それぞれで研究室会議を持って具体化することになった。Aは、小学校と中学校の木づかい保健室への改修の日が決まりいよいよ動き出すことになった。源流ライセンスと源流ミュウジアムも東京農業大学・源流大学と国土地理に業務委託して契約を結び具体化することになった。宮林先生は、源流ライセンスは、源流研究所と連携して具体化しょうと提案された。打合せの後、小泉先生と協議し、元気再生事業が村民によく分かるようにしようと話し合った。午後からは、神谷先生が源流研究所を訪問、「源流の木で家を作るかつどう」と「木づかい保健室プロジェクト」の打合せをし、11月2日3にちの聖フランシスコの小菅訪問と12月7日の子ども寮竣工式の件で協議した。その後、源流研究所のゲストハウスの視察を行った。素晴らしいロケーションである。具体化できれば源流元気再生に勢いがつく。森林組合によって広葉樹を見て神谷先生とは別れた。


2008年9月22日(月)[01:29:32]  
 時代は確実に変化している。いよいよ源流への新しい関心と期待が広がる時代を迎えている。この時代に応えて午前中は源流元気再生に関する整理を行なった。午後には、朝日新聞甲府支局の佐藤美鈴記者が源流研究所に取材に訪れた。彼女には始めて会うが、甲府版で良く企画物を提案し、取材し署名入りで掲載しているので名前だけ知っていた。なかなかの頑張り家さんで、今回の企画は「都市と地方の対話」。首都圏と山村とのあるべき関係を追求したいとのことで、社内の都市と地方のアンケートに基づいて、現場の課題に迫るとのこと。「都市は地方に依存している。都市住民と地方の関わりを考察したい」とのこと。森林再生を中心に源流研究所の活動のあらゆる方向・分野に関して取材を受けた。時間不足で、午後6時からも取材は続いた。これでもかこれでもかとと熱心に取材を受けると、こちらもやったろうかと応えたくなる。この企画は時代にかなう面白いものになる予感がする。
 午後5時からは、シカの食害対策に関して山梨県峡東林務環境事務所の森づくり推進課の武井昭二課長、名取猛主任から呼ばれて三窪高原のレンゲツツジの再生に関する意見交換を行った。様々な分野の知見を元に再生に取り組むことになった。

2008年9月20日(土)[03:59:38]  
8月から体調を崩していた真里さんの身体に元気が蘇り、今日東大病院を退院することになった。多くの人のお陰で健康を取り戻すことができた。全国源流シンポジウムの時、体調を崩し寝込んでしまったときは、本当に心配した。顔の表情から生気がなくなったのである。身体に激変が起きたのであろう。それにしても大事に至らなくて健康になり本当に良かった。今度こそ心を込めて神様に感謝したい。


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