文明の源流日記


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2011年1月31日(月)[01:25:35]  
いつもの癖で早く目が覚めてしまった。家の中の気温がシンシンと冷たい。車のエンジンをかけに行ったら、温度は−7度ではないか。この冬一番の寒さである。今から29年前、大阪から山梨に引っ越してきた頃、とても寒くて連日−7度を記録したことを覚えている。柳沢は何度かなと思い、峠まで登るとなんと−17度を記録していた。車から外に出て外気に触れると、冷たいと言うより痛い風が頬をさすった。たぶんこの冬一番の寒気かもしれない。身につけている洋服が一瞬に冷たくなった。

2011年1月29日(土)[07:33:10]  
年をとりたくないものである。今日は朝ゆっくりできたのに、なんと朝5時30分に目が覚めた。少し雲がかかっていたので、もしかしたら朝焼けの富士になるかもしれないと思い、千野橋のセブンイレブンで肉まんを食べてから柳沢峠にむかった。残念ながら、瞬く間に雲が広がり富士山どころか日の出すらみられなかった。しかたがないと諦め、一ノ瀬高原にむかい、途中の石楠花橋からのツララを撮りに行った。気温は−7度。やや暖かい。一番気に入った写真を撮った時は−13度だったと記憶している。その年は、娘の成人式だったのでよく覚えている。式の日は、70aの大雪でもの凄い交通渋滞であった。今年は、雪が誠に少なく気温もそこそこなのでいい写真は撮れなかった。昨日の夕方、孫の真緒ちゃんから「ジイジ、わたしはジイジにあいたいです」とのメールがきた。10日も会わないとこちらだって会いたくなる。孫は本当に可愛い。

2001年1月28日(金)[02:45:15]  
わが故郷宮崎に苦難と試練が続いている。昨年の口蹄疫、今鳥インフルエンザが猛威をふるっている。そして今度は、火山の爆発による降灰被害である。天の神様は、わが故郷をお試しになり、これでもかこれでもかと災難をお与えになり苦しめられている。この試練の彼方に明るい未来があることを祈らずにはおられない。故郷のみなさん、頑張って下さい。来月2日の源流協議会の議案書づくりに取りかかっている。降矢村長や黒川源流振興課長が事務所に相談に見えた。「地域おこし協力隊」への応募者が10名あった。それぞれ意欲があり、その中から数名を選ぶのは大変であるが、意欲のある若い人々と仕事ができるのは嬉しい。

2011年1月27日(木)[10:15:35]  
来年度小菅村は、景観法に基づく小菅村景観計画を策定するが、計画書を外部のコンサルに頼まないでNPO法人多摩源流こすげに委託することになり、この日山梨県に相談に伺った。県の窓口は、県土整備部美しい県土づくり推進室で、副主幹の桜林さん、副主査の鈴木さんが対応。小菅側からは、黒川課長、担当の木下拓郎君、望月事務局長、源流大学の石坂君、鈴木君、矢野さん、文明所長が出席した。はじめに県のほうから何故景観計画を作るのか、どんなことにちゅういしたらいいのか、県内でどんな取り組みが進んでいるかなどの報告があり、いろいろ意見交換した。住民と村、県の3者が一体となって景観計画をまとめ上げ,住民の関心や塾度に応じて一歩一歩取り組んでいくことになった。山梨県から全体的な話が聞けて大変勉強になった。夜は、小菅村の中央公民館で観光協会主催でトレールランの説明会があり参加した。

2011年1月26日(水)[09:11:21]  
今日も寒い朝であった。自宅を朝6時25分に出発して柳沢峠にむかう。柳沢峠の気温は、−13度であった。風が弱かったので思ったより寒く感じない雰囲気であったが、これで風か吹きまくると耐えられないのであろう。昨日から、広葉樹の資料検索と勉強を行っている。小菅村には、広葉樹も広く存在するが、その実態も、活用法も未だ手つかずである。調べ物していたら、広葉樹加工の使い分けのプロが木地師でるという指摘。当時木として最良のものは、イタヤカエデ、トチノキ、ケヤキ。良がホオノキ、カツラ、ブナ、アズサ、キリだという。こうした木が小菅村に広く存在するから小菅に木地師が住み着いたのである。広葉樹の育成と利用を図りたいと思う。正午にNOSの安達さんと田中さんが打合せにお見えになった。中川徹君や大吉さん、源流大学の石坂君、鈴木君や駒井さんを交えて来年度の計画を練った。安達さんの熱心さには、頭が下がる。来年度もおもしろい取り組みが展開できそうである。


2011年1月25日(火)[01:15:29]  
朝5時に目が覚めたので、柳沢峠にむかった。天気予報では、かなり強い寒気団が南下し気温が下がるとのことであったので、今年最低気温を期待して峠まで駆け上がった。気温は、−12度だった。1月8日が−15度だったのでその記録を超すことはできなかった。しかし、6時47分からの富士山の朝焼けは感動的であった。日本列島で最初に太陽の光が差す瞬間のほんの一瞬のひととき。くいるように眺め、脳裏に焼き付けた。今日は、久々に都留文科大学の泉桂子准教授にあいに出かけ、国際森林年のことや外国資本による水源地の買い占めなどについて意見交換した。夕方、シンゲンカメラに行ってリバーサルのデジタル化に着手した。

2001年1月24日(月)[02:42:31]  
今年の冬は、厳しい寒さが続いているが、雪は少ない。特に、正月が明けてからは全く雪がふらなかったが、昨晩から早朝にかけて雪が降り、柳沢峠周辺では、6〜7aつもり、小菅や丹波山などの里山にも少し降った。お陰で、圧雪され道路がつるつるになり、自宅から小菅まで1時間30分もかかった。午前中は、NPOこすげの事務局会議。望月事務局長、中村所長、源流大学の石坂君、鈴木君が顔をそろえた。事務局会議では、1)NPOこすげの平成23年度の活動目標、2)地域起こし協力隊の募集状況、3)小菅村景観計画策定業務の委託について、緑のボランティア、企業の森の充実、4)村の拠点作り、下流の拠点づくりについて、これは今年の最重要課題、5)源流大学との協働について、6)小菅村特別村民制度についてなどを議論した。特にこの10年で何をするか、何ができるかが大きな話題になった。源流研究所は小菅村のシンクタンクとしてその役割がますます大切になる。NPO法人多摩源流こすげと連携しますます元気のいい小菅村を作っていきたい。NPO法人多摩源流こすげの事務局が強化される。いよいよ今年は勝負の年である。午後から全国源流の郷の会員拡大に関する連絡文書を作成し、奈良県川上村に送った。


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