文明の源流日記


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2009年8月20日(水)[07:42:34]  
絵図をお願いしている神谷先生と連絡を取り、朝9時に調布で合う。少し、色が濃かったので、甲府のユイコピーで少し薄い色のコピーを取る。熊野川源流絵図の出稿が迫り、淵や滝に関する調査結果をまとめる。合わせて、NPO法人「源流こすげ」の設立に向けて、事例の調査と設立趣意書の試案づくりに取りかかる。

2009年8月19日(水)[07:41:43]  
発掘したサンプルを東京大学の安藤先生の研究室に届けるために、天川村経由で東京に向けて出発した。帰りは順調で夜8時15分に本郷の東大に到着し、無事に調査が完了した。この調査は大切な内容を含んでおり、異議あるものになると確信する。

2009年8月18日(火)[07:40:45]  
 調査二日目。丸太組の材料であるスギやヒノキの材質を調査し、その強度を調べ、森林作業道の設置基準の基礎資料にすることが目的である。岡橋社長の協力で10年目から29年目までの路網を掘ってスギやヒノキを取り出し、調査のために東京大学に送って調査してもらうことになっている。A、B、C、D、Eの6ヶ所からサンプルを採取した。調査は、順調に終了した。

2009年8月17日(月)[07:38:57]  
森林作業道の調査で奈良県の吉野にはいる。調査隊は、川上村の大谷村長や坂口課長に挨拶する。東京大学の酒井先生、安藤先生を指導者に、大橋式目網に取り組んでいる岡橋社長の山に向かう。小菅村から黒川課長、森林組合の木下さんと合流し、調査に取りかかる。夜は、ログキャビンに泊まった。料理がいつもながら美味しかった。


2009年8月16日(日)[07:37:33]  
午前中、青山地区委員会の源流体験を望月徹男さん、中川徹君と行い、午後から森林作業道の調査で、源流大学の石坂真悟君と三平君、佐藤君と4名で吉野に向けて車で出発した。さすがお盆の帰省客で高速道路は大渋滞で伊賀上野に着いたのが午後10時であった。くたくたで食べたらすぐに寝てしまった。

2009年8月15日(土)[00:44:16]  
 休みが取れないなんて嘆いていても仕事はすすまない。引き続き熊野川源流絵図の原稿を書いた。

神童子谷と双門峡・ミタライ渓谷

 熊野川源流の最奥の谷は、神童子谷である。神童子谷は、バリゴヤノ頭、稲村ヶ岳、大日山、山上ヶ岳、竜ヶ岳、阿弥陀ヶ森、大普賢岳、弥勒ヶ岳、国見岳、七曜岳、行者還岳に囲まれた、実に不思議なる魅力を備えた渓谷である。ノウナシ谷と犬取谷の合流する釜滝は、標高の高い位置にある滝壺の大きさと深さにおいては、他に例を見ない品格を備えており、まさに水の神と森の神が語らう聖なる居所といえよう。ノウナシ谷には、存在感のあるノウナシ滝、人の進入を拒む地頭滝、滝の肩を往来できる馬頭滝、思わず手を合わせたくなる千手滝がある。修験者は、この秘境中の秘境で、神々とのみ語らいながら自らの魂をとぎすませていったのであろう。
 天川村の魅力の一つにミタライ渓谷や双門峡などの雄大な自然がある。ミタライ渓谷では、青々とした神秘的な淵を橋の上から展望できる。断崖絶壁の仙人ーに囲まれた双門大滝は、熊野川源流をこよなく愛する人々のみに垣間見る事の許された天空の空間である。
 


2009年8月14日(金)[00:43:03]  
 熊野川源流について研究すればするほど引き込まれるので不思議というほかない。引き続き源流絵図の作成に没頭する。熊野川の四季の原稿を書いた。

役行者と75の靡

 「大峯奥駆道」の山中に大峯75靡(なびき)と呼ばれる行場がある。靡の意味とその変遷に関しては駒澤大学の小田匡保教授の「大峯の『ミビキ』考」に詳しく紹介されている。それによると大峯では、峰通りの「ミチ」を「ナビキ」と称した。ナビキを表す本来の文字は「路」(なびき)だったと思われる。近世から近代になると「75靡」を霊地の集まりと解釈して実際の霊地が当てられるようになり、現在では、ナビキは大峯所々の各霊地を指す語となった。天川村には第50靡の明星ヶ岳から八経ヶ岳、古今宿、朝鮮ヶ岳、弥山、講婆世宿、石休宿、一の多和、行者還り、七曜岳、稚児泊、弥勒岳、笙の窟、普賢岳、脇の宿、阿弥陀森、小篠の宿、山上ヶ岳、第68靡の浄心門まで19のナビキが連綿と連なっている。ナビキは、擬死再生の願いを込めた人々の魂の修練の道場だったのだ。また、弥山には、天河大辨財天の奥宮が祭られており、その稜線には天女の舞と称される場所がある。  



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